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映画無段・裏門

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10000本を超える映画鑑賞記録を付けてきたフルカワ モグラが、その中から名作・傑作・佳作をピックアップ。
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#時代劇

『水戸黄門』:1957、日本

 板橋宿を訪れた水戸光圀は、野良犬の群れに畑が荒らされて百姓たちが逃げ出す様子を目撃した…

『幕末太陽傳』:1957、日本

 文久2年、品川宿。攘夷の志士である志道聞多、伊藤春輔、大和弥八郎の3人が、馬を走らせる…

『子連れ狼 三途の川の乳母車』:1972、日本

 拝一刀は虚無僧に扮した裏柳生の刺客2人に襲撃されるが、落ち着き払って斬り捨てた。額を割…

『丹下左膳余話 百万両の壺』:1935、日本

 柳生藩藩主・柳生対馬守と家老・高大之進は、伊賀の長老である一風宗匠から、先祖が軍用金と…

『徳川セックス禁止令 色情大名』:1972、日本

 江戸時代。11代将軍の徳川家斉は精力絶倫で21人の愛妾がおり、54人の子供を産ませていた。幕…

『椿三十郎』:1962、日本

 ある夜、荒れ果てた社殿には9人の若侍が集まって密談をしていた。井坂伊織、守島隼人、河原…

『用心棒』:1961、日本

 一人の浪人者が歩いていた。分かれ道に来たところで、彼は落ちていた枝を投げて行き先を決めた。しばらく歩いていると、百姓の小倅と親父が言い争っていた。小倅が出入りに参加しようとするのを、親父が必死で止めているのだ。  「撃ち殺されるのが関の山だぞ。博奕打ちのどこがいいんだ。百姓は畑を耕したらいいんだ」と言う親父に、小倅は「美味い物食って、いい着物を着て、太く短く生きたいんだ」と激しく反発する。彼は親父の腕を振りほどき、その場から走り去った。  浪人者は親父に、「水を一杯貰おう

『隠し砦の三悪人』:1958、日本

 戦乱の時代。百姓の太平と又七が、秋月領の荒野を当てもなく歩いていた。戦に出れば立身出世…

『狐の呉れた赤ん坊』:1945、日本

 東海道の大井川、金谷の宿。川越人足の寅八と馬方の頭分・丑五郎は、顔を合わせれば喧嘩ばか…

『ポルノ時代劇 忘八武士道』:1973、日本

 凶状持ちの浪人・明日死能は、橋の上で襲ってきた連中を斬った後、奉行所の捕り方役人に包囲…

『家光と彦左と一心太助』:1961、日本

 元和九年正月、江戸城。祝賀の儀式のため、幕府の家臣たちは長い行列を作った。将軍・秀忠と…

『大菩薩峠』:1960、日本

 甲斐の国、甲州裏街道の難所たる大菩薩峠。巡礼の老人が、孫娘・お松を連れて頂上にやって来…

『木枯し紋次郎 関わりござんせん』:1972、日本

 凶状持ちの渡世人・木枯し紋次郎は旅の途中、喧嘩場で斬った親分の代貸・今市の金蔵と乾分た…

『木枯し紋次郎』:1972、日本

 渡世人の木枯し紋次郎は、切石の忠兵衛一家に草鞋を脱いだ。一家には、日野の佐文治という先客がいた。忠兵衛一家と大門の岩五郎一家の出入りがあり、2人は助っ人として共に戦った。  佐文治から兄弟盃を持ち掛けられた紋次郎は、「誰とも盃は交わさないことにしている」と丁重に断った。しかし「このまま別れたくない」と佐文治から一家に来るよう誘われると、それには応じた。  それから程なくして、上州無宿紋次郎は関八州見廻り役に召捕られて入牢となった。日野宿の貸元で十手預かりの井筒屋仙松を殺害