見出し画像

『徳川セックス禁止令 色情大名』:1972、日本

 江戸時代。11代将軍の徳川家斉は精力絶倫で21人の愛妾がおり、54人の子供を産ませていた。幕閣の抱える一番の問題は、大量生産された姫および若君の配給先だった。
 34番目の子供である清姫の嫁入り先を検討した幕閣は、九州唐島藩主・小倉忠輝が候補として上がる中、「34歳にて未だ独身。無類の女嫌いとか」と問題視する意見が出た。しかし「もはや独り身の大名家などおらんではないか」という声もあり、最終的には忠輝への嫁入りが決定した。

 清姫は春画を見て情交に興味を抱くが、中臈の藤浪は「姫様がお許しになるのは下半身だけで充分です。相手は田舎大名。例え淫らに挑まれても、相手にせぬことが肝心です。性の営みとは子孫の繁栄。あくまでも、その目的のためにだけあるのです」と説いた。
 一方、忠臣の森田勝馬を伴って弓の稽古に励んでいた忠輝の元に家老の米津勘兵衛が駆け付け、清姫の嫁入りが決まったことを報告した。忠輝は「即刻断れ」と激怒するが、もちろん断ることなど出来なかった。

 忠輝は、風呂場に胸を出した腰元たちが入って来ただけで激昂するほどの女嫌いだった。勘兵衛は彼に、「ある時は深く、ある時は浅く。これを21回繰り返すのです」と男女の交わりについて教えた。
 武道一筋に生きて来た忠輝は拒否反応を示すが、勘兵衛に説得されて初夜を迎えた。忠輝は寝所で指示通りに動いてみるが、勘兵衛の元へ来て「草深き所で訳が分からぬ」と口を尖らせる。そこで勘兵衛は太鼓を鳴らし、それに合わせて忠輝が腰を動かすことになった。忠輝は太鼓の音を聴きながら清姫の体を突いた。

 翌日、初夜を済ませた清姫は藤浪から祝福の言葉を受けるが、「わらわはもう嫌じゃ。あれではまるで丸太ん棒じゃ」と、味気ない忠輝の性行為に不満を漏らす。藤浪は勘兵衛に、武骨者の忠輝を教育するよう要求した。
 悩む勘兵衛から「殿を女好きにし、習得した技術で姫に文句を言わせぬようにすることが肝要じゃ」と相談を受けた家臣は、御用商人の博多屋を呼び寄せた。事情の説明を受けた博多屋は、「三日三晩、お殿様の体をお預け下されば」と自信たっぷりに告げた。

 博多屋は忠輝に南蛮渡来の媚薬を飲ませ、意識を失わせて店に運び込む。目を覚ました忠輝の前に、黒人女のマハリヤと日本の女2人が現れた。3人裸になって忠輝の体を撫で回した。女たちに囲まれて性の喜びを教えられた忠輝は、すっかり女好きになった。
 3日目になり、博多屋はフランス娘のサンドラを用意した。忠輝は彼女の美しさに魅了され、その体に溺れた。一方、勝馬は許嫁の梢から、殿様だけでなく自分にも構ってほしいと求められる。勝馬は「もうすぐ私の妻ではないか」と梢をなだめた。

 城に戻った忠輝は、寝所で清姫に「上に乗るのだ」と指示する。清姫が拒んでいると、忠輝は強引に自分の胸を吸わせる。さらに彼は清姫の顔を自分の股間に押し当て、陰部を吸うよう要求した。
 清姫は「犬猫に劣る侮辱」と憤慨し、寝所から立ち去った。腹を立てた忠輝は、添寝役のお美代を抱いて欲望を満たした。お美代は忠輝から「下々の者も今のようなことを致すのか」「下々の女もこのような立派な道具を持っておるのか」と質問される。庶民の女もお美代と同じ性器を持ち、情交を楽しんでいると知って、忠輝は驚いた。

 博多屋はサンドラに、「確かにお前は、宣教師だった父が言うように美しい。だがお前は、もはや天使ではない。肉の喜びと汚さを知ってしまった、ただの女だ、いや、ただの牝だ」と言い放つ。
 さらに彼は「お前の父親は大嘘つきだった。神への信仰と十字架だけが天国にもたらすと言った。だが、お前の父の説いた道に待っていたものは地獄のような拷問だった。この世に天国をもたらせるのは十字架や念仏じゃない。金だ」と述べる。博多屋は転び伴天連だったのだ。彼はマハリヤにサンドラを抱かせた。

 忠輝はサンドラのことが忘れられず、彼女を側室にする。彼は「下賤の者が知っている喜びの半分も知らなかった。取り戻すぞ」と言い、サンドラとの情交に励む。そこへ清姫と藤浪が来て批判するが、忠輝は「女というものは、男を喜ばすものじゃ」と罵倒する。
 勘兵衛が清姫に謝るよう進言すると、彼は「お前も徳川に尻尾を振るのか」と激怒する。城下の視察に出向いた忠輝は、庶民の男女が自由に情交を楽しんでいる姿を目にした。

 忠輝は「藩主たる余がなぜ、下々の貪る快楽さえ許されんのじゃ。藩主として命令する。今後一切、男女の交わりを禁止する」と家臣たちに言い、高笑いを浮かべた。閨房禁止令が公布され、武士も町人も男は全て、股間に印鑑を押されることになった。翌朝の検査で印が消えていれば、男女の交わりを行ったとして処罰されるのだ。
 長屋の住人である天教堂や奥目の八たちの祝福を受けて結婚したばかりのお京と啓助は、初夜を迎える寸前、唐島藩の藩士・沢木陣吾郎たちに閨房禁止令のことを告げられ、情交を止められた。

 庶民の嘆きをよそに、忠輝はサンドラとの愛欲生活にまみれた。清姫は藤浪に、江戸へ帰りたいと泣いて訴えた。藤浪はサンドラのせいだと考え、彼女を牢屋に入れて折檻を加えた。勝馬はサンドラに「ここにいても不幸になるだけだ。全てを忘れるのだ」と告げ、彼を城から逃がした。
 サンドラは父が処刑された浜辺に赴くが、そこへ博多屋が現れる。彼は「お前に自由はない。お前はわしの作った人形だ」と言い、連れて来た下賤な男たちに彼女を犯させた。

 藤浪は侍女たちに将軍家への密書を託し、江戸へ差し向けようとする。だが、藩を出て浪人暮らしをしていた勘兵衛の息子・源太郎が現れて密書を奪い、藤浪の処女を奪った。口では嫌がる藤浪だが、体は彼を受け入れた。
 源太郎は吉原の遊郭から身請けした女房・お艶を伴い、4年ぶりに実家へ戻った。妹の梅乃は、忠輝の病気を治す方法について源太郎に相談する。源太郎は「梅乃。お前が姫の教育係になってみないか。御城下に面白い浪曲小屋が掛かってる。姫をそこへ連れ出せ」と告げた。

 翌日、梅乃は清姫を連れて、浪曲小屋へ赴いた。女浪曲師の水城桃夕は男女の情交を歌い、客を欲情させる。彼女の「イク」という言葉を聞いた清姫は、「イクとは、どういうことじゃ」と梅乃に質問する。梅乃は「女子は喜びの頂上でそのように申すのです」と説明した。
 すっかり性に目覚めた藤浪は、梢に張り形を渡して「私を慰めるのじゃ」と命じる。梢は嫌がるが、逆らうことは出来ず、泣きながら張り形を動かす。そこへ源太郎が侵入して梢を退室させ、藤浪を抱いた。その様子を、梅乃は清姫に覗き見させた。「死ぬ、死ぬ」と口にする藤浪を清姫が心配すると、お艶が「女子は絶頂の折、皆あのように申すのでございます」と教えた。

 梅乃は清姫の性教育係となり、性の知識を教え込んでいく。一方、忠輝は家臣に禁令を破った者が現われたという報告を受けた。その者は勝馬と梢だった。2人は死をもって忠輝を諫めるため、あえて禁令を破ったのだ。勝馬は腹を斬る覚悟を固めていたが、忠輝は梢の切腹を命じた。勝馬は介錯を申し付けられ、仕方なく梢の首を落とした。
 怒りを爆発させた庶民が城へ押し掛ける中、責任を感じた清姫は梅乃に頼んでサンドラと会わせてもらう。清姫から「男女の交わりで一番大事なものは何じゃ」と訊かれたサンドラは、「心でございます。愛する心さえあれば、どのようなことでも出来るものです」と答えた…。

 監督は鈴木則文、脚本は掛札昌裕&鈴木則文、企画は天尾完次、撮影は増田敏雄、照明は中山治雄、録音は堀場一朗、美術は雨森義充、編集は神田忠男、助監督は依田智臣、擬斗は土井淳之祐、音楽は荒木一郎、挿入歌「ジュテームはサヨナラのはじまり」はサンドラ・ジュリアン。

 出演は杉本美樹、サンドラ・ジュリアン、名和宏、山城新伍、殿山泰司、渡辺文雄、池島ルリ子、三原葉子、衣麻遼子、女屋実和子、成瀬正孝、京唄子、鳳啓助、平参平、岡八郎、水城ゆう子、大泉滉、城恵美、中川みなみ、オードリー・クルーズ、山田みどり、田中小実昌、川浪公次郎、中村錦司、蓑和田良太、熊谷武、穂積かや、京町一代、川奈良子、美川玲子、林三恵、日高綾子、三上ヒロ子、岡嶋艶子ら。
 ナレーターは三村敬三。

―――――――――

 『温泉みみず芸者』『女番長ブルース 牝蜂の逆襲』の鈴木則文が監督と共同脚本を務めた作品。
 清姫を杉本美樹、サンドラをサンドラ・ジュリアン、忠輝を名和宏、源太郎を山城新伍、勘兵衛を殿山泰司、博多屋を渡辺文雄、梢を池島ルリ子、藤浪を三原葉子、お艶を衣麻遼子、梅乃を女屋実和子、勝馬を成瀬正孝、お京を京唄子、啓助を鳳啓助、天教堂を平参平、奥目の八を岡八郎、桃夕を水城ゆう子、沢木を大泉滉、お美代を城恵美、マハリヤをオードリー・クルーズ、家斎を田中小実昌が演じている。
 しっかし、杉本美樹や三原葉子が処女で、名和宏が女のことを何も知らない殿様って、考えてみれば無理のありすぎる配役だよな。

 サンドラ・ジュリアンは1970年のフランス映画『色情日記』に主演して人気がブレイクし、翌年に公開された日本でも映画は大ヒットを記録した。その人気に目を付けた東映はサンドラを招聘して『現代ポルノ伝・先天性淫婦』を製作し、本作品は彼女の東映での主演2作目となる。
 タイトルロールでは2番目の表記だが、ポスターの表記ではサンドラの名前が一番右だった。ただし、その隣に同じ大きさで杉本の名前があるので、ダブル主演ってことだね。ポスターとタイトルロールで順番を逆にするのは、「どっちが先か」で揉めないようにするの配慮だ。こういうのは、映画の世界では良くある。

 その杉本美樹は、当初は主役を張る予定ではなかった。本作品は、『温泉みみず芸者』でデビューし、東映ポルノ映画のトップスターとして大人気だった池玲子が(そもそも「ポルノ」という言葉は彼女を売り出す際に天尾完次が作った造語)『現代ポルノ伝・先天性淫婦』に続いてサンドラと共演する企画だった。
 ところが直前になって池玲子が「もう脱がない」と歌手への転向を宣言したため、これまで助演だった同期デビューの杉本美樹が抜擢されたのだ。ちなみに池玲子の歌手転向は上手くいかず(1972年6月発売のデビュー曲『変身』が全くヒットしなかった)、同年の8月には再び東映ポルノ映画の世界へ復帰している。

 東映は天尾完次プロデューサーが指揮を執ってピンク映画の世界に本格参入し、1968年に石井輝男監督が撮った『徳川女系図』から始まる異常性愛路線でヒットを飛ばした。その路線が次第にマンネリ化して成績が落ちる中、鈴木則文と天尾完次は池玲子というスターを登場させることでピンク映画の新機軸を生み出した。
 その池玲子は出演していないものの、当時の東映ポルノ路線のパワーは充分に感じさせる仕上がりとなっている。ポルノ映画ではあるが、ゴールデン・ウィークに公開された作品なので、それなりの予算が掛けられている。そもそも当時の東映にとって、ポルノ映画は稼ぎを生み出す柱の1つだった。

 上述の粗筋を読んだだけで映画のテイストが何となく分かる人もいるだろうが、異常性愛路線のような陰湿さや暗さは薄くて、コミカルなテイストが多く盛り込まれている。まあ鈴木則文だから、コミカルなのは得意だわな。
 ただし、梢が切腹させられるシーンとか、博多屋がキリスト教への強い不信からサンドラを甚振るとか、その辺りはシリアスなテイストになっている。ちなみに、サンドラの父はカトリックの宣教師だから、ホントは結婚禁止だし、だから子供なんて作れるはずが無いんだけどね。

 喜劇テイストは強いけど、濡れ場はちゃんとエロいシーンとして撮られているのはイイね。エロ映画にコミカルなテイストを盛り込むのは構わないんだけど、それがエロを邪魔しちゃうのは、やっぱり違うと思うのでね。もちろん、今の時代からすると、当時のエロ描写なんてヌルいモンだけどね。
 この映画では、濡れ場になっても絶対に女たちは着物を脱がず、オッパイをさらすだけ(尻は濡れ場以外なら見せるが、濡れ場では見せない)。ただし例外があって、外国人であるサンドラ・ジュリアンとオードリー・クルーズは、濡れ場で全裸になっている。ってことは、「濡れ場では必ず着衣」という暗黙のルールがあったわけでもないんだね。いや、あったのかもしれないけど、外国人はOKだったってことなのね。うーむ、どういう基準だったんだろうか。

 劇中で忠輝が発布する閨房禁止令は「法令175条」となっているが、これは刑法第175条(わいせつ物頒布等に関する条文)が元ネタだ。で、その法令を出した忠輝だが、終盤に勝馬と関係を持ったサンドラ(2人とも忠輝に考えを改めてもらうため、あえて命懸けで禁止令を破った)が処刑されると知り、慌てて止めに行く。だが、家臣の中村久右衛門から「禁令を破った者は、全て処刑されます。法は既に殿の手を離れて、生きておりまする」と告げられる。

 サンドラの処刑を受けて、ようやく忠輝は改心し、禁止令が解かれる。で、忠輝が清姫と交わって腹上死し、最後に「あらゆる生命の根源たる性を支配し管理検閲する事は 何人にも許されない 例え 神の名においても――」という言葉が表示される。
 「管理検閲」という言葉を使ったりしていて、やや違和感もある内容だが、実は、取って付けたようなメッセージには、深い意味が込められている。

 この映画が公開されたのは1972年の4月だが、同年の1月、警視庁保安一課が日活ロマンポルノの『恋の狩人・ラブハンター』と『OL日記・牝猫の匂い』、『愛のぬくもり』、さらにプリマ企画の成人映画『女高生芸者』を刑法175条(わいせつ物陳列罪)で摘発するという事件があったのだ。
 翌年には日活ロマンポルノ裁判に発展するのだが(1980年に高裁で無罪が確定)、この映画が最後に掲げたメッセージには、映倫審査を受けて公開された作品を曖昧な基準で取り締まる警視庁に対する批判が込められているのだと私は感じたのだが、勝手な思い込みなのかな。

(観賞日:2012年9月7日)

この記事が参加している募集

#映画感想文

67,412件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?