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『丹下左膳余話 百万両の壺』:1935、日本

 柳生藩藩主・柳生対馬守と家老・高大之進は、伊賀の長老である一風宗匠から、先祖が軍用金として百万両を埋め、その在り処を記した絵図面を家宝・こけ猿の壷に隠したことを知らされた。大之進は喜ぶが、対馬守は浮かない顔だ。というのも、司馬道場の娘・荻乃に婿入りした弟の源三郎に、引き出物として壺を与えていたからだ。
 何も知らない源三郎を騙して壺を取り返すため、大之進は対馬守の密命を帯びて江戸へ向かう。彼は江戸家老・田丸主水正に会い、協力を要請した。

 源三郎と荻乃は、こけ猿の壷を単なる汚い壺としか思っていない。道場に大之進が来たので、源三郎は何の勝ちも無い壺しかくれなかった兄への不満を吐露する。大之進が壺を返してほしいと求めると、反発心を抱いた源三郎は拒否した。
 大之進が立ち去った後、彼は荻乃に「こんな壺、屑屋にでも売ってしまえ」と告げる。大之進は壺を金で買い取ろうと考え、主水正に百両を用意してもらった。

 大之進は再び道場へ赴き、源三郎に壺を買い取りたいと申し入れた。不審に思った源三郎が仔細を話すよう問い詰めるが、大之進は「ただの茶壺でございます」と言い張った。そこで源三郎は門弟たちを呼び、道場で叩きのめすよう指示した。
 大之進から真実を聞き出した源三郎は大喜びし、荻乃に壺を出すよう促す。だが、荻乃は壺を屑屋の茂十と当八に売った後だった。茂十と当八が家に戻ると、隣に住む少年・ちょい安が、金魚の入れ物が無くて困っていた。そこで当八は、こけ猿の壺を彼に金魚鉢としてくれてやった。

 突き出し屋を営むちょい安の父・七兵衛は、毎晩のように出掛けて行く。彼は矢場に通い詰めており、女将・お藤や矢場の女たちには大勢の奉公人を使っている商人だと詐称していた。お藤は七兵衛や女たちから、「得意の歌を聴かせてほしい」と求められる。
 すると奥の部屋で寝転んでいた居候の用心棒・丹下左膳が、「俺はこいつが歌い出すと熱が出るんだよ」と悪態をつく。お藤は「あたしは助かるわ」と言い返し、三味線を弾いて歌い出す。壺探しの途中で店の前を通り掛かった源三郎は、矢場の女・お久に見とれた。

 鬼の健太と弟分・おしゃかの文吉という男たちは矢場で遊んでいる最中、「矢が曲がっている」と難癖を付けた。隣にいた七兵衛がその矢を射ると、的に命中した。腹を立てた健太と文吉は、七兵衛に殴り掛かった。
 お久に呼ばれた左膳は、奥の部屋から飛び出してきた。左膳に凄まれた健太と文吉は、慌てて矢場から逃げ出した。お藤は仕返しを危惧し、左膳に七兵衛を店まで送り届けるよう頼んだ。

 七兵衛は嘘が露呈するのを嫌い、途中まで来ると左膳に「この辺で大丈夫です」と告げた。左膳が去った後、密かに尾行していた健太と文吉は七兵衛を追い掛けた。
 左膳は斬られた七兵衛を抱え、矢場へ連れ帰った。瀕死の七兵衛は「安をお願いします」と言い残し、息を引き取った。だが、その「安」という人物のことも、七兵衛の店がある場所も、矢場の人間は誰一人として知らなかった。

 翌朝、源三郎は壺を探しに行くという名目で、屋敷を出発した。屋敷の外へ出た途端、彼は中間の与吉に金を渡して別行動を取った。大之進は与吉に金を渡し、壺を見つけ出すよう指示した。源三郎は矢場を訪れ、お久の接待を受けて楽しく過ごす。
 左膳とお藤は七兵衛の店を探すが、どこにも見当たらない。茂十と当八に遭遇した2人は、「七兵衛の大きな店」について尋ねた。茂十と当八は大きくないと思いつつも、七兵衛の店を教えた。左膳とお藤は店へ行くが、ちっとも大きくないので、間違いだと考える。だが、店の前にいた安は、父が昨夜から戻らないことを話す。彼の名前が安だと知った2人は、そこが七兵衛の店だと確信した。

 左膳はお藤から、安に父の死を伝えるよう促される。安に身寄りが無いことを知った左膳は、お藤に「可哀想だから、連れて帰って何か食わせてやろうよ」と持ち掛ける。
 お藤は安に飯を食わせた後、七兵衛の死を伝えるよう、改めて左膳に促した。事実を知らされた安が泣き出したので、左膳はお藤に「可哀想だから、当分、ウチに置いてやることにしたよ」と言う。お藤は「やめておくれよ、あんな汚い子供」 と反発するが、結局は安を引き取ることにした。

 1ヶ月が経過した。源三郎は相変わらず、荻乃に「壺を捜し回っている」と嘘をついて矢場通いを続けている。彼と話した左膳は、壺のことを知った。安は遊んでいる最中に転倒して竹馬を壺にぶつけてしまい、金魚が飛び出して死んでしまった。
 安は壺を抱えて左膳の元へ行き、金魚を買ってほしいとせがんだ。左膳が「ようし、おいちゃんが釣ってやろう」と言うと、その話を聞いていた源三郎は「面白いな、ワシも行こう」と口にした。すぐ近くに目当ての壺があるのに、彼は全く気付かなかった。

 荻乃は一日でも早く壺が見つかることを願い、爺やを伴って宮参りに訪れた。望遠鏡を覗いた爺やは、金魚屋にいる安が持っている壺を発見した。爺やは荻乃を呼び寄せ、望遠鏡を覗かせる。だが、少し角度がずれたため、荻乃はお久と楽しそうにしている源三郎の姿を目撃した。
 源三郎の所へ与吉が来て、屑屋が見つかったことを知らせた。源三郎は茂十と当八から話を聞き、安が壺を持っていることを確信した。彼が去った後、与吉に案内された大之進の家来たちが屑屋へ行く。彼らは壺を探すが、もちろん見つからなかった。

 翌朝、源三郎がいつものように出掛けようとすると、荻乃は「今日からは屋敷にいて頂きます」と鋭い口調で告げた。彼女は「壺は門弟に探させます。与吉が全て白状しました」と言う。
 源三郎は「もう壺は見つかっている。必ず持ち帰るから」と外出許可を求めるが、荻乃の信用を完全に失っているため、あっさりと拒否された。左膳は安を道場へ通わせたいと考えるが、お藤は寺子屋へ通わせようと思っていた。二人は激しい言い争いになるが、結局はお藤の意見が通った。

 司馬道場を首になった与吉は、大之進から仕事を頼まれた。一両で壺を買い求めることを知らせるビラを、江戸中に貼って回る仕事だ。左膳が古い壺を持っていると話すので、与吉は一両小判を渡した。
 左膳は両替屋の息子・勝坊たちと遊んでいた安から「メンコが欲しい」と言われ、その一両小判を与えた。小判の価値を知らない安は、それをメンコとして使い始めた。安に負けたくない勝吉は、店から勝手に大判を持ち出した。

 安坊は勝吉とのメンコ対決に勝利し、嬉しそうに大判を持ち帰った。お藤は安を叱り付け、大判を返して来るよう命じた。しかし大判を持ち歩く安坊を見つけた与吉が、それを奪い取って逃げてしまった。
 両替屋は手下を連れて矢場に乗り込み、大判の価値である六十両の返却を要求した。左膳は「必ず返すから、明日の晩、取りに来い」と啖呵を切り、両替屋を追い払った。しかし左膳にもお藤にも、六十両を工面する当てなど全く無かった…。

 構成 監督は山中貞雄、撮影は安本淳、録音は中村敏夫、編集は福田理三郎、装置は島康平、照明は井上栄太郎、衣裳は稲次招、音楽は西梧郎。

 出演は大河内傳次郎、喜代三、沢村国太郎(四代目 澤村國太郎)、山本礼三郎、鬼頭善一郎、阪東勝太郎、磯川勝彦、清川荘司、高勢実乗、鳥羽陽之助、宗春太郎、花井蘭子、伊村理江子、達美心子、深水藤子ら。

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 林不忘の小説『新版大岡政談・鈴川源十郎の巻』に登場するキャラクター、丹下左膳を主人公にした作品。
 左膳を大河内傳次郎、お藤を喜代三、源三郎を沢村国太郎、与吉を山本礼三郎、大之進を鬼頭善一郎、対馬守を阪東勝太郎、道場の門弟・峰丹波を磯川勝彦、七兵衛を清川荘司、茂十を高勢実乗、当八を鳥羽陽之助、安を宗春太郎、荻乃を花井蘭子、お久を深水藤子が演じている。安は「ちょび安」と呼ばれることが多いが、この映画では「ちょい安」になっている。

 当初は1933年の『丹下左膳 第一篇』、1934年の『丹下左膳 剣戟の巻』に続く三部作のラストとして製作される予定だった。しかし、その2本で監督と脚色を担当した伊藤大輔が日活を退社したため、山中貞雄が代役を務めることになった。
 その山中監督は、予定されていた三作目を撮るのではなく、前二作をパロディーにすることを選んだ。そのため、この映画は明るい喜劇として仕上がっている。原作と全く印象の異なる丹下左膳になったことで、林不忘の夫人から強い抗議を受けた。そのため、題名に「余話」と付いている。

 ニヒルな怪剣士というイメージが付いていた丹下左膳をユーモラスなキャラクターにしたエポックメイキングな作品であり、そこが観客には受けたのだろう。ただ、私は最初に見た左膳映画が大友柳太朗の『丹下左膳 妖刀濡れ燕』なので、「左膳は豪快で無邪気な男」というイメージから入っちゃってるのよね。
 だから、この映画を「左膳のイメージを変えた」という意識で鑑賞することは出来なかった。たぶん、大友柳太朗のシリーズが、この映画で出来上がった左膳像を意識して作られているんだろうとは思うけどね。

 左膳の大河内傳次郎、源三郎の沢村国太郎、与吉の山本礼三郎、対馬守の阪東勝太郎というキャスティングは、前二作と同じだ。お藤を前二作で演じたのは山田五十鈴だったが、今回は芸者で歌手の喜代三になっている。大之進役が寺島貢から鬼頭善一郎に、丹波役が市川小文治から磯川勝彦に、安役が中村英雄から宗春太郎に交代している。
 つまり裏を返せば、それらのキャラは前二作にも登場していたということだ。他に、屑屋を演じた高勢と鳥羽は、ローレル&ハーディーを真似た「極楽コンビ」として活躍した喜劇役者だ。

 山中貞雄が監督を務めた映画で現存しているのは3作品だけで、その内の1本である。GHQの検閲によってチャンバラのシーンなどが削除されており、現状で我々が見ることの出来るフィルムは、完全な形ではない。
 また、どうやらオープニング・クレジットの一部もフィルムが欠損しているようだ。そのため、主水正や健太、文吉、一風宗匠といった面々については、役者の表記が無い(上述の粗筋では主水正らの役名を記しているが、それが正しいのかどうかも定かではない)。

 この映画を語る上で重要なキーワードは、「省略」と「裏腹」だ。後者は観客の笑いを誘う時に使用される。また、「裏腹」を使う時は、必ず「省略」もセットになっている。そして「省略」が最も効果を発揮しているのは、「裏腹」とセットで、観客の笑いを誘うために使用された時だ。
 もちろん、こんな説明では何のこっちゃワケが分からないだろうと思うので、もう少し詳しく解説していこう。

 まず「省略」について。この映画は、A→B→Cという手順があった時に、Bの部分を省略してしまうという演出を多用している。
 古い映画の場合、「編集が荒っぽいから、途中でブチッと切ったようなシーンの繋ぎ方になっている」とか、「フィルムが欠損しているから、あるべき場面が抜け落ちている」ということも良くあるのだが(実際にそうなのか分からないが、編集が粗いと感じるケースも多い)、この作品の場合、たぶん意図的に省略技法を多用している。

 例えば、大之進が壺の買い取りを求めるシーン。怪しんだ源三郎は門弟たちを呼び、道場で叩きのめすよう指示する。この後、シーンが切り替わると、喜んだ源三郎が荻乃に壺を出すよう促している。つまり、「道場で叩きのめされそうになった大之進が、源三郎に壺の秘密を白状する」というシーンが省略されているわけだ。
 他には、左膳の見送りを途中で七兵衛が遠慮した後のシーン。健太と文吉が七兵衛を追い掛けた後、左膳は異変を察知して踵を返す。シーンが切り替わると、彼は瀕死の七兵衛を抱えて矢場へ戻っている。つまり、「左膳が斬られた七兵衛を発見する」というシーンが省略されているわけだ。

 続いて、「裏腹」について。この映画では、左膳とお藤の言い争いが何度も繰り広げられる。意見が対立したままシーンが切り替わると、どちらかの意見が採用されている。つまり、そこに「省略」があるわけだ。
 例えば、お藤が七兵衛を店まで送り届けるよう左膳に頼むシーン。左膳は「嫌だ」と頑なに拒否し、お藤と言い合いになる。しかしシーンが切り替わると、彼は七兵衛を送っている。嫌がっていた左膳が承諾するまでの経緯を省略することによって、喜劇になっているわけだ。
 このパターンが、本作品では何度も使われる。

 安を発見した後、お藤は左膳に、父親の死を伝えるよう促す。左膳は嫌がり、お藤に「お前が言え」と要求する。言い争いになったままでシーンが切り替わると、左膳が安の元へ戻る様子が描かれる。
 「安をウチに置いてやることにした」と左膳が言い出すと、お藤は「あんな汚い子をウチに置くつもりは無い」と激しく反発する。これまた言い争いになるが、シーンが切り替わると、お藤が安を引き取って1ヶ月が経過している。

 左膳は安を道場へ通わせたいと考え、お藤は寺子屋へ通わせようと考えるので、激しい言い争いになる。シーンが切り替わると、安が寺子屋へ通苛めてから5日目になっている。しかも反対していた左膳は、安が字を書けるようになって嬉しそうだ。
 しかし安は、両替屋の子が待ち伏せていて苛めるので行きたくないと言い出す。お藤に叱責されて、仕方なく安は寺子屋へ向かう。左膳は心配するが、お藤から「それなら送ってやればいい」と言われると、「嫌だ、お前が送れ」と反発する。これまでと同じパターンかと思いきや、ここだけは省略せず、左膳が逡巡する様子を見せて、それから安を追い掛ける手順になっている。

 ただ、そういう「裏腹」&「省略」によって笑いを誘っている部分よりも、個人的には、大河内傳次郎の芝居に喜劇としての魅力を最も感じた。お藤に反発するシーンにしても、この人の「嫌だい」と子供みたいに駄々をこねる様子が可笑しいんだよね。その芝居一つで、同じシーンでも笑いの質が大きく変わって来る。
 彼だけでなく、軽薄で情けない源三郎を演じる四代目沢村国太郎(長門裕之と津川雅彦の父親であり)の芝居もいい。何となく加東大介の芝居にも似ているように感じるが、さすがは兄弟だねえ。

 終盤、健太を殺された文吉が助っ人を引き連れて左膳の元へ来るシーンがある。左膳は勝負を受けるのだが、シーンが切り替わると壺を売りに出掛けた安の元へ猛スピードで駆け付けている。ここは文吉たちとのチャンバラを省略しているわけではなく、GHQの検閲でフィルムがカットされてしまったのだ。
 ただ、健太とのチャンバラも「別に無くてもいいなあ」と思ったぐらいなので、そこは作品の大きな傷になっていない。劇中で安の父親が彼らに殺されているわけだから、構成としては仇討ちをやるべきなんだけど、そもそも「安が父親を殺されて孤児になる」という展開自体を変えてほしいと思うんだよね。そうすれば、もっと徹底して喜劇に出来るので。

(観賞日:2013年2月24日)

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