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『木枯し紋次郎 関わりござんせん』:1972、日本

 凶状持ちの渡世人・木枯し紋次郎は旅の途中、喧嘩場で斬った親分の代貸・今市の金蔵と乾分たちに命を狙われた。紋次郎は隙を見て逃亡し、追跡を逃れた。藁小屋に立ち寄った紋次郎は、まんという3人の子持ち女が赤ん坊を殺そうとする現場を目撃し、制止した。まんは夫に先立たれ、貧しさゆえに間引きしようとしていたのだ。
 紋次郎は、上州三日月村での幼少時のことを思い出した。彼は2人の兄と同様に間引きされそうになったが、姉のお光が両親を説得し、助けてくれたのだった。

 紋次郎は手持ちのわずかな金をまんに与え、藁小屋を去った。翌日、茶店で休んでいた紋次郎は、まんが3人の子供を殺害し、首を吊って死んだことを知った。
 首を吊った彼女の足元には、紋次郎が渡した金が置かれていた。藁小屋に赴いた紋次郎は、野次馬の「なまじ少しの金があったばかりに。見ている内に死にたくなっただ」という呟きを耳にした。

 金蔵の手下たちに取り囲まれた紋次郎は、数名を斬った。赤城に入った紋次郎は、国定忠治一家の賭場へ赴いた。同じ賭場では、下総八幡の渡世人・常平が大儲けしていた。
 紋次郎は国定一家の代貸・三ッ木の文蔵から、金蔵が刺客を引き連れて命を狙っていると告げられた。賭場を出た紋次郎は、いきなり襲い掛かってきた2人組を金蔵の手下と思い込んで斬った。

 だが、そうではなかった。彼らは金を奪うため常吉を襲っていたところであり、そこで紋次郎がやって来たために斬りかかったのだ。紋次郎は、傷を負った常平の手当てをしてやった。
 勘違いとはいえ命を救われた形となった常平は、「この礼は、いつかきっと返させてもらいます」と告げた。紋次郎は気にしないよう言い含めて、その場を立ち去った。

 玉村宿にやって来た紋次郎は、お駒という女郎によって、強引に田丸屋という旅籠へ連れ込まれた。お駒が声を掛けると、2階から常平が姿を現した。常平は紋次郎が日光の裏街道を進むだろうと推察し、長い楊枝の渡世人を見つけたら連れ込むよう、懇意にしているお駒に頼んでいたのだ。
 お世話をさせて欲しいと常平が頭を下げるので、紋次郎は好意を頂戴することにした。常平が用意した部屋へ紋次郎が行くと、そこへ1人の女郎がやって来た。常平が接待のために用意したのだ。

 紋次郎が抱かない旨を告げると、女郎は汚い言葉で反発した。紋次郎は、自分が抱かなければ金を貰えないと彼女が考えているのだと察知した。抱かなくても金は渡すと告げると、途端に女は機嫌が良くなり、酒を頼んでたらふく飲んだ。
 紋次郎は、女郎が口ずさんだ歌を聞いてハッとなった。彼女の出身地を尋ねた紋次郎は、その女郎が生き別れの姉・お光だと気付いた。お光は13歳の時、女郎として売られていったのだ。

 お光が眠り込んでいる間に、紋次郎は金を置いて去った。街道に戻った紋次郎は、あの藁小屋を百姓達が燃やそうとする現場に遭遇した。聞けば、恐ろしい不幸を忘れるため、寄り合いで決定したのだという。
 お光は常平から紋次郎の出身地を聞き、自分の弟だと気付いた。彼女は「あの紋次郎は自分の弟だ」と得意げに吹聴し、仲間の女郎たちに生意気な態度を取るようになった。

 常吉が草鞋を脱いでいる下滝の巳之吉一家は、箱田の六兵衛一家との対立関係が悪化していた。巳之吉は紋次郎を助っ人に引き入れようと考え、お光の元を訪れた。巳之吉はお光に、紋次郎の説得を依頼した。
 お光は、自分が頼めば紋次郎は絶対に承諾すると自信を見せ、その代わりに報酬を求めた。30両の証文を用立て、小料理屋も持たせてやると言われ、お光は喜んで依頼を引き受けた。

 金蔵一味に追われた紋次郎は、逃亡を図った。行く先に役人が現われ、無宿者という理由だけで捕縛を申し付けた。紋次郎は抵抗せず、役人に捕まった。牢に行くと、他にも大勢の無宿者が捕まっていた。彼らもまた、大した理由も無く捕まっていた。それは将軍様の移動のための入牢であった。
 将軍様が東照宮に到着した後、彼らは釈放となった。役人は紋次郎に、玉村宿のお光という女が捜しているので言ってやれと告げた。

 紋次郎はお光の元へ戻り、13歳の頃に姉を捜すため家を出たことを語った。しかし見つけることが出来ず、旅を続けることになったのだ。そこへ巳之吉が現われ、すぐに紋次郎は彼が出入りの助っ人を頼むつもりだと察知した。
 紋次郎が断ると、お光は既に証文と引き換えに自分が承諾したと告げ、説得しようとする。紋次郎が証文は幾らかと尋ねると、巳之吉は100両だと上乗せして答えた。すると紋次郎は、必ず用立てすると約束し、「逃げるんだね」と罵倒する姉には答えず立ち去った。

 顔を潰された形となった巳之吉は怒りが収まらず、紋次郎を罵る言葉を吐く。それを聞いた常平は我慢ならず、紋次郎の名を騙って六兵衛を襲撃し、斬り捨てて逃亡した。世間は紋次郎の仕業だと考え、お光も弟がやったと自慢する。
 だが、常平が斬る様子を、下滝一家の代貸・庄十は目撃していた。巳之吉は、あえて真実を公表せず、紋次郎の仕業として放置したのだ。思い上がった態度を見せるお光にだけは、紋次郎が六兵衛を斬っていないことを告げた。

 六兵衛の兄弟分である金蔵は、巳之吉の元を訪れた。彼は、紋次郎の首を差し出すなら箱田一家は手打ちにすると持ち掛けた。巳之吉は真実を隠したまま、六兵衛の殺害犯として紋次郎を差し出すことを承諾した。
 一方、紋次郎は金を工面するため、賭場を回っていた。国定一家の賭場で大勝負に出た紋次郎は、ようやく100両を手にすることが出来た。

 勝負を見物していた常平が紋次郎に声を掛け、玉村宿には近付かない方がいいと警告した。そして自分が六兵衛を斬ったことを打ち明け、詫びを入れた。紋次郎は常平に100両を渡し、お光に届けて欲しいと依頼した。
 玉村宿に戻った常平は、お光が下滝一家へ行ったと知り、足を向ける。六兵衛は紋次郎を誘い出すため、お光に手紙を書くよう持ち掛けていた。お光は六兵衛が紋次郎を殺すつもりだと知りながら、その依頼を引き受けた。

 常平は下滝一家を訪れるが、騙し討ちに遭って斬り付けられ、100両を奪われた。瀕死の重傷を負いながらも、彼はお駒の元まで辿り着き、金を奪われたことを紋次郎に伝えるよう頼んで息を引き取った。お駒は必死で国定一家へ向かい、紋次郎に常平の言葉を伝えた。
 そこへ、お光からの手紙が届いた。手紙には、小料理屋を開くことになったので和解の話し合いを持ちたいとの旨が記されていた。それが罠だと知りながらも、紋次郎は玉村宿へと赴いた…。

 監督は中島貞夫、原作は笹沢左保、脚本は野上龍雄、企画は俊藤浩滋&日下部五朗、撮影はわし尾元也、編集は市田勇、録音は野津裕男、照明は中山治雄、美術は吉村晟、擬斗は上野隆三、音楽は津島利章。

 出演は菅原文太、中村英子、市原悦子、田中邦衛、大木実、待田京介、山本麟一、汐路章、月亭可朝、名和宏、賀川雪絵、有川正治、志賀勝、白川浩二郎、大木晤郎、川浪公次郎、平沢彰、西田亘、永田光男、伊達三郎、丸平峰子、林三恵、星野美恵子、小笠原正子、榊浩子、島田秀雄、奈辺悟、木谷邦臣、山田良樹、大矢正利、笹木俊志、宮城幸生、有島淳平、岩尾正隆、富永佳代子、牧淳子、泉春子、辻本綾子、三宅裕子、宮部昭夫、高谷舜二、古閑達則、松本泰郎、佐川秀雄ら。

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 同年6月に公開された『木枯し紋次郎』の続編(これは9月の公開)。
 監督は前作に引き続いて中島貞夫が担当。今回は笹沢左保の原作を離れ、映画オリジナルのストーリーが展開される。
 紋次郎を菅原文太、お駒を新人の中村英子、お光を市原悦子、常平を田中邦衛、巳之吉を大木実、文蔵を待田京介、金蔵を山本麟一、庄十を汐路章、まんを賀川雪絵が演じている。

 前作でもそうだったが、このシリーズにおける殺陣は今までの東映時代劇と比べると異質なものになっている。美しく舞う刀捌きではなく泥臭い殺陣だということは前作の批評で書いたが、紋次郎の戦いに対する意識も、今までの東映時代劇の主人公とは大きく異なる。
 かつての明るく楽しい東映時代劇では、敵が来れば主人公は必ず戦って倒そうとした。だが、紋次郎はそうではない。彼は基本的に、生き抜くために戦う。だから、まずは逃げることを考える。

 その意識は、冒頭シーンから顕著に示されている。
 金蔵の一味に尾行されていると気付いた紋次郎は、地蔵の前で立ち止まり、草鞋の紐を結び直すフリをして敵の様子を窺う。ここで今までの東映時代劇なら、チャンバラに突入するだろう。
 だが、紋次郎はダッシュして逃亡を図る。橋に辿り着いても、そこで戦うわけではない。橋の下に隠れて、敵が通過するのを待つのだ。

 紋次郎が生き抜くという目的を離れて戦うのは、クライマックスの戦いだけだ(だからこそ、そこが盛り上がるということもあるだろう)。そして、どの戦いにおいても、前述したように型を重視した「舞の殺陣」ではない。
 だから、普通の時代劇映画にあるような「敵の刀を自分の刀で受ける」という動きは無い。敵の刀は、とにかく避ける。そのために、かなり激しく動くし、走り回る。戦いの途中で逃げ出す奴はいるし、それを紋次郎が追い掛けることも無い。

 前作に引き続き、TVシリーズで見られるような紋次郎の人格が形成されるまでの物語だ。
 なので、前作の体験で完全に人間不信に陥ったはずの紋次郎は、今回も他人への優しさ、思いやりを見せる。ある意味では、また一からやり直しとも言える。
 ただし中島監督としては、「あっしには関わり合いのねえことでござんす」という言葉の持つ意味を深く追及しようという狙いがあったらしい。

 本作品でも、「関わりねえことでござんす」というセリフは用いられている。それは、お光から箱田の六兵衛を斬るよう求められた時に出て来る。
 つまり、ヤクザ同士の争いに対しては、既に関わり合いになることを避けるスタンスが確立されている。
 しかし一方で、不憫な女・まんや生き別れの姉・お光のためなら積極的に関わり合いになろう、助けてやろうという態度を見せる。そして、そういった類の「関わり合い」でさえも虚しさに変わるという筋書きが、この映画では綴られていく。

 まだ相手が姉だと分かる前から、紋次郎はお光を抱くことを拒んでいる。ストイックでクールなキャラということもあるが、そこもまた「関わり合い」を避けようとする性格の表れと解釈してもいいかもしれない。
 まあ、こっちからすれば、「そりゃあ相手の女郎が市原悦子だったら抱かないのも当然だろう」と言いたくもなるが、そこは目をつぶろう。

 藁小屋の母親との関わりからして、もう紋次郎の善意や優しさが仇になるという虚しさが表れている。
 藁小屋のシーンは、そこだけで終了してもいいぐらいだが、後で「恐ろしい不幸を忘れるために百姓たちによって燃やされ、それを紋次郎が見つめる」という場面を挿入し、さらに物悲しさを煽っている。雨宿りのために民家の傍らで佇んでいただけで百姓に騒がれ、そそくさと立ち去るハメになるのも物悲しい。
 ちなみに紋次郎だけでなく、常平も他人のために良かれと思ってやったことが仇となっている。

 この映画の中心にあるのは、もちろん紋次郎と姉の再会である。そこから、女郎となっていた姉が気持ちを入れ替えて人生をやり直そうとしたり、姉が弟を助けるために再び体を張ったり、そういった感動の姉弟ドラマにならない辺りが、この物語の秀逸さ。
 それによって、どうしようもなく暗い内容になっているものの、しかし作品としての質を向上させていると言っていい。

 お光は苦労に苦労を重ね、辛酸を舐めまくり、すっかり根性の捻じ曲がったアバズレになってしまった(酒を飲むために前借りし、身請け料が増えているという設定まである。)。
 汚い言葉を吐き、醜い態度を取り、金を得るためなら平気で何だってやるような女になってしまった。紋次郎が弟と知ると、得意げに言いふらして生意気な態度を取り、「あいつは私に足を向けて寝られない訳がある」と恩着せがましいことを口にする。
 すっかりズベ公である。

 しかし紋次郎の脳裏には、自分を守るために体を張ってくれた優しく温かい姉の姿が焼き付いている(まだ赤ん坊だった紋次郎が、自分が間引きされそうになった頃の出来事を鮮明に覚えているのは不可思議だが、そこは置いておくとして)。
 だから恩返しをしようと奔走するが、その思いは、すっかり醜悪になってしまったお光の心には届かない。姉のために証文の金を用意しようとするのに、「逃げるんだね、人でなし」と罵られる。「だからあの時放っときゃ良かったんだよ」とまで言われる。

 そこまで罵られても、紋次郎は姉のために行動する。姉が自分を殺そうと企む悪党とグルになっていると知りながらも、「自分が行かねば役立たずとして姉が殺される」と考え、罠の中へ飛び込んでいく。
 だが、けなげな彼の行動も、お光の歪んだ心は修正できなかった。お光は戦いの場で助けようとする紋次郎の腕を振りほどき、巳之吉に助けを求め、そして斬られる。

 紋次郎が必死になって工面した金も、お光の元には届かなかった。お光は紋次郎が金を用意したことさえ知らないまま、自分のために仕事を引き受けずに逃げ出した人でなしと思ったまま、死んでいく。
 この姉に対しては何の同情心も沸かないが、紋次郎の姉を慕う真摯な気持ちが届かない哀れさ、虚しさ、やるせなさは、痛いほどビシビシと伝わってくる。

 ひたすら暗いまま、何の救いも無いままで終わる話である。しかしモヤモヤしたものは残らないし、後味は決して悪くない。
 そういう表現が成立するのかどうかは知らないが、虚しさのカタルシスとでも言うべきものが、この映画には感じられる。

(観賞日:2007年10月14日)

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