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短編120.『作家生活12』〜小説は現代アートか?篇〜

 一聞いて十知る、ことが出来る分野が才能だ。

 現代音楽を構成する楽理はいくら聞いても分からなかった。日本語で話してもらっているのかすら分からなかった。

 百万遍繰り返し聴いた楽曲、擦り切れたレコードの山。一聴しただけで、その曲の骨子を掴み取るなんてこと夢のまた夢だった。ましてや、それをそのままアドリブで演奏するなんて。

 トランペットは吹けども吹けど上達はしていない。リズムはズレ、音はかすれ、息は続かなかった。

 アドリブなんて夢のまた夢。楽譜を追うことすら一苦労。

 そういったものは、訓練の賜物なのかもしれない。しかし、その訓練の場が与えられないところを見ると私には才能が無いのだろう。

 なにせ才能とは、引き寄せる力でもあるからだ。

          *

「何故、私の短編小説はこんなにも読まれないんだと思うかい?」
「それはセンセ、センセが天才だということの証明にはならしまへんのやろか?」
 鹿児島出身・薩摩おごじょの似非京都弁は今日も快調である。
「それはまぁ…そうかもしれない」
 担当くんは私を良い気持ちにさせた。口技を以てしない気持ち良さは久方ぶりだった。良い言葉とは気持ちが良いものだ。作家として改めてそれを実感した。

 ノートの切れ端に一筆描きで自画像を描く。それはまるでピカソが戯れに描いたもののようだった。ちなみに、短編小説のアイキャッチ画像は私が書いている。勿論、お分かりだろうが。
「最近は絵の才能まで開花し始めたからね。自分の底知れなさが怖いよ」
「センセも、”いけず”やわぁ〜。そんなに才能振りかざしてどないするおつもりどす?」
 …いけず、か。この女、男が言われたい台詞を熟知している。ツボを心得ている。そしてそれを、鍼の達人の如く的確なタイミングで以て突き刺してくる。悪くはない。
「私も顔出しNGにしようかな。バンクシーみたいに」他人に淹れて貰ったお茶は美味かった。「そうすれば謎が謎を呼び、私の短編小説も人気が出るのかもしれない」
「作品は歴史的文脈の中に置かれてこそ、どすからねぇ」
 正論だった。

「私もそのうち便器にサインしただけで論争を巻き起こす人物になるだろうな」私は文学界のマルセル・デュシャンだった。
「ほな、ウチのトイレにもお願いしますぅ」
 全く可愛いやつめ。
「どれどれ、早速お邪魔しちゃおうかなぁ」
「あ、それは大丈夫です。ホントに」
 標準語が出た。敬語だった。突如として、とてつもない壁が目の前に建設された。
「ごめん…」
「堪忍してほしいわぁ、ホンマ」
 担当くんは笑いながら言い直した。私は、京都弁で笑いながら話される『堪忍して』といえば『もう堪えられん!』という意味だということを知っていた。


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