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【子ども時代のちーちゃん②】青い靴事件で勃発するちいちゃんの抵抗

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介もぜひご覧ください)
このシリーズでは、「ちいちゃん」という1人の女の子の成長を振り返ります。前回に続き、幼少期から思春期を経て自立の時を迎える中で次第に大きくなっていく心と体の性の違和感についてお話しします。

私は31歳のとき、性別適合手術を受け、身体を心の性(男性の性)に近づけました。

自分の身体的な性別と、自分の性自認が一致しないことに初めて気づいたのは、幼稚園の時の「初恋」がきっかけでした。女の子の自分が、女の子を好きになるなんて、何か変だなと考えた結果、「女の子が好きになるってことは、自分は女の子ではなく、実は男の子なんだ!」という結論に達したのです。

ただ、幼稚園児の「自分は女の子ではなく、男の子だ」という気づきは、その後、しばらく、私の中で大きくなることはありませんでした。スカートよりも男の子が着る戦隊もののキャラクターがプリントされたT−シャツに憧れながら、母親から、同居する祖父母から、「フランス人形のようにかわいいちいちゃん」として育てられてきました。

そんな私が、「自分は男の子なのだから、男の子として生きたい!」と思い始めるきっかけとなったのが、小学校4年生のときの「青い靴事件」です。

ある日、学校から家に帰ると、玄関の棚の上に、一足の真新しい子ども用の靴を見つけました。濃い青のベルクロスニーカーで、マジックテープの部分は茶色。世間一般でいう「男の子用」です。私には6歳離れた弟がいますが、弟が履くには明らかに大きすぎる。じゃあ、私が履ける!

この靴を見たときの、「欲しい!」という強い気持ちは今もはっきりと覚えています。私は母親に「あの靴、ちいちゃんが履く!」と言いました。ところが母親の返事は「ダメよ。あの靴は男の子用だから」。

えー!どうして!? 弟はまだ履けないし、父親が履くわけはもちろんない。だったら、私に履かせてほしい。こんなに気に入っているのだから! 私は必死で食い下がりました。しかし、「あれは男の子の靴だから」と母親は取り合ってくれません。結局、青い靴は従兄弟のものになってしまいました。

これだけ「履きたい」という気持ちを伝えたのに、聞いてもらえなかった。その理由は「ちいちゃんは女の子なのだから、男の子の靴は履いてはダメ」。とても、つらい体験でした。でも、この事件をきっかけに、私は「自分の好きなこと、したいことはもっとはっきり言おう」と強く思うようになりました。へこたれるのではなく、負けん気が出てきたのです。「女の子とか、男の子とか、そんなこと関係なく、自分が好きなものを選ぼう」と思ったのです。

青い靴事件から多分1か月もしないうちに、私は「髪、切ってくる!」と1人で馴染みの美容院に走りました。そして、腰のあたりまで伸ばしていた髪を、耳にかかるくらいの長さに切ってしまいました。青い靴を履けなかった「かわいいフランス人形ちゃん」の腹いせだったのかもしれませんし、自分がありたいと思うとおりにしようと決意した最初の行動だったのかもしれません。

その後の私はそれまで以上に、ジーンズやポロシャツなど、男の子が着るような服を選ぶようになりました。きっと、男の子に近づこうとし始めたのでしょう。

次回も、小学生の「ちいちゃん」について振り返ります。

【こちらのシリーズみあわせてご覧ください】

【特別編もどうぞ!】


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