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【子ども時代のちーちゃん⑨】 カミングアウトへの返事は「言ってくれてありがとう」

このnoteでは、LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。
高校時代の私ははじめて、C子に自身の性自認についてカミングアウトしました。C子は何を思い、どんな言葉を返してくれるのか。当時の私は緊張していたように思います。(これまでの私についてのストーリーはこちらから)

高校卒業を間近に控えた私は、大切な友人だったC子に、生まれて初めてカミングアウトしました。「私が好きになるのは、本当は男の子ではなく女の子。ただ、好きという気持ちは、女の子として女の子が好きなのではないような気がする。自分の心は男の子なのだと思っている」と手紙で打ち明けたのです。

翌日、C子は「返事、書いてきた!」と私に手紙を差し出しました。これまでにもよく2人でやっていた、女の子同士のたわいのない手紙のやりとりのような感じで。

C子からどんな返事が来るのか、きっとドキドキしながら待っていたはずなのに、細かい手紙の内容はもう憶えていません。でもこの2つの言葉ははっきりと覚えています。

「びっくりしたけど、そんな感じはしていたよ」
「よくわからないけど、でも、私に言ってくれてありがとうね」

C子が私のカミングアウトを深刻に受け止めて、「ちー、だいじょうぶ? ちーはこれからどう生きていくの?」と先行きを心配してくれたり、「つらかったんだよね。今まで気づいてあげられなくてごめんね」と何も悪くないのに謝ったりしていたら、きっと私は困ってしまったはずです。だから、「私に言ってくれてありがとうね」は、本当にありがたい言葉でした。

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(高校時代の私)

そもそも、なぜ、私はC子にカミングアウトしたのか。どんな言葉をC子に期待したのか。実は私にもわかりません。もしかすると、C子に何かを求めたというよりも、ずっと何者かわからないまま生きてきた自分について確認したかったのかもと今は思います。自分は女として生まれたけれど、心は男だと感じている。私のような存在を社会が受け入れてくれるのかどうか不安だし、わからないけど、でも、自分はそんな存在なんだとC子に伝えることで、自分自身で確認したかったのかもしれません。

だから、私にとって、初めてのカミングアウトに対する返事は、「私に言ってくれてありがとうね」という言葉で十分だったのです。

カミングアウトの後、高校卒業までの数日間、私がC子とどんなふうに言葉を交わしたのか、具体的なことは憶えていないんです。でも、卒業してからも月に1回くらいは会って、友人として楽しい時間を私と過ごしてくれました。私の性自認や性的指向はどうであれ、C子にとっても私は変わらず友達でした。

C子へのカミングアウトから10年以上が経って、私が性別適合の治療を行い、身体的な性が男性に近づいたときに「カミングアウトされたときどう思った?」と聞いたことがあります。C子は、なぜ今さらそんなことを聞くのかといった様子で「うーん……覚えてないよ」と言いました。いつも目の前の私を大切にしてくれているC子にとっては、きっとそんなことはどうでもいい過去なのだろうなと思いました。

私は、初めてのカミングアウトを、大切な友人に受け止めてもらうことができました。しかし、私たち性的マイノリティにとって、カミングアウトは文字通り「命がけ」です。そして、だれもが常にカミングアウトを望んでいるわけでもありません。次回は「カミングアウト」について、私の考えをお話しします。

【これまでの物語もマガジンでお読みいただけます】


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