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茶ノ湯の掛物;015 漁夫生涯竹一竿

漁夫生涯竹一竿
ぎょふのしょうがい たけいっかん

四朝高層伝の語で以下のような対句になっています。
「山僧活計茶三畝、漁夫生涯竹一竿」

山僧はひとりの僧侶という意味です。
つまり「山僧活計」とは
普通のありふれた禅僧の生き方、生活のことを指すようです。

三畝はそのままで、3つの畝です。
小さな畑です。

禅僧の暮らしは茶の木を植えた小さな畑があれば、それで充分である。

という意味だそうです。

同じように、

漁師の暮らしも竹の竿が一つあれば、それで十分である

ということになります。

必要以上に、ものがあるから、迷いが生じてしまうとのことです。

足りていることを知ることが重要である。
と改めて気づかされます。

私たちの暮らしは、既に戻れぬほどに
モノにあふれ、暮らしているように感じながら
実は、モノのほうに、使われているかもしれません。

隙間という隙間の時間を、
空白は悪だといわぬばかりのスケジュール。。。

ここはひとつ、立ち止まって
必要なものだけ手にもって
自分のペースで、歩んでいきたいものです。

そして、いつかは、
竹の竿も投げ捨てて、縁側で日が暮れるのを見ながら
茶でも飲むのです。

そういう暮らしを夢見て、
日々に飲まれないように
日々を自ずから生きていきたいです!


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