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正論ばかりの人は要らない

正論って、道理の正しい議論の事。
と辞書にはあります。

正論って言うのは、正しいことです。
理にかなった言葉。
隙もなく、間違いのない言葉。
そういう風に感じます。 

ただ、隙のない言葉には棘しかないのです。

会話の中で、正論ばかりを並べ続けるやり方がありますが、これをすると相手の人は疲弊してしまいます。

このことを理解してる方は世の中にどれぐらい居るでしょうか?

棘のあるものをイメージすると、私は真っ先にサボテンが出てきたのですが、もしキャッチボールでサボテンを投げられたらあなたは相手に対してどう感じるでしょうか?
そういう事なのですよ。

伝える側として、正論で話すのは相手を説き伏せる話し方の一つです。

でも話を受ける側としては、納得できれば良いのですが、納得できない場合もあるのです。

具体的には、「自分の考えと合わない」、「自分のやり方が否定された」と言う捉え方をされます。

何度か正論を伝えるぐらいなら問題ないのですが、これを続けていると受け手としては「相手から人格を否定されている」ように捉える場合があります。

実際に私がそう感じたこともありましたから。

こうなってしまうと、人間関係は崩壊している状態で、コミュニケーションとしては失格なのです。

このようにならないために、どうするべきか?
伝える側が相手を受け入れるようなフレーズをつけて、そこから自分の話をぶつけるのです。

「なるほど、そういう考えもありますね」
「今も良いと思うのですが、より良くするために、こんな形はどうでしょうか?」
「元々今の形だったから、お気持ちはわかります」

このようなフレーズを一つ挟むだけでも、相手は自分のことを受け入れてくれると考え、多少なりとも心を開いてくれるのです。

「正論を言うな」と、私はひとことも言いません。話すのは問題ないのです。

問題なのは、使い過ぎること。

相手に正論ばかりをかざすと、その言葉には重みしかありませんし、人としての面白さも感じないように相手からは見えるのです。

受け手は、耳の痛い正論に対してバリアを作りますし、それに対抗しようと考えます。
正論をかざす相手に対して身構えますし、話をそもそも受け入れないと言うことだってあります。

こうなると、人間関係もままならない状態です。

言葉の話を少し書くと、日本語には他の言語にはない豊かな表現力があると私は信じています。
日本人の私でも知らない表現ばかりです。

この表現力を活かして、そしてうまく相手の気持を考えて、正論の前後に柔らかい表現を織り混ぜながら話すようにしたいものです。

時には柔らかく、時には正論で。ですよ。

もし、自分が正論ばかり話しているのであれば、相手の立場に立った伝え方を研究してみましょう。

あなたのやさしさが、やさしい社会を産みますからね。

最後に私が思ったことを、Twitterで呟きましたので共有しておきますね。
ちょっと表現は強いですが。


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