突発的なさんぽ
寂れた駅だった。駅の回りの店は全てシャッターが降りており、幼稚園だった場所には可愛らしい似顔絵が薄汚れて張られている。それがかえってこの場所が取り残されていることを浮き彫りにしていた。
ここには明るい気持ちにさせてくれるものがなにもない。
何かないだろうかと少し歩いてみる。
やはり全体的に寂れており、手入れの行き届いていない木々や、野良猫を見るたびに劣悪なノスタルジーを感じてしまう。
完全に取り残されていた。
帰ろう。
たいして歩いていないのにそう結論付けた。
700メートル左に図書館なんて看板を見つけたのでいってみようかなどと少し思ったが、そんな気持ちすら萎えさせてしまうものがここにはあった。
駅へ戻る帰り道、わずかな抵抗と違う道を選ぶ。
それでもやはり悲しいものしかなく、よくわからない宗教の建物をみてはっきりと見切りをつけた。
悲しいぐらいあっさりと駅に戻ってきた。
見納めだろうと周囲を眺めてみると、不自然さを感じた。駅から出たときには気がつかなかったけれど、駅の壁は周囲と異なり新しい。
汽車の頭が三つ程壁にインテリアとして飾られており、小さな鐘が少し左上に。
ここだけ見ると若い女の子が写真を撮りに来たくなるような風景である。
それだけに周りの陰気な景色との違和感が凄まじかった。
そして悲しかった。
駅の改札に向かおうとしたが、ふと線路下の地下道が目に入った。ずいぶんと新しい地下道でこの先にはもしかしたらとあるわけのない期待を抱かしてくれるような道であった。
そういえば駅から出るときにこんな道があったような。あまりにもあからさまなのであとにとっておいたのだ。それをすっかりと忘れていた。
もう二度と来ることはない。そんなつまらない理由で地下道へ歩き出した。
見た通り道は綺麗で、証明が両斜め上に均等につけられている。アニメの一シーンにすれば映えそうだなんてしょうもないことを考えしょうもないノスタルジーを感じてしまい思わずため息をはく。
道を抜けると小綺麗な大型マンションの入り口が待ち構えていた。一階には商業施設があり、その上はマンションとなっているありがちなマンションで、そのあまりのありがちさに失笑がこぼれそうになった。
自分自身も大学時代親の金でそんなどうでもいい場所にすんでいたと言うのに。大学時代を思いだし少し気分を害する。あそこには停滞以外なにもなかった。別に今さらそれをどうこういうつもりはないけれど、進んでおもいだしたいものではない。
マンションの向かって左手は思いの外開けており、陰鬱さこそ感じないがどこか空虚な気持ちになる。なんと言うか、あるべきものがないことが当たり前になり、ないことが当たり前になっているような気がしてしょうがない。
少しだけと歩いてみると、広いグラウンド。サッカーの試合ができそうな芝に少しだけ気分が上がる。
一歩、二歩、三歩。
見えたドラッグストアの姿に私は駅へと歩き出した。
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