北条民雄 「いのちの初夜」 を読んで

みなさん、こんにちは。北条民雄の「北条民雄集」から「いのちの初夜」を読んだ感想を書いていきます。

あらすじです 

※ネタバレを含みます

23歳の尾田高雄が病気で入院するため、病院へ向かうところから始まります。病院は東京から人里離れた場所にあり、周囲には何もありません。まるで雑木林にでも迷い込んだように暗く、静かなところです。彼はなぜ、そのような世間から隔離された病院へ行くのか。

その理由は、彼の病気にありました。

その病気とは

ハンセン病

という病気です。

尾田の時代(明治後期から昭和前期)はハンセン病の治療薬や治療方法がなく、不治の病とされていました。「らい」という菌が皮膚や身体、神経などを蝕み、皮膚に白か赤の斑点ができるところから始まります。痛くも痒くもなく、触っても感覚がないのが特徴です。

今は治療法があるので完治しますが、ほっておくと、皮膚が変形したり、痛みや出血、膿が出るなど重い障害が残ります。下手すると、患部から全身に広がって腐り、その患部を切断する可能性があります。

病院に着くと、スタッフが現れます。そして、罪人を逮捕したかのように、尾田に多くのことを質問していきます。尋問のような面談が終わると、「消毒します」と言って個室のような場所に案内され、湯船に入らされます。そのときのスタッフは彼を横目で憐れむように見ていました。

怒りと悲しみが彼の心を襲いましたが、ぐっと我慢し、スタッフの指示に従っていきます。着換えが終わると、彼の目の前に一人の男が立っていました。

「どうも、佐柄木と言います。今日からあなたの付添人となりますので、よろしく」

佐柄木さんは5年前からこの病院で過ごしていました。彼もハンセン病です。片目には義眼が入っています。それでも、身体は動けるほうで同じ病室のハンセン病患者のお世話(食事介助、トイレ介助、薬を塗ったりなど)をしており、当直者の役割をしています。

尾田は佐柄木さんと話すようになりますが、病院の様子やルールといった単純なことばかりの話題で、佐柄木さんに過去のことを尋ねても笑うばかりで何も話してくれませんでした。

ある日、尾田は病院の外を出ました。彼は病院の中の、独特で異様な雰囲気に耐えられませんでした。

「もしかすると、俺は死ぬまで、ここで過ごしてしまう恐れがある」

という恐怖感に襲われ、逃げてやろうと決心しました。

「俺はやはり、死ぬしかないのか」

雑木林の中にある大きな木の枝と握っている帯(病院で貰ったもの)を交互に見ていました。

ハンセン病患者は当時差別され、世間から除け者扱いにされていました。人間的な生活を送ることができず、罹れば、隔離病院に運ばれる。まさに、流刑地のような感じでした。

尾田はハンセン病になってから、

大きな木の枝を見るたび「首をつって死ぬ自分」

道路や線路を見るたび「馬車や電車に惹かれ死ぬ自分」

薬局を通るたび、睡眠薬を名前を思い出し「大量摂取で死ぬ自分」

というネガティブな思いばかりが、頭の中をよぎっていました。

「丈夫な枝だな」

と枝を揺らして確かめると、尾田は帯を枝に結び、首にかけてみました。そのとき、生と死について深く考えます。そのとき、誰かが近づいてくる音が聞こえました。それにビックリした尾田は履いていた下駄が落ちてしまいます。と同時に彼はバランスを崩し、首が帯にきつく締まります。

「あああ、死ぬ、死ぬ」

彼は宙ぶらりんになり、もがき苦しみますが、彼の足が下駄に届いたおかげで助かります。

「俺は結局、どうしたいんだ」

様々な思いが彼を襲います。

死にたいと思いながらも、いざ死にそうになると怖くなる。そのうえ、再び帯に首を入れる勇気がない。

病院の中は、患者のうめき声や血や浸出液の異様な匂いで溢れ、ベッド上には患者が泥人形のように並べられ、動けず、も絶え苦しみ、死んでゆく最期。

地獄絵図のような世界に戻りたくない。いずれ自分も、そうなっていくのか。しかし、普通の一般人が多くいる社会に戻っても、自分のことを妖怪扱いされ、差別される。

という、どっちを取っても救いがないことに対して、パニックになっていました。

「尾田さん」

声のほうに振り向くと、佐柄木さんが立っていました。どうやら、パニックになりすぎて気付かなかったようです。

「尾田さん、気持ちは分かりますよ。僕だってそうでしたから」

尾田が雑木林付近でやっていたことや考えていたことは、ここの病院に運ばれた当初、誰もが陥ることだと話してくれました。

「尾田さん、今はハンセン病患者になりきるしかないんです」

佐柄木さんは尾田をじっと見ます。

「大変失礼なことを、あなたに言うと思いますが、同情のある慰めは僕にはかけられません。なぜなら、同情ほど愛情から遠いものはない。そう思うのです。そのうえ、お互いに傷を舐め合っては、何が生まれるのでしょう? あとでそんな嘘がばれたら、絶望してしまうかもしれません。死に急ぐかもしれません」

尾田は佐柄木さんの説得力のある言葉に、思わず黙ってしまいます。

「尾田さん。前へ進む準備をしましょうよ」

「準備というのは、ハンセン病になりきるということですか?」

「そうです」

この病院で過ごし、ハンセン病と向き合っている佐柄木さんが大きく見え始めます。

「病院にいる人たちを見ると、容易に死ねないという事実に、屈服していきそうです」

「そうですね。ならば、一度屈服したほうがいいです。そうすれば、ハンセン病患者という眼を養うことができ、新たな自分が見えてくると思うのです」

「新しい自分ですか?」

「はい。道はいずれ、絶対にどこかあると思いますから。とりあえず、今日は疲れたでしょう、病室へ戻って休みましょう」

佐柄木さんに言われ、二人は病室へ帰っていきます。

その夜。尾田はある悪夢を見ました。それは、自分が火あぶりにされる夢でした。

夢から目覚めると、佐柄木さんが目に入りました。なにやら、机の上でノートに書き込んでいます。

「勉強ですか」

「いえ、そうではありません」

佐柄木さんはノートを閉じ、尾田と話をします。

「尾田さんは、どう思いますか? 病院にいる患者たちを人間だと思いますか?」

尾田はその言葉に、黙ってしまいます。

「尾田さん、この人たちは人間じゃありません。生命という、『いのち』そのものなのです。『人間』という殻だけが消え、『いのち』という生きものがぴくぴくと動き、生きているのです」

佐柄木さんの話によると、

ハンセン病になると誰もが、その人の人間は消えてなくなる、世間体や社会といった、浅はかなものではなく、廃人そのもの。と言います。

「それでもね、僕たちは不死鳥なんですよ。新たな自分と出逢えたとき、ハンセン病患者そのものの生活が得られたとき、再び人間として復活するのです」

「でも、苦悩や絶望が付きまとう恐れがあると思いますか……」

「尾田さん。苦悩や絶望がいつまでも消えない、訳があります。それは、ハンセン病を受け入れずに、立ち止まったまま生きている。だと思うのです。だから、あなたは復活するチャンスを逃し続けているのです」

佐柄木さんはそう言って、ノートを手に取ります。

「僕は文学的な才能はありませんし、小説もかけません。しかし、僕は眼が見えなくまで書き続けますよ。この人たちのように、いずれ動けなくなったとしても、きっと生きる道はあると思うのです。だから、尾田さん。ハンセン病になりきって、新しい自分に出会って下さい。そして、自分が今すべきことを見つけ、生きて下さい」

そう佐柄木さんは言い終えると、夜が明けていました。尾田はこの日を忘れないよう、深く心に刻み込み、生きる決心をします。


感想です


この作品を初めて読み終えた後、アトピー性皮膚炎が酷かった時期を思い出しました。

専門学校2年で20歳の頃。脱ステロイド治療をしている薬剤師の先生の元で脱ステロイドを治療を決意したあの頃です。元々、ステロイドの塗り薬を使ってアトピーの治療をしていました。

医者から「薬で上手にコントロールすれば怖くない」とよく言われました。なので、ステロイド軟膏、内服薬を信じて使いました。

しかし、赤みは無くならず、痒みも引きませんでした。

今思うと、「ステロイドをとりあえず、使って抑えましょう。上手くいけば治るかもしれない」という意味だったかもしれません。私のステロイドの強さのランクは上がっていく一方、やがて効かなくなりました。

何かあるたびにステロイドを使っていたので、

炎症か痒みが出てきたら塗る。

という対症療法にすぎなかった思いから、脱ステロイド治療を決意しました。

始めた当初、顔は血だらけで傷だらけ。人前で出せる状態で無く、銀行強盗や不審者のような姿で、頭にニット帽を被り目がギリギリ見えるまで被り、マスクを着けて外出していました。

やがて、始めてから二年、三年の頃。顔はパンパンに腫れ、浸出液が固まり、異様な匂いがしました。そして、寝たきり状態が何度か続きました。動くことも億劫で痒みと痛みの繰り返し。掻きむしって剝がれた表皮が辺りに積り、血が滲み出て全身、誰かに殴られたような感覚と傷だらけの身体でした。

「私は自分の身体を掻くために生まれてきたのか」

と考える日々が続き、10代後半から20代前半は生きた心地がありませんでした。

28歳の今。そういうことがありましたが、

それでも、私は生きている。少しずつ、前に進んでいる。

心と身体は落ち着き、生活を取り戻している途中です。

作者の北条民雄は19歳でハンセン病にかかり、離島にある病院で治療していました。しかし、23歳という若さで亡くなってしまいます。彼はその間、自分の思いや闘病生活、病院のことなど、日記にまとめたり、小説を一生懸命書いていました。その書いた小説が「伊豆の踊子」、「雪国」で有名な川端康成に認められるようになります。そして、メキメキと才能を開花させ、「いのちの初夜」という作品が生まれました。

その作品がやがて、文学賞を獲り、芥川賞の候補作に選ばれました。

おそらく、作品に出てくる尾田や佐柄木さんという登場人物は、北条民雄の分身かもしれません。

どん底に落ちても
社会から切り離されても
病気や事故で満足できない日々が送れなくても

それでも、私たち人間というのは

自分を受け入れ、愛する。そうすることで、新しい自分に生まれ変わり、その社会や世界を見る眼が養え、生活が始まる。

と生きづらさで悩んでいる人たちへ「生きる希望」を伝えたかったかもしれません。

私も少しずつ、アトピー性皮膚炎の患者になりきっています。

だから今は

「私は物を書くために生きている」

と思うようになりました。

もし、生きづらさで悩んでいるなら、実際に「北条民雄集」という本を手に取って下さい。読むと、言葉の一つ一つが、栄養剤のように深く心に入ってきます。

最後まで、読んで頂きありがとうございます。

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?