やっと観てきたので【リトルマーメイド 実写版】の騒ぎが始まってからずっと思ってたことについて書いた
今回の【実写版 リトルマーメイド】のキャストが発表されて、アリエルの肌の色についての騒ぎを見た時からずっと思ってきたことを書こうと思う。
以前からTwitterでは言っていたけど、ちゃんとした記事は実際に映画を見てから書こうと思ってたので、今になった。
まず映画の感想を軽く書いておくと、とても素晴らしかった。
ラストシーンを見た時、なぜこの挑戦を「リトルマーメイド」という物語の中で、それも実写でやろうとしたのかを理解出来た。
配役も完璧だった。
やはり、今回のアリエルの配役は正しかったと思った。
さて本題に入る。
今回の作品が騒がれ始めてからずっと思ってたことはこれだ。
─「自分が思ってるキャラクターよりも”目が大きい・小さいから”いやだ!」とか、「アニメより”鼻が高い・低い”なんて原作レイプ!」とは騒がないのに、なぜ肌の色だけそんなに騒ぐのか─
その役をするのにふさわしい才能、素質があれば、原作より鼻が高かろうが低かろうが、目が一重だろうが二重だろうが奥二重だろうが、身長が違おうが関係ないはず。
なら、肌の色は?
なぜ肌の色だけそんなに騒ぐの?
皮膚のメラニンの量が違うからダメ?はぁ?なんだそれ?
「君は全てにおいて他より秀でていて、この役割に相応しい素質があるけど、原作より”唇が薄い”からダメだ」とは言われないのに、なぜ肌の色だけそれを言うのが「当たり前」なのか。
なぜ「そうあるべきだ」「肌の色が違う人が出てくるなんて、もうウンザリ!」とすら言われるのか。
肌の色の違いなんて、顔のパーツの特徴や体格の違いと同じ一人一人の個性のひとつでしかない。
なのにどんなに努力しても、当たり前に肌の色で「君はダメだ、帰れ」と言われてきた人たちがいる。
昔は肌の色だけで全ての自由を取り上げられてきた時代もある。
今も、同じ人間なのに「お前は違うからダメだ」と言われ続けてる人がたくさんいる。
そういうのを「もういい加減やめようよ」というのが、昨今一部の皆さんが大嫌いでしょうがないポリコレのひとつだ。
こういう動きは最近色んなところで起きてる。
今までのやり方に何の違和感もなく過ごしてきた人にとっては「大きな変化」であり「必要に思えない変化」に見えるんだろうし、それを「無理やり押し付けられてるような気になるから嫌だ」と感じているんだろう。
人間は変化を嫌うからね。
変化を嫌がってる人達は、そのことで苦しんだことがないから「面倒だ黙ってろ」なんだろうし、その苦しみを「あるときから急に”自分や自分の家族や大切な人の苦しみ”になるかもしれない」とは考えてないんだろう。
あと不思議なのは、日本の多くの人って「自分も差別される側にいる」ていう自覚があんまりないよね。
自分たちが有色人種で、外国では差別を受ける側の存在だということを実感してない人が多い気がする。
今回のアリエルを嫌がってる日本の人は、もし「なんとディズニーで日本人がアリエルの役を勝ち取りました!」て華々しくニュースで言ってたとしても同じくらい嫌がる?
当然、日本人が今回のアリエルの役をやってたとしても世界中の人たちは同じように叩くよ。
それはそう。
だって肌の色が違うから。
黄色人種だから。
彼ら曰く、我々は黄色い猿だから。
どんなに才能のある素晴らしい人だったとしても、そうなる。
そういう海外からの意見を聞いて「それはそうだよね!日本人はアリエルになれるわけない!」て言う?
本気で、何も傷つかずに?
そして、今回のアリエルを嫌だということを”当たり前”とするのは、今後ずっと自分自身や、全ての若者や、これから生まれる子供たち全員がどんなに努力して才能を磨いても「君の肌は黄色いからダメだ。帰れ」と言われて”当たり前”と言ってるのと同じだよ。
ホントにそれでいいの?
ここ最近言われ始めたハラスメントに関することもそう。
今まで我慢してきた人が、少しづつ変えていって今やっと我々や次の世代の子達が「そういうのやめてください」と言えるようになった。
「ポリコレいやだ!今までのままでいい!」て言ってるのって、会社の女の子に「おやおや今日は生理かな?」とか言って注意されて「なんだ、冗談も言えないなんてつまらない世の中になったもんだ」つってるジジイと大差ないんじゃない?
今の変化を止めたとして、この先ソレが自分の身に降りかかった時に怒り始めても遅いよ。
そこから変えるのに何年かかると思う?
色んな差別や偏見や不平等に対して、これまでの長い年月をかけて色んな人達が戦ってきてくれて、やっと今この変化がある。
自分じゃなかったとしても、近くにいる誰かが生きやすくなりつつある。
今やっとここまで来てる、ということが沢山ある。
そういう今の変化は、ほんとに意味の無い迷惑なこと?
肌や髪や目の色や、生まれた場所、環境、性別、年齢、そんなの関係なくみんながヒーローにもヒロインにもプリンセスにもプリンスにも何にでもなれるんじゃないの?
自分が憧れる対象になるのに、誰かの許可がいるのはなぜ?
それが肌の色なんてもので決まるのは、当たり前?
これは、あなた自身の事じゃないなら、いつも隣にいる人や、街で自分に優しくしてくれた人や、よく行くお店の人や、これから出会う大切な人たちの話だ。
その人の苦しみを楽にするための変化が、そんなに迷惑?
あともう1つ。
差別心は誰にでもある。
私の中にもある。
どんなに差別について考えてる人でも、自分の視点に無いことに関して知らないうちに差別してしまってる事はあるだろう。
だからここで私は「私は差別してない、お前らはしてる」みたいな話をしてるのではない。
全てを無差別に受け入れろというのでもない。
まだ変わりつつある途中だから、そこまで完璧にはいかないよ。なんでもそう。
良いのも悪いのも変なのもある。
ただ「差別だと言ってる人がいるということは、差別なのかもしれない」「自分の当然は当然じゃないのかもしれない」「この意識を手放すことで、誰かが助かるのかもしれない」と思って立ち止まって考えてみることでしか、差別心というものを自分の中から取り除くことは出来ないのだと思う。
だから、1度考えてみてくれと伝えたかった。
完全に他人事では無いということも、伝えたかった。
「なんでこの人はこんなに訴えてるんだろう?」と人の話を聞いてみてやっと痛みがわかることもあるんじゃないかな。
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