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【テレビADを志望する方へ】テレビ業界からドロップアウトした男から、テレビ業界を志す方へ伝えたいこと #1

こんにちは。
僕は今、仕事を辞めてから4ヶ月が経ち、再就職をした25歳の男性です。
辞めた仕事は、テレビ番組のアシスタントディレクター。
いわゆる「AD」ってヤツです。
ちなみに局の社員ではなく、末端の制作会社勤務。
社会人3年目に入ってすぐに退職したので、丸2年という短い期間ではありますが、最高に苦しんだこの経験を伝えようかと思います。なんなら、全く別の業種に再就職をした今も尾を引いています。
再就職の件についてはおいおい触れますので、どうか読んでくれると嬉しいです。

兎にも角にも、テレビ業界を志す学生さん、子供がテレビ業界に行こうとしている親御さん、身近な人がテレビ業界に行きたがっている方、その他大勢のためになれればと思います。
あくまでいちADだった僕の体験談ですので、現役テレビマンの方々は読んでいただいても納得いかないかもしれません。ご了承ください。

【地獄への扉を開ける】思い出すだけでゾッとする、変な自信とプライド

遡ること7年、高校3年生の頃。
そこそこ強いサッカー部に所属していた僕は、特にメンバー入りしているわけでもなく。入部当初は「将来はサッカーで飯を食いたい」と思っていましたが、3年生になる頃には難しいことを悟りました。
理系ではなかったので、柔道整復師や理学療法など、メディカルスタッフとしては無理。かといってクラブマネジメントなど、経営の勉強をして、今から間に合うとも思えなかった(恥ずかしながら、定期テストではクラスの最下位争いをしていたのです)。
そこでサッカーとは全く別の道を探し始め、真っ先に出てきたのが好きだったテレビ
思いついた瞬間、18歳の僕はテレビの世界に行くことを決めました。
恥ずかしい話、そこそこ面白いことを考えられるタイプだと思っていたし、テレビを見ていても「俺だったらこうするのに」なんて偉そうな考えが結構浮かんできていたこともあり、「向いてるんじゃないか?」と、この上なく自信過剰な自己分析もしていたりもして。
そうと決まれば大学も、映像編集(Adobe premiere pro)やテレビカメラの操作、スタジオ収録など、テレビにまつわる様々な勉強ができる学科がある大学へ。ここまでは、将来が見通せていてかなり人生設計のできている18歳でした。

が、今になってこの時代を振り返ると、テレビの世界に飛び込むモチベーションのマックスが100だとしたら、多分60程度しかなかったです。しかし、変なプライドが邪魔して突き進みました。
思えばその時、テレビ業界にいる先輩や、ドロップアウトして大学教員に転身した先生に話を聞くべきでした。聞いてさえいれば、間違いなく先人たちはこう言ったでしょう。

「どんなことがあっても続ける自信があるのならやりなさい」


今の僕が当時の僕に相談されたら、間違いなくこう言います。

「自分で決めたのだから」「自分がやりたいんだ」と、無理やり思い込むことで、テレビ以外の生きる道を探すことから目を背けているのであれば、それは大きな間違いです。

「自分で決めたことは何があっても最後までやり通す」
耳触りが非常によく、とても綺麗かつ清廉さを感じる言葉です。
アスリート、敏腕経営者、天才医師など、世に言う成功者はこぞって、この言葉に忠実になれたからこそ今の立場にいると思います。

しかし、ことテレビ業界に飛び込む若者達にとって、この言葉は自分の首を強く、この上なく強く締めることになる人も大勢いるということを、#1では伝えたいと思います。

次回、もし反響があれば、自信過剰に陥っていた大学時代や、どんどん続けば、入社してからのアレコレを事細かに書いていきます。

テレビからドロップアウトをしてからというもの、25歳にして信じていた自分の生きる道を自ら封鎖し、他の道を探そうともしなかったせいで、対してやりがいを見出せていない今の仕事の合間にですが。

#! 完



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