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目隠しされても気づかない

我が家のレコーダーがなぜか朝の情報番組を録っていた。

1週間経ってからその事に気がつき驚きました。そして合点がいきました。どうやらこれは"小林賢太郎"のキーワードに反応したせいらしい。

小林賢太郎ファンとして、彼の情報を逃すまいとずっと以前に登録してたキーワードがこんなところで作動するとは。

オリンピック開閉会式のショーディレクターだった小林賢太郎は、大会組織委員会から7月22日解任されました。オリンピック開会式前日のことです。そのことを報じる翌朝の情報番組を、我が家のレコーダーは律儀にも録ってくれていたのです。

新聞にしろテレビのニュースにしろ、その日のうちに見なければあまり意味がないものですが、私はあの日小林賢太郎についてどんな放送がされたのか気になって見てみることにしました。1週間経ったからこそ気がつくことがある。そのことについて書いてみたいと思います。

* * *

解任騒動からの1週間はネットのニュースに振り回されました。そしてみずからその渦の中に飛び込んで何が真実なのか知ろうとしました。その中でいろんな芸能人のコメントも目にしました。

小林賢太郎氏のホロコーストを題材にしたコントは「不適切。許されない」

そう書かれたネットニュースの見出しを見て、かなり強い論調を感じました。続く記事の本文を読んでもその印象は変わりませんでした。

私はその人がコメントしたテレビ番組を見てなかったので、このネットニュースの内容がこの件について知る全てでした。攻撃的なコメントだなと感じたのを覚えています。

我が家のレコーダーが録っていたのは、まさにこのテレビ番組でした。

実際見てみるとおや?と思いました。それほど攻撃的に感じられなかったんです。コメンテーターとしてコメントを求められ、とまどいながら答えているように感じました。※個人の感想です。

実際の映像を見て、声を聞いて、伝わるものがありました。ただ言葉だけ抜き出すと私が見たネットニュースになるわけで、それは仕方ないことだけど、与えられた情報だけで判断するのは慎重にしたほうがいいと感じました。自戒を込めて書いておきます。

* * *

その勢いで私は当日朝の情報番組を片っ端から見てみることにしました。
※全録レコーダーなら1週間くらい遡って見ることができる。

あれ?これは?と思ったのが別の情報番組。他局では見られない映像が繰り返し使われてました。小林賢太郎の解任騒動を特集するコーナーで、その背景に小林賢太郎の謝罪会見のような映像が使われてました。

何だこれ?

謝罪会見ってあったっけ? いや、ない。じゃ何だこれ?

無精ひげを生やした小林賢太郎が、突き出されたマイクに向かって「釈明しているように見える」サイレント映像。

きのう"ショーディレクター"を解任された小林賢太郎氏

こんなテロップがその映像に入ってました。

謝罪会見の映像でなければ、考えられるのは過去のインタビュー映像。ただ知らない人が見たらこれは謝罪会見の様子だと勘違いするでしょう。1週間前の私なら気がつかなかったと思います。

解任されたのも事実だし、インタビュー映像も実際のもの。でもそれを組み合わせれば、謝罪会見風の映像を演出できることも知っておくべきだと思いました。※この番組を非難するものではありません。「謝罪会見時の映像」というテロップではなかったので。

事実を組み合わせれば、特定のイメージに誘導することは可能だし、事実の一部を切り取れば、その前後を知らない人は「切り取られた事実」だけ見ることになります。知らなければそれが「事実」と認識してしまいます。

* * *

いろんな事件や騒動が報道されるけど、大事なのは「元の情報」だと今回強く感じました。オリジナルの情報一次情報です。メディアが伝えるのは二次情報です。要約する際、メディアは情報を取捨選択します。人の意思が入り込むことなしに要約はできません。忘れがちだけど重要なことです。

視聴者や読者に忖度して分かりやすさを優先して、過剰に演出された情報を提供する場合もあります。悪意を持って情報を拡散する人たちだっている。

では私たちはどうすれば?

一次情報は大事だけど、すべての一次情報に目を通すのは困難を極めます。

解任の経緯を知りたくて、時系列に沿って調べてみました。発端がどこで、SNSでどのように炎上して、どんな情報の伝達がなされたか? そしてどんな人がどんな動きをしたか?どんなツイートがされたのか? 可能な限り読んで読んで読みました。たどれるものは全てたどろうと思ったんです。

ひとつのニュースをこんなに深く調べてみたのは初めてでした。

現代は情報消費社会です。よほど関心がなければ、私たちは検証することなく情報を受け入れてしまいます。そうすることが大量の情報を消費するための処世術だからです。私も同じように生きています。

ただその処世術には危うさがあることを知っておきたいと思うのです。

人は与えられた情報だけで、簡単に他人を断罪してしまう。
それが今回の解任騒動で感じたことのひとつでした。

* * *

海外メディアの反応を報じるその日のニュースで気づいたことがあります。

オリンピックの取材で日本に駐在する記者たちから、厳しいコメントが寄せられました。事の重大さを考えれば当然の反応です。

ただこんなコメントの仕方をした記者も わずかながらいました。

本当なら彼は大きな過ちを犯した
本当に彼がホロコーストについて悪いコメントをしていたとしたら不適切だ

"本当にそうだとしたら"というクッション言葉が入っています。一次情報を確認していない時点でコメントを求められたときの最善の答え方ではないか、と私は感じました。みなさんはどう感じますか?

”エクスキューズを入れる(事前に断りを入れる)” やり方があってもいいのではないでしょうか。

言葉がひとり歩きする世の中だからこそ、そう思います。

* * *

これから社会はどう変わっていくのでしょうか?

願わくば、誰もが生きやすい社会でありますように。

そのためのアップデートを怠らないようにしたいと、切実に思っています。

新しい価値観は、新しい私たちが、作っていきましょう。

いま見えてるものが全てではない。

その想像力が、私たちの新しい処世術です。


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