詩のようなコラム「はだか」
定食屋が好きだ。
雑多な定食屋が、白ごはんが、生卵が。
なんで好きか考えてみた。
どんなところが好きなのか。
気取らないところ、飾らないところ、庶民的なところ、もちろんそういったところも魅力の一つであると言えるが、食べてる人たちを眺めるのが好きなんだと感じだ。
銭湯と同じ感覚だ。食事をするシーンと言うのは、すごくプライベートな部分だけど、裸を見ている時と似ている?気がした。
つまり、食べている人たちの裸を、なんだか本来の生まれたままの姿を見ているように思えた。抱えてる日常や、悩みや、未来や、人それぞれに刻み込まれたものや、本質の部分が見えるような、そんな気がした。
わたしの頭の中は食事を進めながら忙しい。みんなの裸を観察するのに忙しい。
忙しい反面、誰かの下げ忘れた皿に乗った、山盛りのサランラップの残骸に密かにアートを感じる。そして自分の皿のサランラップの山盛りもアートだな、なんて考えたりすると、途端に騒がしかった頭の中は「無」になる。喧騒から離れた無が訪れたりする。
小洒落た店じゃ感じない。
居酒屋も感じない、ラーメン屋も違う。
定食屋で食べる姿、選んだメニュー、食べている姿、まるで裸だ。
人は皆、本当は見せたくなんかないはずだ。自分の裸。だが時々は見せてもいいと思えるんだ。そんな日は定食屋に行きたい。そしてみんなの裸も垣間見てみたい。
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