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感情と仲良くなりたい

近頃、自分の感情のメカニズムについてすごく考えてしまって。


喜び
というものは、一見聞こえが良く感じるけれど、実は一番危険だと私は思う。なぜなら、それはヨガをして学んだことだけど、喜びの裏側には必ず悲しみや怒りというものがあるから、いつまでも喜びに執着する事は良くないな、と思った。つまり喜びは、素直に受け入れながらもいつまでも残しておかず、自然と手放したいということ。

次に悲しみ。

これはとことん悲しくて悲しくて、涙が溢れる。真っ暗闇の中に私ひとり、音もなくて、まるでそこは世界の終わりみたいな、大袈裟に言うとそんな感じだ。明日なんて来るのだろうか生きていていいのだろうか、なぜ目が覚めたら死んでいないのかと、世の中の事が目に入らなくなって生命の大切ささえ見失いそうになって。

そして、怒り。

人間は怒りに支配されると奥歯をぎゅっとぎゅっと噛み締めて、そして眉間にも力が入って、目を見開いて瞳孔は大きくなって、自分で自分の心に声をかけても私の心は全く聞く耳を持たない。世間の人全てに怒りが向いて、全てが苛立ちに変わり、抑えきれない感情は爆発寸前になる。怒りに支配された私、の状態だ。

ふと考える。私が今まで経験した怒り、悲しみはなんだったのかと。本当に悲しんだんだろうか、怒ったのだろうか。そして、思う。悲しい、憤る、というのは本気で感じた時は「般若」だ。誰も止めることが出来ない恐ろしい感情だ。

恐ろしい感情の行き場は難しい。気分転換、などという言葉ではどこかに消えてくれないのだ。

気がついたのは、自分の感情に向き合えるのは自分だけということ。

誰かに慰められたから、励まされたからと言ってスッキリするわけではないのだ。確かに話を聞いてもらえるだけですごくありがたい。だけど、私の心を救えるのは私だけなのだ。

すごく難しいのだけど、少しずつ、自分から行動を起こすしかなかった。

心を開き、そして、目を開き、自然に触れたり、誰かに優しくしてみることが私にとっては徐々に本来の自分に戻るために必要なことだった。

悲しみと怒りのまま、籠ってなくて良かったと思った。心を開く勇気というのはとても勇気がいるのだけど、優しさというのはやはり自分自身をも救ってくれた、わたしはそう思った。

そして感じた事は、起きている大概のことは、人生で経験する一番どん底ではない。上の苦しみは存在しているということ。見なくても済むけれど、もし向き合うことが出来たなら、また一つ、自分のアイテムが増えたという事。

そのアイテムは「感情とお友達」かな。私のことがまた好きになるのだ。

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