予算を決めた。逆に太った。
太い人の楽しみは何か想像がつくだろうか?
そう、真っ先に頭に浮かんだそれで正解。
一片の迷いもなく、「メシ」である。
もちろん他にも楽しみはある。
友人と旅行に行ったり、ガールフレンドと映画を観たり、ひとりでキャンプをするのも好きだ。
ただ、そこにうまいメシが伴うと爽やかな桜風に吹かれたように一気に気持ちが華やぐ。
あからさまに口角は上がり、胃が新たな味覚を受け入れるために稼働率を上げる。
コース料理に例えてみよう。
ガールフレンドとの映画がメインとしたら、その後のディナーがデザートだ。キャンプにメシがなければそれはもうコース破綻である。
メシをメシで例えて紛糾するくらい、太い人はメシに囚われているのだ。
さて、とはいうものの、際限なくメシを食べていてはいくら金があっても足りないという当たり前の事実に気づき、試験的に1回の外出でメシに使う予算を決めることにしたのだ。
太っていること自体はそれほど悩んでいないのだが、健康ではいたい。
今の所、太い健康体が身近にいないので、安全側で動いていく。
これ以上太ることは避けよう。
予算を決めることにしたきっかけは、先日出かけた舞鶴車中泊だ。
諸々の無理がたたり、精神的に参ってしまった。
仕事がなかなか手につかないサイクルに陥ってしまい、物理的に逃避しようと着の身着のまま飛び出した。
太い人はその形状から、それこそメシのことしか考えていないと思われがちだが、その実態は違う。たとえ左脳で効率的な買い出しルートを思案していようと、右脳では将来の不安ごとや、うまくいかなかったことに思い悩む。
右脳と左脳の熾烈なトーナメントの結果、最終的なアウトプットとして勝ち上がるのが「爆食」という行動だというだけで、そのプロセスには細やかな感情の機微があるのだ。
結果よりもプロセスに目を向けて欲しい。
食うこと自体がインプット的な意味合いを孕んでいる。食うことはインプットとアウトプットを同時に行うというPDCAサイクルの円を点に昇華させる画期的な行為なのである。
そんな爆食の言い訳はさておき、この時も舞鶴に到着するやいなや、ラーメン唐揚セットを平らげてから、感動的に渋い風呂で贅肉をふやかす。
風呂に入れば、もう腹はリセットされている。
一日の垢とともに揚げ鶏も流されていったらしい。
ラーメン、唐揚げを食べたのに、「俺は夜はまだ食べていない」という賢者顔で改めて菓子や、唐揚げを買い漁る。
太っちょと唐揚げは運命共同体である。簡単には離してくれない。
夜のうちに朝飯も買っておいたのに、朝むくりと起きて、また朝飯を買う。
これが二重朝飯だ。
「お前は果たしてこれでいいのか?」
ホワイトガルボが半開きのパッケージから軽蔑の眼差しを覗かせている。
そんなこんなでメシへのお金のかけ方を見直す。
風呂とメシに小遣いの大半を使っており、風呂は一日に何度も入らない。
料金もそれほど変動がないので、メシへの金のかけ方を適正化できれば、今より旅に出られる回数も増やせそうだ。
ということで、この舞鶴車中泊のおよそ1週間後、もう一度同じ場所に車中泊に向かった。
この車中泊の予算はメシと風呂で3,000円とした。
まず、2日目の昼は諦めた。大人しく早めに帰って、ママの料理をいただくとする。
そして、風呂は町の銭湯であれば490円で入れる。となると夜と朝で2,500円も使えるぞ。やった。
今回も「道の駅 舞鶴港とれとれセンター」さんに世話になる。14時ごろには到着した。
道の駅での車中泊はグレーゾーンではあるが、ここでは多くの人がマナー良く車中泊している。周辺のお店に還元し、舞鶴の魅力を享受する拠点とするために甘えることとした。
ここは市場のようになっており、好きだ。
魚市場はとても好きなんだ。魚やカニやエビが所狭しと並べられており、水族館と同じように楽しめる。
調理道具は持ってきていないので、生魚などは買わず、キスの唐揚げと舞鶴ワンカップを買った。(この旅は写真がない・・・)
これで650円の出費。残りは2,350円。
酒はこちらの酒造のものだった。↓
その後、車内でゆっくりしたり、今後開始しようと思っているYouTubeの編集について勉強したりして過ごした。
17時ごろになり、道の駅から2kmほどの距離にある「若の湯」さんに歩いて行こうとするが、雨が何度も降ったり止んだりを繰り返していて、断念。
入浴料を500円に抑えたかったのだが、やむを得ず、車で「たかお温泉 光の湯」に向かう。入浴料800円は誤算だが、サウナにも入れ、気持ちよかったのでよしとする。
福知山温泉もそうだったのだが、京都北部はサウナの個人用マット的なのはないのだろうか。やはり見ず知らずの尻と床を共有するのは少なからず抵抗がある。どうせ汚いもの同士だから、という宗派なのだろうか。
残りは1,550円。
ここからが本番である。
何を食おうか。すでに18時を回っていたので、スーパーの半額惣菜をさらってやろうと思い、バザールタウンに向かう。
狙い通り、惣菜に30%OFFや半額のシールが貼られ始めている。
私と同じような有象無象が椅子取りゲームのように惣菜のまわりを取り囲み、「興味ないですよ」というような素振りを見せながら、横目で狙っている。しっかりと鼻の下も伸びている。
私は堂々と焼き鳥や塩ダレ豚丼、マカロニサラダなどをさらっていく。
しかし、これで500円もいかない。
朝飯用に50円ほどのおにぎりを2個とランチパックの下位互換的なパンを70円ほどで買う。ついでに夜と朝用のパック牛乳を買う。
やばい。まだ買える。
どばどばとアドレナリンが分泌されているのがわかる。
カレーどん兵衛とアルフォートを買う。
まだだ。まだいける。
季節の天ぷら盛り合わせ的なものが300円ほどで買える。
明らかにこっちを見ている。スリット入りの衣から白く、それでいてところどころ赤みを帯びた海老足をわずかにのぞかせて誘惑してくる。
一度手に取る。
内容物に素早く目を通す。海老のほかに謎魚、ナスやさつまいも、かぼちゃなどストレートなラインナップだ。
どうする。
これを買ったらきっと後悔する。太い人といえど胃もたれは避けられないだろう。
壊れたルンバのように惣菜コーナーをぐるりと周回しては、天ぷらを戻し、離れたと思ったら振り返って遠巻きに見つめる。そんな時間を過ごした。
天ぷらは、やめた。
でも、抜け殻になった私にあたたかな眼差しを向ける茶塊がいた。
牛しぐれ煮コロッケ、2ケセットだ。
喪失感に震える私の心の隙間にすっと入り込み、懐柔してくる。
しぐれているところが憎い。
しぐれてさえいなければと、断腸の思いで、買、う。
買い終えた。
約1,250円。パーフェクトだ。
私はこの旅を予算内に抑えることができた。
しかし、そこに不思議と喜びや達成感はない。
果たして、これで本当によかったのだろうか。
道の駅に戻って、車の中で宴会を始める。
机の上に並べたものを見て、私は懐疑的な気持ちになる。
・キスの唐揚げ
・牛しぐれ煮コロッケ2ケ
・焼き鳥2本
・マカロニサラダ
・塩ダレ豚丼
・カレーどん兵衛
・おにぎり2個
・ランチパックもどき
・パック牛乳×2
・アルフォート
・舞鶴ワンカップ
・持参ビール
・持参昼の残り冷ごはんおにぎり
予算を決めれば、強欲さが消え、食べる量も減ると思っていたのだ。
しかし、そこに並べられていたのはさまざまな形をした欲たちだった。
安飯を予算ギリギリまで買い込んでやろうという強欲さが働き、逆に太ったのだ。
できるだけ腹に溜まるものをという思考も働き、野菜系をひとつも買っていない。
愚かである。
しかし、これが私の現在地である。
予算を設けるのはアリだ。しかし、太い人にはもう少しボンレスチックな縛りが必要だ。
次はせめて野菜系を一品取り入れることにしようではないか。
トライアンドエラーの繰り返しで前進していく。
さらに食うことを前進とすり替えないよう細心の注意を払いながら生きていこう。
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