爽やか淡路ドライブで終わらず、暑苦しい火鍋でフィニッシュ。
早朝から予定があり、6時ごろに家を出て京都に向かう。
しかし、急遽消滅。
朝8時半にフリーとなった私は途方にくれる。
失意の私は、このままでは帰れぬと思い、30足のスニーカーを所持する女版佐藤隆太に「今から遊べないか」とLINEを入れる。
さすが多数の足を持っているだけあって、フットワークが軽い。
速攻で空白の1日を埋めてくれる気楽な人は本当にありがたい。
ちなみに最近家に百足が月1くらいで出没する。
足の親指と人差し指の間がチクチクすると思ったら、そこで百足が一服していた。
足数は多すぎると怖い。
だから女版佐藤隆太の足数も絶対半分に減らしてやろう、と決意している。
淡路島を目指す。
昼前くらいからいけるということなので、ゆっくりと京都から神戸を目指す。
もやもやを抱えているが、ラジオを聴きながらのドライブは、いつも少しだけ心を落ち着かせてくれる。
珍しく途中で何も買い食いをせずに神戸に辿り着く。こんなことは滅多にないことだ。
十中八九チキン的なものやカヌレなんかを買い、罪滅ぼし的に野菜ジュースをセットで買うのに。これからの爆食を察知し、腹が蓋を閉じたのだろう。
アントニーを無事迎え、どこに行こうかと秒で会議した結果、目的地は淡路島に決まる。神戸まで来たのだ。淡路はもう目と鼻の先である。
淡路島はもう5年ぶりくらいになるのだろうか。
前回もジモンと、もうひとり別の呑気じじいと穴子丼を食べに行った。
淡路島はちゃんと春らしい風が吹くので好きだ。
花咲スポットも多く、なにやら生命の息吹的なものをひしひしと感じる。
もちろんそんな自然にも惹かれるが、結局は味覚を求めている。
ど根性ガエルTを着ていないのに、腹が淡路の磁力に引き寄せられている。腹先行で歩く格好になり、足がもつれる。
大海を見て、私の中の若大将が疼き始める。
軽く2度ほど高速入口を見逃したが、結局は辿り着く。
高速の降り口を間違えただけで超絶怒られたことがあるが、間違えたって良いではないか。ゆっくり行こう。
久しぶりの明石海峡大橋。
雲の流れが早く、天気の移り変わりは激しいものの、橋を渡る際は、しっかり晴天だった。
水光の上を滑るように進んでいく船を横目に見ながら、だんだん心が広くなっていくのを感じる。心なしか眉が凛々しく、劇画タッチになっていく自分を認識する。今日は絶好の若大将日和である。
この時点ですでに自然と舌を下顎につけ、口を法螺貝状にしている自分がいる。
いや、口だけを法螺貝にしても仕方ない。体全体を伸縮自在の円柱にするイメージで腹を膨らまし、凹まし柔軟性を高めておく。
「う〜みよ〜」と口をついて出そうになるが、まだ若大将を出すには早すぎる。オープニングアクトが若大将のフェスはそうそうないだろう。
若大将を調べているとNFTを出している。
さすがPUNPEEや水曜日のカンパネラなど、今風のアーティストと積極的にコラボする精力的な人間だ。大きな男じゃ。
すかさず軽食を挟む。
自分の中に天使と悪魔以外に雄三がいたことに戸惑いを隠せないが、一旦雄三をしまい、まずは超人気の淡路SAへ。
ととたまスティックなる練って揚げたスティックを頬張る。
一応説明すると、ととは魚、たまは玉ねぎ。結構でかい。
これはなかなか脂ギッシュなナイススティックだった。
その後、テレビで東野が「めっちゃええやん」と大きな声だが、本心では思っていないような顔で言っていたハイウェイオアシスの無料たまねぎスープを求める。
小さな紙コップに注がれた黄金色の液体をありがたがってちびちび啜る。
もう少しほしい。だが、美学的に一杯にとどめておいた。
まだこれから色々なものを入れる腹だ。少しでも空けておこう。
鰆タタキ丼を食す。
ここからようやく昼飯である。
ダイノジ大地がしらす丼という妙案を提出してきたが、解禁2日前というアクシデント。カレンダーを呪いつつ、来年しっかり調べてから再訪しようと決める。
切り替えて、道の駅のレストラン「海峡楼 ミラドール」で鰆タタキ丼を食べる。
ミラドールとは展望台という意味らしい。
もちろんnobodyknows+の「エル・ミラドール」という曲を思い出し、調べ直した。すると正式タイトルは「エル・ミラドール~展望台の唄~」ではないか。そんなことは誰も知らない。
鰆は私の食用魚好きなルックスランキング上位に食い込む名魚だ。あの身と皮の一体感、皮に皺が寄る感じが否応なしにグッとくる。
ここ数年で生魚を食べられるようになった私は、あっさり系以外の魚はまだあまり得意ではない。若干不安ではあったもののこれは、臭みもなくぺろりと平らげられた。
食後に店の前の海を覗き込むと、何やら大型魚が回遊しているのが見えて嬉しくなる。
動植物好きの私は、特に魚が見えると結構機嫌が良くなる。綺麗な海の潮溜りなどは大好物で、小さい子どもに混じっていつまでもカニやヤドカリやアメフラシを探してしまうのだ。
さらに食い物を求めて南あわじへ。
基本的に目的地は全て食い物系である。南あわじの道の駅を目指す。
これまたアントニー(もうアントニーに統一する)の提案で、美菜恋来屋(みなこいこいや)という野菜や果物がたくさん売っている道の駅を目指す。
高速道路で南下しながら、左側に瀬戸内海が見える。
ドライブには音楽だ。私は日食なつこや奇妙礼太郎、ハンバートハンバートなどが好きなのだが、どうもしっくりこない。
そうか。
海と言えば湘南乃風だ。
湘南乃風をかけた瞬間、これまで爽やかだった風が急にもわぁっとした風に変わる。さすがタオルを振りまわす熱波師の走りである。
アントニーは学生時代女子だけのカラオケで湘南乃風を歌うというにわかには信じ難い話をしていた。黒に金のラインのジャージを着た男が愛を告白する時しか歌わないのではないのか。
spotifyで湘南乃風を垂れ流していると、突然船の汽笛のような音が聴こえてくる。音が聴こえづらく、あまり聴き取れなかったので、ボリュームを徐々にあげていく。
汽笛ではなかった。レゲェとはミスマッチなどこか間延びした人間の声だ。どうやら「う〜みよ〜」と言っている。
美菜恋来屋(みなこいこいや)に到着。物色。
美菜恋来屋(みなこいこいや)には、確かにさまざまなものが売られていた。
玉ねぎをはじめ、調味料やらジャムやら、コーヒーやら。目移りしてしまう。
相変わらず多くの商品がモンドを受賞している。
明らかに地元のおばあさんたちが丹精込めて作り、ひとつひとつ手作業で詰めたであろう山椒の実の佃煮なんかに金のメダルシールが貼られていることもあり、逆に購買意欲を削がれる。
そう感じるのは私のようなひねくれものだけだろうか。
調べると、モンドは絶対評価だから受賞点数が多いようだ。
こういう場所では収集つかなくなり、いろいろと買いすぎてしまうので慎重に、モンドよりも厳しく選定していく。
最終的に真っ直ぐ新玉と、玉ねぎジュースという変わり種、そしてご当地グミ的なものを買う。
玉ねぎジュースはその場で飲む。
まごうことなき玉ねぎジュースである。「えっこれ玉ねぎなん。うま。」「えまじで、私も買えばよかった」的な意外性はなく、シンプル玉ねぎエキスが血管をサラサラ素通りしていく。
ねちこい血液の一部がジュースに置き換えられたようで気分はいい。
優雅な朝食を食べたいと言い出す。
土産物を買い終え、美菜恋来屋(みなこいこいや)を後にする。
しかし、カフェオレベースを購入し、優雅朝食モードに突入したアントニーが良いパンを買いたいと駄々をこねる。
いつものことである。
連想ゲームで摂取したいものを導き出し、金に糸目をつけずに購入していく。スニーカーと同じだ。飽和するまで買わないと気が済まないのである。
訪れたのは田園地帯の中にあるプレハブ建物におしゃれ入口が特徴的な白猫屋。
もう16時ごろだったのであまり種類はないものの、インテリアのセンスも申し分なく、将来飲食店をやりたい私としてはココロオドル。
私は今回は遠慮しておいたが、アントニーがコーヒーか何かが練り込まれた食パンなどを購入していた。羨ましい限りである。
ホクホクして次の目的地を目指す。
愚か者たちの巣窟、たこせんべいの里へ。
たこせんべいの里に到着。
一瞬間違えたかと疑った。ここは印刷工場の居抜き物件なのだろうか。驚くほど里感が薄い。
飲食物を取り扱うにしては無機質なルックスに逆に心惹かれる。
中に入るとそのレイアウトに圧倒される。
建物の半分ほどのスペースが休憩場のようになっており、天井からボリュームのあるボタニカルが吊り下げられている。
半分がせんべいの販売スペース。どこかコロナの接種会場のような事務的な密度を感じる。
その一画に妙にピーピーと音が鳴り、人の列ができている場所がある。
試食エリアである。
20種類以上はあっただろうか。
抗菌ケースに種類別に格納されたせんべいたちが並ぶ。このせんべいの住宅街にミニトングとティッシュ1枚を携えて、1軒1軒訪問していく。
訪問のたびに自動で開閉を繰り返す蓋。無限に繰り返されるその動作を支える蝶番の耐久性に驚かされる。
これが日本版のハロウィンである。
せんべい行脚を終え、自分の手中に収まりきらない成果物としわくちゃになったティッシュを見て、なんとも言えないやるせなさが湧き上がってくる。
もうどれがどれだかわからないせんべいを食べながら(ただどれもそんじょそこらのせんべいとは一線を画すうまさ)、ミニトングを持った有象無象を眺める。
自分もこの光景の一員だったと思うと、みぞおちのあたりがスゥッとするような、恐ろしい心地がした。
ここは何も買わずに無料コーヒーでシメて失礼する。申し訳ない。
そろそろ神戸に戻る。
そろそろ神戸に帰ろう。
サンセットにはまだ早いが、空は着実に夜に移り変わるグラデーションの表情を見せつつある。
帰りは下道で、より海に沿って帰ることにした。
「こっちから帰ろう」そう提案する自分の声が、どこかフォッフォ感を纏い始めているのを感じる。
海が呼んでいる。出したくなくても自分の中の雄三が疼き始める。
「歌っちゃいなよ」と囁いてくる。
自分の中の天使と悪魔はそれが良いことなのか悪いことなのか判別がつかず、自分は勧めるべきなのか、止めるべきなのかあたふたした末、泡を吹いて倒れた。
空とリンクして雄三へとグラデーションで変わっていく自分。ごくりと唾を飲み込み、肺いっぱい吸い込んだ空気に「う〜みよ〜」を乗せた。
気持ちいい。
なんの力みもなく、スムーズに声が伸びていった。
ただそれだけである。
明石海峡大橋に差し掛かる。
淡路側から神戸側をみると、建物の犇き具合に何か恐ろしいものを感じる。
今夜は私は神戸に車中泊。
と思って、リサーチしておすすめに出てきた駐車場的なところに車を走らせたが、どうやらただの駐車場だ。車中泊は禁止ぽかったので、ここに車だけ停めて常宿に身を寄せることにする。
火鍋が始まる。
ドライブだけでは私たちは決して終わらない。
夜もしっかり楽しもう。
火鍋だ。
血や老などの字が店名に含まれている。意味はよくわからないが、それだけでジャパンナイズされた店ではないことだけははっきりとわかる。
案の定店内はむせ返るような異国情緒が充満していた。
臆することなく、とりあえず火鍋を頼む。激辛で。
そしてもう一色はトマト味にした。
やってきた鍋をみて、目がショックを受ける。
何かの祝い事か奉納か。
正月の祝い箸然とした仰々しい帯が巻かれた大鍋がでーんと現れる。
そしてウォーターリングを3×2くらい並べたような見た目の干し豆腐?や、きゅうりの薄切り、アヒルの血を固めた鴨血などが運ばれてくる。
ゲテモノをそんなに得意としていない私は狼狽するが、そうも言っていられない。とにかく食べていこうではないか。
何がなんだかなのでタレ作りを店の若旦那に一任する。
私だけかもしれないが、メガネの中国人男性は全員一緒に見える。私も太いというだけでローソンの前でLチキ食べてたよねとか、無印の人ダメソファで寝てたよねとか別の太い人の罪をなすりつけられるから同情する。
にんにく、パクチー、油、ネギ、ナッツなどを組み合わせて特製タレを作ってもらう。ここに少し鍋のスープを少し注いでタレは完成だ。
実食。
「意外といけるわ」「見た目ほど辛くないね」のような会話はなく、2人とも斜め45度上を向いてゴーっとギザギザの火を吹く。
ビールだけでは辛味に対峙できず、ライスも注文する。
鴨血のたった1バウンドでRED RICEと化した米。
こぼした牛乳を吹いた雑巾がもはや饐えたミルキー臭を拡散するだけの布切れになるように、この米もまた辛味を紛らわすものではなくなり、辛さを助長させる鬼と化す。
たまらず、マイルドタレを自作しようと多分先ほどと同じ旦那に皿2枚を頼む。
OKOKと言っているので、伝わったと思っていたが、素の皿を持ってくるにしては時間がかかっている。
嫌な予感がした。
中国人客たちの会話をシャットアウトできる周波数に耳を合わせ、丁寧に音を探っていくと、背後からかすかにカチャンカチャンと小気味良い音が聞こえる。
とても聞き馴染みのある音だった。
気づいた時には旦那特製の辛ダレがもう1皿目の前に鎮座していた。
仕方なく、まだまだ満水状態の1タレ目の器に2タレ目もすべて移し替える。これがダムなら当面安泰だ。たっぷんたっぷんと湛えている。
2タレ目を移し終えて空になった皿に無垢なナッツゴマだれを自作する。
しかし、無垢すぎて染まりやすい。底に残っていた赤みを即座に獲得し、火照り始めている。
救いのトマト味側もすっかり寝返ってただの辛鍋に成り下がっている。
トマトのしゃれこうべがぷかんと浮かんでいた。
本来、食べ物を残すのは絶対にやりたくないのだが、少し食べきれなかった。かなり頑張って食べたが、、、すいません。
得たいの知れないものを食べる時はもう少し置きにいきながら注文しなければと心に刻んだ。
常宿へ。
火鍋中ほぼ会話がなかったので、夜カフェに移動し、少し話して解散する。
ここは3軒目とかにかなりちょうど良い。気に入った。
昔はグリーンハウス、グリーンハウスという人を小馬鹿にしていたが、かなり良いな。
私はもはや常宿と化した「神戸クアハウス」に向かう。
湯で辛味を解毒し、眠りについた。
これで今回の旅は終わりである。
そういえば、アントニーから燻製器がいらないというのでもらった。
今度はこれで手軽な半燻でも作ろう。
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