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フィリピンで見た心が通う瞬間

あれは私がフィリピン留学中の出来事だ。その日は学校が休みで、友人と近くの島に遊びに行くことになっていた。フィリピンにはたくさんの島があり、旅行となると船で移動するのが恒例だ。

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その日も船乗り場の待合室で島行きの船が来るのを待っていた。待合室はテニスコートくらいの大きさで、5人くらい座れる長椅子がたくさん列になって並べられており、そこにほぼ満員の人が座っている。
フィリピンの気候は暑すぎるため、外で待つという選択肢はほぼ無い。もちろん私たちも待合室でベンチに座っていた。

そこにお揃いのポロシャツに黒のパンツを履いた、15人くらいの集団が入ってきた。みんな楽器のようなものを持っており、並べられたベンチの1番前に立つと、挨拶があるわけでもなくいきなり演奏を始めた。

楽器といってもバンドみたいな本格的なものじゃなく、太鼓やマラカス、笛なんかだったと思う。そして何よりも1番印象に残っているのが歌だ。
その歌は英語の歌詞で、日本人の私にはさっぱり聞き馴染みがなかったが、フィリピンではみんなが知っている歌のようだ。聞いている人々も次々と歌を口ずさみ始めた。というか、口ずさむという表現では足りない、いつの間にか待合室全員参加の合唱になっていた。聞く側もその集団の声に声を重ね、演奏に乗ってみんなが気持ち良さそうに歌っていたのだ。

その場に居合わせた私は、日本では考えられない光景に驚いたのと同時に、竜巻のような勢いで胸の中に感情が湧き上がってきて、気がついたたら涙が溢れていた。

偶然待合室に居合わせた、名前も知らない人たちと声を重ねて歌ったことがあるだろうか?
何より涙が溢れた原因は、声と声を重ねることによって心を通わせているようにみえたからだ。人と人の間にあった距離が歌によって埋まり、私の心まで満たされていったのだ。

道を歩けばたくさんの人にすれ違うが、それは他人だ。目を合わせることもなければ、ましてや心を通わせることなんてあり得ないだろう。
でもここでは声を合わせることで、一瞬にして心を通わせている。それがいとも簡単にできてしまうフィリピンの人たちは天才だと思った。

後日、留学している学校の先生にその出来事を話すと、その集団は視覚障害者のグループだと教えてくれた。フィリピンでは視覚障害者が歌を披露し、そのお代として寄付を募ることはよくあるらしい。
フィリピン滞在中、同じ活動をする人を他にも見かけたが、なかなか多くの人が立ち止まり寄付をしていた。

フィリピンは貧しい人も多く、日本人から見れば「怖い」「かわいそう」といった現状もあるだろう。ただ、私が留学中に出会った人々は温かく、みんな愛に溢れていた。
テクノロジーや設備はとても整っているとは言えない環境だが、愛を感じる場面はその他にもたくさんあった。

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子供の頃はできていたことが、大人になると恥ずかしくてできない。
相手の心を深読みしすぎて遠慮して、それが自然と心の距離になってしまう。
私が今までたくさん経験してきたことだ。

だが本来は、ごく当たり前の簡単なことで、目の前の人と心を通わせることができるのかもしれない。



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