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あと1センチでカラスのフンを浴びて、ドブに落ちた日

中学1年ある朝: 心の駅伝

第1区

「行ける?」→「行ける。」
「えらい(しんどい)でね!」→「わかった。」
「じゃあね、」→「はい。」
「ばいばい。」→「。」
「せーの、」→(手を握り)〈テー、テ、テ、テ、テ、テ、テ、テ、テーッ〉(お決まりのリズム)

私が中学生、朝7時10分、陸上部の朝練(+学校+放課後練)に出かける前、玄関でおばあと交わす定形所作。
これをしないと家を出発できない。
おまじないだらけの生活だからだ。
おばあを私が教育して、「こうやって返事するように!」と納得のいく完成形にするまで時間がかかった。

このあと、何もないフリをして玄関を出て、5秒後にはもう足取りが重い毎日。

25歩ぐらい進んだとき、右足のランニングシューズのつま先の、ほんの少し前に白いものが突如現れた。

ふーん。

ふーん。

“カァー、カァー!”

え、カラスぅ?
あぁ、カラスのフンかー。

そんなん(フン)にも気づかない私、やっぱどうかしてるよなー。

ってことは、今日もやらかす日かぁ。

【ごめんなさい。どうかお許しください。】
【どうか〇〇ちゃんと△△ちゃんと◻︎◻︎ちゃんにご迷惑かけないよう、見守っていてください。】
【お願いします。】

薄暗い、空一面を雲が覆っているなんて、この時見向きもしなかった。


第2区

重い足取りを無理やり進める。

小学校の給食室の前を通り過ぎる。

毎朝駅へ向かう人と、早歩き競争をして、耳鼻科前までやってくる。

私は優等生、ルールを守る。
*踏切を渡ってはいけない法則。

きちんと、歩道橋に行く。

ようやく、空を見つける。
かなしそうな空だな、今日も同じセリフ。
まあ、実際も曇天だったか。

いつもの時間。
特急電車と急行電車が重なって踏切を通過する時間。

私は小さな小さな声を出す。

【ごめんなさい。どうかお許しください。】
【どうか〇〇ちゃんと△△ちゃんと◻︎◻︎ちゃんにご迷惑かけないよう、見守っていてください。】
【お願いします。】

言えた。今日も言えた。

次だ。

第3区

中学校に着く。教室に向かう。3階まで続く赤く塗られてところどころハゲている赤い床の階段を見つめる。

3階に着く。
教室に入る。

居た。

「おはよー?」

吹奏楽部の文学少女は、今日も床にしゃがみこんで、本に没頭している。

私は優等生、ルールを守る。
*学校へはジャージで行ってはいけない法則。

制服の下に着込んできたジャージ姿になる。

その間に、文学少女は部活仲間に誘われて、彼女の部活に行く。

教室に一人になった。

きた。

【ごめんなさい。どうかお許しください。】
【どうか〇〇ちゃんと△△ちゃんと◻︎◻︎ちゃんにご迷惑かけないよう、見守っていてください。】
【お願いします。】

いくか。


第4区

「おはーよ。」

平然なフリをして、私から挨拶をする。

「おはよー」。返ってくる。

できた。 無事済んだ。

私は優等生、ルールを守る。
*挨拶は私からしなければいけない法則。

そのまま、(ウォーミング)アップのために外周に向かう。

いつもの順番で2列に並ぶ。

私は優等生、ルールを守る。
*列を抜かしてはいけず、最後尾に並ぶ法則。

列が動き出す。

軽いジョグで前へ進む。

定位置は〇〇ちゃん、△△ちゃんが前列、
私は〇〇ちゃんの後ろ、横は◻︎◻︎ちゃん。

士農工商、穢多非人だ。
もちろん私は、穢多非人だ。

社会の授業で登場してからそう思った。

士農工商、とか、まだ全然習っていない頃、私がただ問題行動を侵さないかどうか、しか頭になかった。

そしたら、いきなり、目の前がアスファルトになった。

私の目線だけがアスファルトで、いくつもの脚がバタバタ動いているのが見える。

どうやら、私、外周の一つ目の角で左脚だけ側溝に落ちたようだ。

状況を理解するのに時間がかかった。

それから痛みがきた。

血が出てる。

あ、やらかした。
【ごめんなさい。どうかお許しください。】
【どうか〇〇ちゃんと△△ちゃんと◻︎◻︎ちゃんにご迷惑かけないよう、見守っていてください。】
【お願いします。】

誰もいなくなった外周の1辺で、一人立ち上がり、早くも戦線離脱した。

第5区

それから取り繕うのは早かった。

私は優等生、ルールを守る。
*保健室へ行く前に傷口を洗わなければならない。

「洗ってきたのー? えらいねー」

適当にごまかす。

でも、ドジしたことはごまかせない。
【ごめんなさい。どうかお許しください。】
【どうか〇〇ちゃんと△△ちゃんと◻︎◻︎ちゃんにご迷惑かけないよう、見守っていてください。】
【お願いします。】

顧問の先生も何も言ってこない。

穴があったら入りたい。

第6区

結局ダウン(終わりの体操)しか参加できなかった。

迷惑かけた。
反省した。
二度と側溝には落ちません。
【ごめんなさい。どうかお許しください。】
今後二度と【どうか〇〇ちゃんと△△ちゃんと◻︎◻︎ちゃんにご迷惑かけないよう、見守っていてください。】
【お願いします。】


中学1年13歳: 私が出生して中間地点の年

人生前半戦の実況中継

私がこの世に生まれて13年目、沿道に誰一人応援のいないフルマラソンを初めてしていた。

もちろんこれは比喩で、13歳になる1年はものすごく長く感じ、身体的にも精神的にもしんどすぎた。

0歳から小学6年の過ごしてきた時間=中学1年の1年間

そう言っても過言ではない。

よく「子どもの成長は早いもので」と言うけれど、それは体感としても本当だ。

なんなら論文でも裏付けされている。

幼少期なんて、あっという間。

小学4年、運動会当日に男子から「死ね」と言われてつらい思いもしたけど、
小学生黄金期は小学4年だ。

私は優等生。班長ができて、授業中挙手もする。
小学4年の校内マラソン大会は2位だった。

みんなから期待されている。
頑張って当たり前。


中学生になったら、内申が影響すると聞いた。
私は球技が苦手だ。
走ることならできる。

陸上部に入ろう。

仮入部体験の内容で迷うことなく、陸上部を選んだ。

まさか、走ること以外で苦労するなんて、知る由もなかった。


「たななこんぶって〇〇ちゃんとうちら(△△ちゃん&◻︎◻︎ちゃん)を差別してるでしょ。」

遅くとも、入部して1か月は経った初夏に、突然、このように言われた。

なんのこと??

心当たりがなかった。

「絶対そう。差別してる。」
◻︎◻︎ちゃんにきつく言われた。

よくわかんないけど、「ごめんね?」と応えた。


「ほらぁ、そういう態度。たななこんぶってうちらを上から見てるでしょ。どうせうちらシモベなんだから。」


シモベって何?? はじめて聞いた。

「そんなことないよ?」 とりあえず返した。


「いや、ゼッタイ差別してる。」

何を言ってもダメだった。誤解が誤解のままだった。喋れば喋るほど誤解が誤解を生んだ。

◻︎◻︎ちゃんの言い分を聞く限り、次のような行為がいけなかったらしい。

アップから運動場へ入るのに、フェンスをくぐる。
この時、隊列が2列から1列にならないと入れない。
すると、必ず私たななこんぶが、〇〇ちゃんの次にくぐっている、と。
〇〇ちゃんを特別扱いしてるから、〇〇ちゃんは抜かさないくせに、
△△ちゃんと◻︎◻︎ちゃんはシモベだから、たななこんぶが割ってでもフェンスをくぐっている、と。

え、そうか?

自覚がなかった。

でも、指摘された以上、「ごめんね、気をつけるから。」と説明した。


それから。

気をつけて過ごしているものの、「たななこんぶが差別している」という苦情は止まなかった。

むしろ増えた。

△△ちゃんまでも、「〇〇ちゃんとうちら、差別してるでしょ。」と話すようになった。

苦情が増えた理由。

自覚がなくうろたえていた時、応えた言葉があった。

「わかった。次、そんなことしてたら、陰口じゃなくて、直接教えてくれるとうれしいな。」

不幸中の幸い、たしかに陰口ではなかった。
が、ダイレクトに言われるのも、それも細かく頻繁に、は、結構堪える。

〇〇ちゃんと△△ちゃんと◻︎◻︎ちゃんの会話に入れてもらえない。
なんとか話についていこうと頑張っていると、

「ねぇ、距離が近いんだけど?」

怪訝な顔でいつも言われる。


私はどうしたらいいんだ?

謝った。けど、謝れば謝るほど逆効果だとわかった。
私、差別してないんだけどな。
でも、「差別している」と2人にも言われたらしちゃっているんかな。
うん、私が悪いんだ。
潔く認めて、謝罪を受け入れてもらうしかない。

そう悟って以降、私はより徹底的になった。

ミスはひとつも許されない。
*挨拶はしっかりと。「おはよう」は自分から。
*列の順番抜かしは決してしてはいけない。
*人の話に入り込んではいけない。
*話しかけられた時は精一杯返事する。


それでも。


それでも。


事態は良くならなかった。

季節はしとしと雨な毎日に変わっていた。

よって、練習も室内練習ばかりになっていた。


階段で3階まで登っては下り、登っては下り、を繰り返すメニュー。

しんどかった。

気が緩んでいた。

給食室の横の待機スペースで、「いい加減にしてよ!」と怒鳴られた。

「近い!汗くさい!」
「ごめんね」

「まあまあ、けんかしない!」と、〇〇ちゃんの声。

そう、「差別してる問題」は、上の立場の人にも迷惑をかけるようになっていた。

これではいけない。
気を引き締め直さなくては。

私は「たななこんぶ教」の信者になった。

ほら、《困ったときの神頼み》っていうでしょ?

もう神さま以外、救いようがない事態になっていた。
たななこんぶにとっての神さまに、誓いの言葉を言おう。

そこで生まれた3文セット。
【ごめんなさい。どうかお許しください。】
【どうか〇〇ちゃんと△△ちゃんと◻︎◻︎ちゃんにご迷惑かけないよう、見守っていてください。】
【お願いします。】

その日の反省とともに、償いの意を込めて、
【ごめんなさい。】と【すみませんでした。】を
ほぼ交互に手帳に毎日書き続けた。

そして、お風呂の湯船タイムも反省会だ。


今まで、テキトーに相槌を打ってごまかしてきたことがいけないんだ。
わからないことは聞くなりメモなりしよう。


当時の中学生はギリ、ケータイを持っていなかった時代だ。
調べるのは、小学3年で強制的に買わされる、紙の国語辞典。

シモベって、下らへんの位置を意味すると思い込んでいた。つまり、下辺、みたいな。


久しぶりに、◻︎◻︎ちゃんに「うちらはシモベだから」と言われて謝ったのを機会に調べてみた。

シモベ=下僕。

思い込みの漢字とは違ってもう0点。

意味。召使い。

ああ、やっぱり私は△△ちゃんと◻︎◻︎ちゃんを召使いにしてるってことかぁ。

そっかぁ。

そうなんだねぇ。

そりゃあ、事態は変わらないよねー。

やっと、下僕を知った。
もっと早く知らなければいけなかった、と反省した。



これ以上の中学1年の話をわざわざ書く必要もないだろう。

なにしろ、状況は全然変わっていなかったから。

いくら気をつけても、私のやらかしは消えないばかりで、
カラスのフンすら、ぼーっと見つめた次には神さまに謝罪して、
その次に早速ドブに左脚だけ突っ込んで、やっぱり神さまに謝罪して。

ひとつだけ、付け加えさせてほしい。
実験で理科室にいて、教室に戻る際、例の吹奏楽部の文学少女にさりげなく言われた言葉が忘れられない。

「たななこんぶちゃんって、教室の顔と陸上部での顔、違うよね」

さすが文学少女(?)、洞察力がすごい。
ってか、なんでこのタイミング???

すごくドキリとした。
私、教室でまさか息抜きしてないだろうか、もしかしてバレてる!?!?

答えは文学少女にしかわからない。

沿道に誰もいないフルマラソンは、まだ続いている。

人生後半戦の実況中継

中学2年秋、◻︎◻︎ちゃんは転校した。

でも、代わりに、と言ってはいけないが、
きちんと△△ちゃんが「私と〇〇ちゃんを差別してるでしょ」と伝えてくれた。

だから部活引退するまで、以下同文。

もっと言えば、△△ちゃんと中学2、3年が同じクラスだったから、卒業するまで、以下同文。

なんとか中学を卒業したんだから、とりあえずのフルマラソン1回目は…完走か?

たななこんぶ教の神さまへの謝罪も、中学卒業時に異変が起きた。

私は優等生、ルールを守る。
*勉強に集中する。  が勝手にできなくなった。

つまり、高校受験を目前として、なぜか集中できなくなってしまった。

自ら、戒律に背くことになってしまった。

それからどうなったのか。


結論を言うと、現実に存在するお方(人間)に、相談するようになった。

中学2年の担任、に始まり、高校生になっても、大学生になれても、そこすら卒業しても、相談相手を探し求めてきた。

大学1年になって初めて精神科に行った。
それも家族には内緒で。

そこの精神科の院長先生は、大学3年の晩秋、イチョウが黄色にようやくなった年に、(たぶん)癌で急逝された。

絶望に襲われたけど、私は知っていることがある。それも2つ。


①、中学1年がしんどすぎて、それよりはマシだよね。

②、中学1年の時、死をものすごく望んだけど叶わないことを悟ったよね。


ぶっ倒れたいから、外周100周を本気で目指したのに叶わない。とか、
新型インフルエンザにかかりたいのにかからない。とか、
事故に遭いたいのに遭わない。とか。


実際20代になって自殺企図したことあるけど、なんとなくわかってる。

ああ、私は死にたくても死ねないんだねって。


そんな気持ちの時、いつも思い出されるのが、左脚だけ側溝に落ちた日のこと、
芋づる式でその前にカラスにフンを落とされたこと。

なんか、自分の中で、生きなさいよ、って言われている感覚になる。
誰に、かは不明だけど。
もしかしたら、カラスに、かもしれない。
もしかしたら、ドブからの切り傷に、かもしれない。
もしかしたら、院長先生に、かもしれない。

感覚をきっかけに、考え事がスタートする。


あの時13歳だった、あれから13年以上経つんだよ?

未だに13歳の自分がいる。

周りは、国家公務員になったり、県庁で働いたり、地元の企業で賑やかに勤めていたりするのに。

私、まだ未成年!?

ってか、おんなじ年数、既に経った!?


信じられない。

ボッーとしていたけど、強烈に覚えている例の朝のこと。
カラスのフンをギリギリ浴びず、そのあとドブに落ちた日。

うつむきがちで、地面とにらめっこして、突如現れた白い不思議な形(人はそれをフンという)。

教室の床のハゲている箇所が、今日も同じ位置にあることを確認して教室に入る毎日。

そして、曇天ながら熱を帯びているのを感じ取った、ちょっと灰色系の側溝から見たアスファルト。

生きなさい。誰かに言われている感覚になる。

キンコーンカーンコーン♪

我が家に冬になると中学校のチャイムの音が風にのってやってくる。

12、ソーレ、22ソーレ、32ソーレ、42ソーレ…

地域では珍しいソフトボール部の外周のかけ声もやってくる。

その度に、凍てつく寒さの中、外周8周をしていた自分をありありと思い出す。

次の電柱まで…その次の電柱まで…次の曲がり角まで…

よくやっていたな、つくづく思う。
今なら無理だ。

でも。
次の曲がり角で…私はドブに落ちた。
と、通るたびに「私は落ちた」と聞こえる。
かすかな切り傷の痛みも感じる。

〈この痛みは、生きている証拠。〉
そう聞こえる。

相変わらず、キンコーンカーンコーン♪
工場や防災無線が必ず時間を知らせる。
春はハト、夏はカラスとセミ、秋はなくて冬はスズメ。それぞれ、鳴く。

家のすぐそこの、必ず通る道。
何千回、と通ってきた道。
ここ、カラスのフンの場所だなぁと思う道。

「カァー、カァー!」

〈生きているかい?〉
そう聞こえる。

定期的にやってくる夏のカラスからのフンのこと、
冬の外周のかけ声からのドブのこと、
胸に痛みを感じるけど、これが生きている証なのかもしれない。

しんどいかもしれないけれど、フンを浴びかけて、ドブに落ちて、生きていることを確認できているのなら、それでいいんじゃないか?

大地がある限り、これからも下に注目して走っていこう。

少なくとも春にはタンポポが待っていてくれているからさ。









#創作大賞2024 #エッセイ部門

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