Yasu.Tanaka/働き方探究人

働き方、働く場、働く人の研究及びコンサルティングを生業としています。 私生活では介護が始まり、介護と働くことをともに豊かにしようと試行錯誤中。noteでは、日々の出来事から「幸せに働く」の要素を考察します。1988年生まれ。

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働き方、働く場、働く人の研究及びコンサルティングを生業としています。 私生活では介護が始まり、介護と働くことをともに豊かにしようと試行錯誤中。noteでは、日々の出来事から「幸せに働く」の要素を考察します。1988年生まれ。

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    • 介護と働く

      在宅介護を通して気づいたことから、介護と働くことことを共に豊かにする考えを綴ります。

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    『介護と働く』 #13:おっさんこそ、笑え

    パンデミックに加えて、父が重度の非介護者となり、自由はほとんどなくなった。そんな私の運命を、半ば恨んでもみた。しかし最近は、その不運の中にある小さな幸運を見いだしつつある。さて、父の横で、その幸運を綴ろうと思う。 残された表情が笑顔でよかった父は、脳梗塞によって、身体のほとんどを動かすことができない。もちろん、顔も例外ではない。イライラしても、哀しくても、それを表情にできない。 しかし、意識的には表情をつくれないものの、反射的に、衝動として、2つの表情だけ表れる。 それ

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      • 『介護と働く』 #12:祝っているようで、祝われているような。祝福の可能性について。

        父の誕生日をみんなで祝う先日、父は66歳を迎えた。 父が倒れてからはじめての誕生日である。 これまで、節目の歳でなければ、プレゼントを郵送して、後日食事をしたりするくらいだったが、今年は父の傍でしっかりお祝いをすることができた。 これも在宅介護のよいところだ。 ケーキを買ってきて、ろうそくを立て、部屋を暗くして、バースデーソングを唄いながら、火を吹き消す。 あまりにもベタなやり方である。こんなベタなお祝いをしたのは、20年ぶりくらいだろうか。 父はろうそくの火を消すこと

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        • 『落語と働く』 看板のピン (笑い話から学ぶ、心地よく働くための深・義・体)

          まだひとり暮らしをしていたころ、浅草演芸場の近くに住んでいたこともあり、落語に触れる機会は日常的だった。いまは浅草から離れ、パンデミックということもあり、ライブで聴けぬ寂しさを滲ませながらYoutubeやSpotifyで落語を嗜んでいるわけだが、よくよく聴いていると、案外働き方の教訓にもなるのではないか、と感じている。 粋な噺の中に、人情的な人との関わり方、できなかった人の成長、大きな失敗、などなど私たちの働くシーンを思い起こさせるタネが散りばめられているのだ。 そこで『

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          • 『介護と働く』 #11:父をたずねて3000ミリ -介護を救う働き方-

            介護が始まってから数週間が経ったいま、在宅介護に向き合いながら働けることのありがたみをひしひしと感じている。 介護と仕事を両立する土壌としての自由さそれを感じられたのは、誤解を恐れずに言えば、コロナ禍のおかげだったのかもしれない。もちろん、誰もが体感している通り、コロナ禍での不自由は山ほどある。しかしながら、リモートワークを浸透させてくれたのもまたこいつの産物と言えばそうである。 これまでも育児や介護など家庭の事情でリモートワーク(在宅勤務)を取り入れていた人はいたが(だ

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            『介護と働く』 #10:「ありがとう」が私たちを蘇らせる、何度でも。

            介護の役割分担父の在宅介護が始まり、私たち家族の日常は大きく変わった。 ほとんど身体の動かない父の誤えんや床ずれを防ぐため、24時間誰かが付き添っている必要がある。そのため私たちは、誰がどの時間帯に父の傍にいるか役割分担している。 母は私の仕事を気遣ってくれて、私の平日の担当時間は夕方から深夜の間だ。逆に母は、仕事をほとんど辞めて、私の担当時間に睡眠を取り、深夜からその日の夕方まで父を診てくれている。 一緒にいるのに喋れない父とはコミュニケーションを思うように取れないと

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            『介護と働く』 #09:父の帰還 -ひとり立ちのとき不安と準備と-

            父、帰還する2月の終わり。父がリハビリ病棟から自宅に帰ってくる日を迎えた。 ついに、在宅介護が始まる。 父の帰還をお天道様も歓迎しているかのような、雲ひとつない美しい晴天だった。 朝10時、退院の手続きを済ませ、お世話になったソーシャルワーカーや看護師のみなさまに見送られて、私たち家族は父と共に送迎タクシーに揺られながら我が家に向かった。 1時間後、父は我が家へと帰還した。 我が家にはこの日を無事迎えるため、父の居場所をセッティングしていた。電動ベッドに始まり、(痰の

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            『介護と働く』 #08:人の幸せを喜ぶ力

            介助講習のはじまり父がリハビリ病棟に入院してから約5ヶ月。在宅介護の準備が本格的に始まった。 在宅介護のサポートをして下さるケアマネジャー、訪問看護師、介護用品のレンタル会社、担当医、などが着々と決まる中、やはりもっとも整備しなければならないのは、私たち自身の介護スキルの向上である。 そんなこんなで、1月の終わりごろから、リハビリ病棟にて、私たちの介助講習がはじまった。 そして、初めての介助講習の日、フェイスマスクや防護服で完全防備して父と対面した。父と5分以上同じ空間

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            『介護と働く』 #07:介護はエゴも大切 -自由と自主性- (3/3)

            自由に潜む孤独父が倒れてからというもの、残された家族には数々の選択が迫られる。本人の意思を聞けない状況で。 「ご家族の良いと思う選択をしてください」 「ご家族の自由です」 自由。なんとも耳障りの良い言葉だが、ときに「自由」は世の中から突き放された気分になることもある。孤独だ。 こういった気分になったときを思い返すと、自分たちの意志が朧げなときにこれが強くなる気がする。 世界とのつながりを感じられる自主性では、この気分を払拭するにはどうしたらよいか。 答えのひとつは

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            『介護と働く』 #06:介護はエゴも大切 -自由と自主性- (2/3)

            治療の範疇父が実家に戻るまでの間も、いくつも選択すべきことがあった。 その一つが延命治療である。 どの処置が延命治療なのかは人によって異なるらしいが、例えば呼吸や食事を自立的にできない場合、人工的にそれらを補助する治療もそれに当たるという医師もいる。 父は辛うじて呼吸はできていたが口から飲食ができない。だからその当時は、口から管を通して胃に栄養を送り込んでいたが、それ以外の選択肢に「胃ろう」がある。これは胃に直接栄養を流し込む管のことで、それを作るためには身体にメスを入れ

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            『介護と働く』 #05:介護はエゴも大切 -自由と自主性- (1/3)

            初夏に父が倒れてから、私たち家族は幾度も「自由」な選択が迫られた。 父の居場所まずは、父が運ばれた救急病院で約1ヶ月間検査や治療が行われたその後、父がどこで過ごすか、ということだ。 救急病院の医師には、病状的に治る見込みが薄いことから、「療養病床」や「特別養護老人ホーム」を勧められた。医師曰く、終の住処として最適な施設で、静かに穏やかに過ごすのが良いということだった。 しかし、正直なところ、私はこの医師の姿勢に苛立ちすら覚えた。勧められた施設が良い悪いということではなく

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            『介護と働く』 #04:寝たきり宣言-心を取り戻す-(2/2)

            最初の壁、現実の受け入れ介護に入る前、私にとって最初に直面した壁は、「現実を受け入れる」ことだった。 父の場合、前触れなく脳梗塞となり、心身の状態が突如として変わってしまったわけだが、私はその「事実を認める」ことには案外時間を要さなかった。 むしろ、その事実を認めた上で、元気だったころの父がいないという喪失感、父がよくなるためにできることをしなきゃという焦燥感、未来がこれまでの延長線上になくなったという不安感、から抜け出すことが異常に大変なのである。 こういった精神状態

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            『介護と働く』 #03:寝たきり宣言-心を取り戻す-(1/2)

            同僚の支え <助け合いの関係>父が救急搬送された病院から帰宅した月曜日の明け方。心身ともに疲れ果てた上、入院の手続きや父の日用品の送り届けなども続くので、仕事を2,3日休むことに。 複数の業務を行なっていたが、それらに関わる全ての人に申し訳なさでいっぱいだった。ドタキャンばかりで迷惑をかけてしまう。 しかし、同僚やマネジャーたちは皆口を揃えて「仕事のことはなんとかするから、ご両親の傍にいてあげて」と心優しい言葉を投げかけてくれた。 その言葉は私の心に満ちた「ごめんなさい

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            『介護と働く』 #02:父が倒れた日 -やらない後悔-(2/2)

            やらない後悔の重さ思いがけず父が倒れ、過去の回想や未来の妄想をしたとき、改めて気づかされた。 「やってしまった後悔」より「やらなかった後悔」のほうが圧倒的に重い、ということに。 幼少のころから引っ込み思案だった私は、両親から「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉をよく聞かされた。 やってみてバカだと思われたって、やってみてケガをしたって、いい。 たしかにそうだった。小心者の私は、やるとき・聞くときには尋常ではなくドキドキするが、いざ行動に移してみたら何てことは

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            『介護と働く』 #01:父が倒れた日 -やらない後悔-(1/2)

            母からの電話7月のとある日曜日23時。 私は、東京の自宅でハイボールを片手に本を読み、休日終盤のひとときを楽しんでいた。 そんなとき、スマホが震え、母からの着信を知らせていた。こんな遅い時間に電話なんて珍しいなと思い、電話に出る。 「今すぐこっちに来て!」 気が動転しながらも、平静を保とうと努める母の声。 父が自宅で急に倒れ、脳の状態がかなり悪いらしい。 救急車のサイレンが母の声と共に鳴り響き、私の酔いは一気に覚めた。 蘇る父との記憶何をしたらよいのか頭の中が混乱し、

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            『介護と働く』 #00:これから私が綴ること

            はじめまして。 私は、働き方の研究・コンサルティングやベンチャー企業での新規事業の立ち上げを生業としています。 これまで東京でひとり気ままに暮らし、働き、遊んでいた私の生活は、2020年に一変しました。 突如として父が寝たきりとなり、私たち田中家の介護生活が始まったのです。 まさか、30代前半で「介護」が訪れるとは… とはいえ、この介護生活が、私にとって「働く」を見つめ直す大きな機会となったのは、間違いありません。 だからこそ、介護の初心者としてさぐり探り介護をしなが

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