見出し画像

『介護と働く』 #01:父が倒れた日 -やらない後悔-(1/2)

母からの電話

7月のとある日曜日23時。
私は、東京の自宅でハイボールを片手に本を読み、休日終盤のひとときを楽しんでいた。

そんなとき、スマホが震え、母からの着信を知らせていた。こんな遅い時間に電話なんて珍しいなと思い、電話に出る。

「今すぐこっちに来て!」

気が動転しながらも、平静を保とうと努める母の声。
父が自宅で急に倒れ、脳の状態がかなり悪いらしい。
救急車のサイレンが母の声と共に鳴り響き、私の酔いは一気に覚めた。


蘇る父との記憶

何をしたらよいのか頭の中が混乱し、ハイボールはそのままに、財布とスマホだけカバンに詰めてさいたまの病院へと向かった。

上野からさいたまへ向かう電車で、呆然と席に座ると、なぜだか勝手に父との思い出が蘇ってきた。小さいころのキャッチボール、家族で行った北海道旅行、父の単身赴任先で2人で呑んだこと、一緒に浦和レッズの観戦にいったこと。


普段は冷静であまり感情が表に出ない私だが、その懐かしい思い出たちは、私に涙を流させた。
深夜の電車で、人目を憚らず涙を流す大人を、周りの乗客はどう思うだろうか。普段だったらそんなことも気がかりだが、その時は何も気にならなかった。


感謝と後悔

社会人になってから一人暮らしを堪能し、実家に顔を出すのも年に数回。このままいくと親が亡くなるまでに会えるのは何日なのだろうか、と計算したこともあった。(だいたい300日、1年分は会えない計算だった)

両親の仕事が落ち着いたら、またみんなで旅行に行こうと思っていた。一緒にゴルフを回って、たわいの無い話で楽しもうと思っていた。立派に成長して世の中のためになっている姿を見せようと思っていた。

しかし、どの思いも思っていただけで、ただの妄想にしかなっていない。
いつも私たち息子のことを第一に行動していた親に、なんの恩返しもできていない。


ごめん。


もしかしたら、描いていた明るい「妄想」はもう訪れないかもしれない。
そんなよくない未来が頭に溢れて、父はきっと元気に復活するという前向きな考えを起こそうにも即座に遮られていくのだった。

時間はあっという間に過ぎていて、病院の最寄駅がアナウンスされた。
まだ父によくない結果が告げられた訳ではないのに、涙まみれで家族の前に現れることを恥ずかしく感じ、涙を必死で拭いながら、病院までの静まり返った道をやかましく走った。


父との再会

待合室には母と弟の姿があった。母は恐怖や疲労からか、ベンチに蹲っていた。

さっきまでネガティブなことで頭がいっぱいだったが、一番辛いのは私が生まれる前から父と寄り添ってきた母なのだ。弟と二人、根拠のない励ましと慰めで、母の心が少しでも穏やかになるよう努めた。

深夜2時を回ったころ、手術が終わった。

父の意識は戻らぬままだが、なんとか命は取り留め、私は父と久しぶりの対面を果たした。

「よくがんばったね」

その後手術を担当した医師は、MRIの画像をディスプレイに映しながら脳梗塞と診断した。しばらくは処置を行い、1週間後に身体や意識がどの程度戻るか、私たちに告げられるとのこと。

私たちは、とにかく回復することを祈り、うっすら明らむ空の下、実家へと戻った。


つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?