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『介護と働く』 #11:父をたずねて3000ミリ -介護を救う働き方-

介護が始まってから数週間が経ったいま、在宅介護に向き合いながら働けることのありがたみをひしひしと感じている。


介護と仕事を両立する土壌としての自由さ

それを感じられたのは、誤解を恐れずに言えば、コロナ禍のおかげだったのかもしれない。もちろん、誰もが体感している通り、コロナ禍での不自由は山ほどある。しかしながら、リモートワークを浸透させてくれたのもまたこいつの産物と言えばそうである。

これまでも育児や介護など家庭の事情でリモートワーク(在宅勤務)を取り入れていた人はいたが(だいぶ低い水準だが)、ほとんどのワーカーは出社することが当たり前で、むしろ出社することが仕事とさえ思われている節もあった。もしその時代に24時間介助が必要な父がいる状況を迎えていたら、介護を母に託して毎日出社して早めに帰宅して深夜まで介護をして翌朝出社して…という生活はかなり厳しいものだっただろう。退職も辞さなかったかもしれない。

だから、場所的にも時間的にも自由度が増したいまの働き方のもと生きられていることに大変感謝している。

場所的な自由度をつくっているのは、リモートワークだ。これにより、オフィスに行かずとも父の傍、つまり自宅を選択して働ける。

時間的な自由度をつくっているのは、スーパーフレックス制である。これは結構重要で、場所が自由になっても勤務時間が完全に決められていると介護はしづらい。というのも、介助は突発的に必要となるからだ。例えば、痰の吸引や排泄などは予期せず起こり、あと30分後に昼休みだから介助は待ってね、ということはできない。だから、介助をしていた時間は「休憩」としてカウントし、自由に仕事と介護を行き来できるスーパーフレックス制は、肉体的に両者の行いやすさを高めるとともに、精神的にも罪悪感なく介護に集中できる点で重要である。そして、心身の良好さは仕事の生産性を高めることにもつながっているように感じる。

このように一人ひとりが自由に、意思を持って働く場所や時間を選択できる働き方はActivity Based Working(ABW)と呼ばれる。これは、ワーカーの価値観や社会背景、家庭環境の多様化を受け止める働き方として、従業員満足やリクルーティングの質向上を狙い、世界中の組織で拡がりをみせていた。


働き方の公平性と心の健康

このABWは、今述べたように介護と仕事を両立する上で重要なのはもちもんだが、コロナ禍でありがたみを噛み締めたのは、私だけでなく社内外の関係者みながこれを実践したことにある。

というのも、もし私だけがこの自由な働き方を実践すれば、(たとえ同僚は理解を示してくれたとしても)私自身が同僚に申し訳なさを抱えながら働くことになるからだ。

さらに、ABWの課題としてよく挙げられるのが孤独問題なのだが、みなが集まるオフィスから自分だけ離れて働くことは余計にこれを増幅させる。言い換えると、ABWの恩恵をみなが受けている状態では、申し訳なさや社会からの疎外感、もしくは近年の言葉で言うとFOMO(取り残されることの不安)が小さくなるのである。

そういった複合的な意味で、現在のABWの拡がりは介護のしやすさを高めてくれているように思う。


自分らしい場の選択の重要性

一方で、在宅介護と仕事を両立させる上では、自由に働く場を選択できるわけではなく、ある意味自宅に縛られることになる。(本来ABWは活動や気分に合わせて、オフィス、自宅、サードプレイスなど様々選択できることでその価値は最大化される)
さらにいえば、介護担当の時間帯は、父から3mほど離れたテーブルでしか働けない。父が苦しむ声を聞き逃さないためだ。

だからこそ、私の介護生活の場合、いつ、自宅のどの空間で、どの活動を行うか、は介護と仕事を円滑に進める上でとても大切になってくる。

例えば、父の近くにいるときは、いつくるかもしれない介助を気にしながら働くことになるし、介助を要するときには仕事を中断しなくてはならないので、じっくり思考することはできない(私の場合は)。なので、父の介護担当外の時間で考えごとをしたり、資料やプレゼン内容を構想する。そして、介護担当時には、それをもとに資料作成など作業系の業務を行う。これは、いつ席を立っても比較的支障がでにくいから。

正直このスタイルが出来上がるまでは、かなり苦しかった。深く思考しているときに父の声でかき消されることは幾度もあった。しかし、試行錯誤しながら自分のスタイルを発見してからは、このようなやや不自由な自宅環境が、ある意味でセルフマネジメントと業務効率の糧となるのかもしれない、と前向きに捉えられるように変化した。(たまにこのタイミングで呼ばれるかぁ、みたいなことはまだあるのだが…)


介護と仕事に充実をもたらす働き方の継続を

今回の経験で、環境と活動の相性はとても深いことに改めて気付かされた。つまり、リビングだったら資料作成が合っていて、近所のスタバだったら思考が合っていて、オフィスのあのテーブルだったら上司に相談するのに合っている、といった具合に、その空間に身を置いたときに適した活動を学習すること、これが自由な働き方を有意義にするのではないか。

先ほど価値観の多様化も話題に挙げたが、だからこそ同僚がいいという環境が自分にもいい環境とは限らない。(私のように生活上制限のある人もいるだろうが、)環境と活動の自分らしいペアをさまざまに発見することが、ABWのような自由な働き方の継続につながるし、逆にそれを怠ればとりあえずオフィスへ行こうという従来の働き方につながるだろう。

私は、前者の働き方が当たり前となることを望む。なぜなら、勝手と思われるかもしれないが、それが私たち介護ワーカー(や、家庭や心身に諸事情を抱えるワーカー)が働くことを諦めることなく、仕事に充実がもたらされる世界をつくる大きな一歩となるからである。



おわり

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