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『介護と働く』 #04:寝たきり宣言-心を取り戻す-(2/2)

最初の壁、現実の受け入れ

介護に入る前、私にとって最初に直面した壁は、「現実を受け入れる」ことだった。

父の場合、前触れなく脳梗塞となり、心身の状態が突如として変わってしまったわけだが、私はその「事実を認める」ことには案外時間を要さなかった。

むしろ、その事実を認めた上で、元気だったころの父がいないという喪失感、父がよくなるためにできることをしなきゃという焦燥感、未来がこれまでの延長線上になくなったという不安感、から抜け出すことが異常に大変なのである。

こういった精神状態を克服することで初めて「現実を受け入れる」ことになるのかなぁ、と今は感じている。

そういう意味では、まだ現実を受け入れきれてるかは怪しいかもしれない。


心を取り戻す仲間の存在

しかしながら、この「現実を受け入れる」のを強く促してくれるのが仲間なのだと私は思う。

何か衝撃的な出来事が起こったら元に戻すことはできないわけで、だからこそ「いま」というこの現実を少しでも前向きに受け入れる必要があるが、その「いま」は当然ながら父だけで出来上がっているわけではなく、家族・友人・同僚などたくさんの仲間から成り立っていると再認識することが、「現実を受け入れる」大きな一歩になるのではないだろうか。

簡単に言うと、仲間の存在が、後向きな精神状態を癒し、「いま」を生きようとする心を取り戻してくれる、ということだ。


日々生まれる助け合い

これは、肉親が病に倒れたときだけでなく、「働く」の中でも同様のことが言える。

私だけでなくほとんどの人は働いていれば、多少なりとも失敗を冒してしまうと思う。

その失敗で、悩み果てていたり、先に進めなくなっていたり、心が乱れてしまったときに伴走してくれる人が傍にいてくれると、また歩み出す勇気や冷静さを取り戻す

別に失敗によって窮地に追い込まれていなくたって、燃え尽きていたり、集中できないときに、仲間と話せばなぜだかやる気や元気をもらえる、なんてことは結構あるのではないだろうか。

このように、意識的に助けようとして助けるだけでなく、何気ない普段の行動が無意識的に人を助けることもあるのが面白いところだ。

つまり、「助ける」または「助け合う」というのは特別な行為ではなく、「働く」の中に日常的に溢れている行為なのだと思う。


「働く」を幸せにする「助け合い」の関係性

過去の私たちのリサーチ結果では、「働く」を幸せにする要素の1つに、助け合える関係性があると導いた。

さらに、仲間という観点では、共に働く仲間が多ければ多いほど、「働く」が幸せになりやすい。

理解者・共感者がまわりにたくさんいる状況が幸せを形作ることは経験的にもなんとなく想像しやすいと思う。


「助け合い」を育む心の余白

こういった助け合える仲間をたくさん作りたいというのはみな共通だと思うが、ではそういった関係性をいかにして作ればいいのだろうか。

私は、心に余白を持ち続けること、が1つの方法ではないかと思う。

まず前提として、「助け合い」の関係を作るには、自分自身が仲間を理解して寄り添わなければ難しいだろう。それは衝撃的な出来事にだけでなく、日常的に他者に優しく寄り添う姿勢だ。

しかし、そんなことは分かっているのである。ただ、私たちはときに忙しかったり差し迫った緊張があったりすると、自分に精一杯で他者を深く知ることを忘れてしまう。

余裕がなくたって他者に寄り添える人間のできた人なら別だが、私のような凡人は自分も他者もどちらも助けようとするとあっぷあっぷしてしまうこともあるのだ。

だから、他者の困りごとにも微笑みと真剣さで受容できるように、時間や心に余白を残して働くことが有効なのではないかと思うのである。

そんなこと言っても、仕事は次々増えるし自分でコントロールできないという場合は、エッセンシャル思考がひとつ参考になるかもしれない。ざっくり言うと、自分にとって本当に大切と思うことを完全に明確にして、その活動に全ての力を注ぐ思考・行動スタイルである(言うは易しだが、これに沿って行動するのはかなりの鍛錬が必要…)。このようなスタイルを身につけ、さほど大切でない仕事に日々追われる状態から抜けると、心にも余白が生まれるかもしれない。


「競争」から「共創・協奏」する組織へ

また、「心理的安全性のつくりかた」という書籍では、「助け合い」は日本人の「心理的安全性」を構成する因子であるといわれる。この「心理的安全性」はGoogle社のプロジェクトが突き止めた、生産性を高める唯一説明のつく要素として話題になった。

このような価値ある「助け合い」の関係性を組織に増やしたいのであれば、働き方も変える必要があると私は思う。

例えば、自分の成果だけが評価につながり、他者より出世することが栄光といった考え方は「助け合い」を阻害する可能性がある。目先の利益より未来の利益も見据えて、チームや組織の成果も評価につながり、組織全体の利益や環境を良くすることが栄光という考え方へ変革することだ。

「NiziU」の仲間と共に成長していくストーリーや最近人気の芸人コンビの仲の良さ(千鳥やサンドイッチマン)などに共感する人が多いことを鑑みても、この時世のチームや組織により一層求められるのは競争ではなく共創・協奏(助け合い)なのではないだろうか。


おわり

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