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<さよならと次来る春のこと後編>

2339 /// 子供の頃の私以上に、今の私は黙するようになったし、必要以上に感情的になることが少なくなりました。 / いくらかは先入観を持たず他人の話を聴くようになりました。 / 攻撃すべき他者などほとんどいないに等しくなったからです。 / 平易な話を好むようになりました。たとえば天気の話など。 / 以前は自己表現として映画の話をすることなどが多かったけれど、それも最早必要性を感じなくなってきているのです。 / 少なくとも、映画を観ることが好きな他己である必要性を感じなくなったのです。 / 今私と他者がいて、何かを対話していること、という事実を可能な限り平易なところから始めるようになりましたし、その子供でも出来るような会話の積み重ねだけで十分に達成感を得られるようになりました。 / 出来上がってしまった非常に低い達成感の設定から、その会話からどう発展するかは他者に委ねるようになりました。 / それは関係の放棄ではなく、あくまで私自身は十分だと感じるからなのです。 / 人によってはそれを無関心と言いますが。 / 他者との会話の中で共感は簡単に生まれない、という教訓は私が転校の中で感じたことの一つです。 / 互いの違いを楽しめる会話を生み出すには互いの信頼を必要としますし、その信頼の築き方は人によって違う部分が大いにあります。 / 日々の中で無視されてしまうことが大いにあることですが、私は非常に大事なことだと気を付けるようになりました。 / 私は多分、極端に会話を侮らなくなってきている。 / もし互いに一定の信頼を得た他者と対話するとき、私は相手に対して月並みな希望を祈るようになりました。 / こうした方が良い、などという相手に対する提案は尋ねられない限りは言わなくなってきました。 / かつては諦観が強い意味で、自分自身が他者の人生に干渉することなど出来ないと思っていたけれど、今は少し違います。 / そんな干渉は相手が望んで初めて生まれ機能するのであって、そもそもどんな内容であれ会話をすること自体が干渉でもあるのです。 / 他者の人生に干渉すること自体は別に不可能なわけではないのでしょう、良い意味も悪い意味も含めて書きますが。 / この考えの変化を敢えて短い言葉で表現してみるなら、他者に対するかなり警戒心は無くなったけれど、注意深さはかなり増した、と言えます。 / 他者に侵されたくないものが少なくなったけれど、自分が他者の侵されたくないものを侵し得る可能性があることに少しは鋭敏になったし、これからもその鋭敏さは鍛えていきたいと考えています。 / もともと諦観とダメ元が友達だと言えてしまうような人間ですから、他者に対して図らずも横暴になってしまうことの方が多かったのです。 / 反省の念も込めて、他者に対する注意深さは今後ももう少し身につけたいものです。 /

話は変わりますが、私の母は専業主婦です。 / 居間でひたすら刺繍を縫っている母親にただいま、と言う風景が平日の常でした。 / 刺繍の図面は父親がパソコンで起こしていました。 / 私の両親の長らく続く共同作業とでも言えるかもしれません。 / 何度かの転校引っ越しを経ようとも、帰宅した私が見るのは必ず刺繍を縫っている母だったこと、こうしてレゴも絡めながら自分自身を記録していてずいぶん思い出します。 / 顔や毛髪などの姿形もだいぶ足して二で割られた私ですが、そんな日常の一コマの方がこの母あっての私なのだと、血のつながりを強く感じます。 / 私の父親という人生の連れ合いがいようとも、お互い適度に独り同士なのだ、とかなり前から感じていて、今になってもやはりそう感じます。 / 私と同じかそれ以上にある種の転校を繰り返した母親が刺繍を縫う姿は、私にとっての手本になっているのでしょう。 / 学校から帰った私は宿題もそこそこにレゴでひたすらその場以外を作っていました。 / それぞれ自室で何かをしていて、最低限の会話だけがあるという、はたから見れば和気あいあいという言葉から程遠いような、冬のような、家族にしては遠い距離感の中で私は育ったのかもしれません。 / しかしその根底には遠からず近からずを保とうとする両親の努力と優しさがあったのでしょう。 / 見知らぬ場へ移り、その場の集団が持つ不条理なルールに対しては私以外の家族、つまり7歳上の姉と両親は比較的好戦的だったように思い返します。 / 両親は子供を守るため、姉は姉自身が転校で育んだ正義感がその根底にあったのではないだろうか、と思い返せます。 / 姉とも歳が少し離れた私は家族の中でも見知らぬ環境に対して少々違った態度をとりましたし、恐らく家族の中でもある意味浮いた存在だったように感じる面が多々あります。 / とはいえ私はそんな家族の中で育ちました。 / 人生自力であってこそ楽しい部分もあって、その部分を邪魔したくないという思考が強い、家族と共に転校を何度か繰り返しながら育ったのでした。 /

さよならと次来る春は他者との関係性における呼吸みたいに繰り返されていて、その終点と始点の表現なのだろう、と私は読み取ります。 / 終わりが来れば次の始まりはありますし、終わりが来るものには必ず始まりがあるのです。 / マトリックスの預言者のような言葉ですが、その簡単さ故にどんな道を辿れども言葉は似てしまいます。 / そんな始点と終点を表現されたお二人を観て、敢えて三人目として立ってみる私が付け加えたいのは、さよならを経てまた次の春同じ人に会うとして、同じ形だったとしても同じこころもちのまま会えることはお互いにあり得ないということです。 / 人はこころもからだも常に動いています。 / ご両人の言葉のやりあいを観た三人目の私は、今現在に、さよならを言う相手であり、次来る春にまた会う可能性のある人との関係をいかにして素晴らしいものとするかが重要であって、その重要さをわかっていれば自ずとさよならが肝要だとも感じられるし、次来る春に会う希望も持てるものなのではないでしょうか。 / その関係性の終わりや始まりが重要だということではなく、その関係性の今をいかにして大事にして、その終点を次の始まりに出来るかが重要なのではないでしょうか。 / それこそ、いただきますとごちそうさまをきっちり手を合わせて唱えるように、何に生かされているか自覚するように。 /// 2536

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