夢を諦めるのは難しい
夢破れた、って言える人って実はそんなに多くないと思うんです。
意外と夢を追うことも難しいと思うし、
夢破れたと認めることはもっと難しい。
今でも思い出す、21歳の夏。
キングレコードのスタジオを貸し切り、
たくさんの先輩に囲まれて本格的なレコーディングをする
不安と期待の入り混じったなんとも言えぬ気持ちで向かった坂道。
これで全国に自分のCDが出回り、
ついにちゃんとしたプロモーション活動が始まるんだ!と
ワクワクしていたあの頃。
でもどこかに、これでいいのかと迷う気持ちもあった。
その年の夏の初め頃、レコーディングのために譜面書きをしていた時。
自分の曲を譜面に落とすのが極端に苦手だった私は
プロデューサーのアトリエにこもっていた。
10曲分を書き上げるのは当時の私にとっては大変なことで
連日夜遅くまでの作業があり、泊まり作業になることも多かった。
その日も同じように泊まりになるだろうという時間に差さしかかった時
車で乗せられて到着した先はいつものアトリエではなく普通の住宅だった。
1日目は怯えながら過ごしつつも、無事だった。
だけど、2日目はそうはいかなかった。
その時のことがやはりレコーディングの時も忘れられず。
どこかでこのままでいいのだろうかという葛藤があった。
他にも色々と制作の面でも疑問があったレコーディング。
セクハラされてからずっと続く音楽性や技術への叱責。
腹が立ちすぎてトイレで泣きそうになるのを堪えるために
赤く腫れるまで自分の顔を殴った時もあった。
自分の曲が、どんどん汚されていく。そんな気がした。
それでも先輩方の真摯な仕事ぶりに
私のこの怒りももしかしたらプロデューサーの言うように
子供っぽいワガママに過ぎないのかもしれないと思い始め
最終日には全部できない私が悪いんだと考えが落ち着いていた。
先輩方のように、自分の意見を主張せず大人にならなきゃ、と。
それまでに出会った音楽をやめていったミュージシャンのことを思えば
これぐらいのことで泣いては、逃げてはいけないと思い涙を堪えた。
淡々と仕事だからと音楽と向き合う先輩方の凜とした姿。
弱音を吐く未熟さ、逃げようとする弱さを言い訳にして閉じこもりたくなかった。
自分に未来があるとがむしゃらに信じるしかやり過ごす術がなかった。
それを落とし込んだ曲が、「見据える先へ」という曲。
今でもこの曲を聴くといろんなことが思い浮かんで苦しくなる。
レコーディング終了から2ヶ月も経たないうちに、プロデューサーは死んだ。
18歳から21歳という、デビューするなら大事な年月をずっと預けて信じていた相手が、あっさりと死んで逃げた。
自死された遺族になんてことを言うんだ、と批判を浴びそうだけれど
私はそれだけ貴重な時間を信じて預けたのに、セクハラパワハラの末に自分だけ死んで逃げられたのだ。
死ぬなら私だろ、と訃報を聞いてまず思った。
死なせろよ、私を。気持ちよく。
あなたが死んだら私が自責の念で死んだみたいになるのに。
今私が死んだら、完璧に私が加害者であなたが被害者でしょ。
あの子が死んだから、じゃあとんとんね。ってなるやつでしょ。
全然被害からしたらとんとんじゃないのよ。
大学4年生の11月だったので、卒業するには卒論を書かないとだし、
プロデューサーが死んだら急に事務所の社長が
「このアルバムはプロデューサーの遺作として
田なかかれんの名前を使わずにリリースする」とか言い出したから
万が一の著作権を争っての訴訟に備えて弁護士相談や資料作成もしないといけない。
そんな環境のなかで、私が死ななかったのはそこに理由がある。
プロデューサーが死んだ直後のライブでは、この曲を歌ったことを覚えている。
この曲を書いたときは夢見た場所に「この手が届くような日が来る」と信じ切るしかなくて、
その数ヶ月後にはもう「無駄なことではない」と信じ切るしかなかった。
皮肉だよな、と今振り返ると思う。
わずかに見つけようとしていた希望が完全になくなってもまだ何かを信じないと生きていけなかった。
大学を卒業する3月までに音楽を頑張っていきたいと思えるようなことがなければ
もうやめようと思っていた。
だけど、この曲についたコメントでもう一度、と思えた。
「受験生活、この曲を聴いて何度も励まされました」という趣旨のコメントだった。学生さんからだろうか。
全然知らない、誰かもわからない人のコメントが私の音楽の最低目標を作ってくれた。
夢破れた、というには結構な勇気がいると思う。
だけど、私のあの時の絶望にはそれを言ってもいいくらいの力がある。
それと同時に、私は音楽の最低目標をもうクリアしているからそう言えるのかもしれない。
夢を諦めることは本当に難しいと思う。
大きな挫折があってもなかなか諦められないもの。
私は、この最低目標があったから少し楽になれた。
私の最低目標は「自分の納得のいく曲を書くこと」だった。
それがこの経験から生まれたsong for Uという曲だったり
恋愛の曲であればKOOLなのだ。
ここまでいったら頑張ったと言えるな、というのが最低目標。
最終目標、つまり夢を持っている人はたくさんいるけど
最低目標を設定している人は案外少ない。
だからきっと諦め時がわからないんだと思う。
夢をずっと見続けるのも素敵。
だけど、私はあまりにも音楽を大事にし過ぎて苦しくなりそうだから
最低目標を持っていることでかなり楽になれた。
あの時そうなったのは、今のこの楽な状態になるべきだったからかもしれない。
だけど辞めてなくない?って思いますよね。
確かに。いつ辞めてもいいとは正直思うのだけど
今、聴いてくださる方がいる限りはしばらくは続けようと思う。
次にどうするか考えるのは来年、活動10周年。
その時までは無理に辞める必要もないと思っているので
しばらく気楽にいこうと思っています。
今ぐらいが、ちょうどいいのよ。
大事にしすぎて苦しくなるくらいなら。