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イシス探求/ユルギス・バルトルシャイティス

記憶というものは、こうも人間の考えや行動に影響を与えるものなのかと思う。頭の中に残っているものによって、人の行動や考え方は大きく変わってしまう。しかも、強くこびりついた記憶は、もはや現実と即したものを失ってなお、思考や行動を制約し、過去にしがみつくように保守的な選択に人を導いてしまったりする。

個人にとってだけではない。
社会にとって、いや時代を越えて、ある民族に対してという規模でさえ、記憶あるいは情報というものは、これほどまでに大きな影響力をもつものなのかと感じる。

古代エジプトの神話が、後のヨーロッパの人々において、どれほど自分たち自身の文化や民族的な成り立ちに強く関連しているかということにはじまって、さらには遠くインドや中国、果てはメキシコなどの中南米にいたるまで、広く人類の文化の起源になっていたと信じられていたという記憶というものに関する衝撃的な歴史的現象を描きあげた、1967年出版のこのユルギス・バルトルシャイティスの『イシス探求』を読んで、そういう思いを強くした。

記憶によって保守的になるというだけではない。新たなことを主張し、行う上でのエビデンスとして記憶を利用しようととすることも行われる。あとの時代に冷静になってみれば、ありえないと思われる記憶の捏造が嘘のように信じられ、歴史が、思想が、幻想と区別がつかない領域へと誘い込まれる。
それは過去の出来事としてだけでなく、いま自分たちのまわりにある、従来とこれからの間にあるギャップ、大人たちと子どもの間にあるなにを「当たり前」と信じるかのギャップも、まさに同じとことだとこれを読んで感じた。

そんな点も含めて、このバルトルシャイティスの本を紹介してみたい。

イシス、時と場を越えて

時はまさにフランス革命前夜。
1773年に刊行した『原初世界の分析および近代世界との比較検討する』と題した著書で、フランス人牧師のクール・ド・ジェブランは、「初期のパリ住民の信仰とエジプト神話の関係について、奇妙な説を述べている」とバルトルシャイティスはいう。
彼が引用するド・ジェブランの説はこんなものだ。

パリがはじめ《島》に局限されていたのは、万人周知の事実である。つまり、パリはその起源からして航海都市であった。パリには、ティベリウス帝時代に海軍司法庁があったが、それはまちがいなく帝より以前に創設されたものであったり市の法官長の大きな権限と、提督という称号は、そこから由来したのである……。パリは河中にあって航海に意を用いていたため、船を市のシンボルとし、航海の女神イシスを守護女神とした。この船こそは、イシスの船、すなわちこの女神のシンボルであった。

イシスはエジプト神話のなかの女神である。

だが、イシスというのはギリシア語だった。古代エジプトではアセトと呼ばれた。

ナイル河畔のサイスの地にイシス女神を祀る大規模なイシス神殿があったように、元はナイルの豊穣の神だった。
そこに「航海の女神」という属性が加わったのもギリシア・ローマの時代だ。パリの島にたどり着いたイシスは、このギリシア・ローマの時代を経たイシスだ。

神話の世界ではよくあることだが、神の属性とは時代ともに増えていく。とりわけ場所を越えて現れるときに、その傾向がある。

エジプトの女神であるイシスは、ギリシアにおいては同じ豊穣神であるデーメーテールや、愛と美を司るアフロディーテとも同一視された。小アジアの商業都市エペソスにおいては豊穣や多産の髪アルテミスとして、複数の乳房をもつ姿で表されたことは「パリとローマのエジプトかぶれ」でも紹介した。

さらには処女神ながら息子ホルスを抱く姿は、キリスト教における聖母の予表ともされる。

ある土地の神が別の土地の神と習合され、同一視されることはよくあることだ。
それこそ、ギリシア神話とローマ神話では、神の呼び方こそ異なれど、それぞれの神の属性も神話もほとんどギリシアからローマにそのまま受け継がれている。

翻訳される神々

それは前に紹介したヤン・アスマンの『エジプト人モーセ』でも描かれていたことにもつながるように思う。
アスマンはこう書いていた。

神々は国際的だった。なぜなら神々は宇宙的だったからだ。異なる民族は異なる神々を崇拝した。しかし、よその神々の現実性や、それらを崇めるよその形式の正当性を否定する者は誰もいなかった。

神々は土地を越えて翻訳される。ギリシアの天空神であり主神であるゼウスは、ローマで同じ役割をもつユーピテルだし、イシスはそのゼウス=ユーピテルにさらわれ、牛に変身させられるイーオーがエジプトに逃れてイシスになったとされる。だから、イシスは2本の角を持った姿で表されることもある(「牛、蜂、そして、百合の花」参照)。

アスマンは「宗教は、文化間の翻訳を可能にするメディアとして働くこともできた」と書いていた。
異なる神の呼び名を持っていた異なる文化間においても、互いに相手の神々を否定し敵対視するどころか、エジプトの豊穣神と自分たちギリシアの豊穣神が異なる呼び名で呼ばれる同一の神であるとして認めることができていたのだ。

そうした国際的な宗教のしくみがデフォルトだったところに、モーセが新たにそれとは正反対の一神教のしくみを持ち出して、宗教間の翻訳不可能性が出現した。宗教間の対立が生じ、みずからと異なる神を信じる者たちを異教徒と呼ぶようになるが、このバルトルシャイティスの本を読むと、それ以降でもなお、神が異なる場所や時代の壁を越えて、翻訳される形もまた引き続き残っていたことがわかる。

バルトルシャイティスは、先のド・ジェルマンが「パリの島にはイシス神殿があり、ノートル・ダム教会はその廃墟の上には建てられたものである」と考えていたことを紹介している。

さらにフランス革命真っ只中の1794年、『あらゆる宗教の起源』を著したシャルル・デュピュイに至っては、ド・ジェルマンの説を踏襲して、「イシスの神殿がシテ島にあった」としつつ、

但しデュピュイの説はさらに大胆で、ノートル・ダムはイシス神殿跡に建てられたのではなく、教会自体がイシス神殿だったとするのである。

これはもはや、一神教の発明以前のグローバルに翻訳可能な神々の世界ではないかと感じるのは僕だけだろうか。

旅するエジプトの神々

パリのシンボルが「イシスの船」であるとしたド・ジェルマンはこうも書いているという。

かくてまた、この船の名が町の名前となった。船はバリス Baris と呼ばれ、これがガリア北部の強い発音のせいでパリ Paris となったのだ……。

フランス革命の前夜にド・ジェルマンが指摘する、はるかの前の15世紀から紋章として「イシスの舟」が使われた街の名はまさにそのままイシスの船という名だったのだ。

しかし、イシスの船がたどり着いた先は、パリだけに留まらない。フランスではアルザスにもイシスが現れた形跡はあるし、ドイツにもイシスは登場している。そして、登場しただけでなく、なんと、あのドイツの国民的飲み物の製法を伝えたというのだ。

このアウグスブルクの著名な考古学者[ポインティンガー]は、発見されたベロッソスによってタキトゥスとシチリアのディオドロスを補うのを躊躇わなかった。1498年の初版刊行後数年ならずして、彼がつぎのような記しているのは、そのためである。スエヴィー族の女神であり、かつその木造神殿のあった故国の町の女神であるイシス=シサは、ガンブリウィウスの時代に、オシリスと共に船でその町へ来たのである、と。大麦をベースにしたすてきな飲み物[ビール]の醸造法は、この時に伝えられたという。(中略)エジプトの神話が、ドイツにおいて明確な歴史の枠内に収まり、少なくともはじめのうちは、国民的飲料の歴史の周囲をめぐるのである。

イシスとその兄であり夫であるオシリスがドイツを訪れ、ビールの製法を伝えた。ドイツに足を踏み入れたエジプトの神はこの2神だけではなかったようだ。オシリスを支えたとされるトート神もドイツを訪れた痕跡がある。

シェッパー(1528)は、すでに右の2つのテクストを結びつけて、メルクリウスおよびテウタウスなる血を好む両神格がじては同一であるとして、ついでに、ギリシア人のメルクリウス=ヘルメースがドイツ人の間ではヘルマンまたはマンになったと述べている。ところで、メルクリウスに当たる神はエジプトではテウト、トイト、トートと呼ばれたが、これはテウタウスに不思議なほど近い名前である。

ギリシア神話におけるヘルメス、ローマ神話におけるメルクリウスは伝令、コミュニケーションの神とされるが、トート神はエジプトでヒエログリフを開発した書記の神とされる。
それらがゲルマン人の神テウタウスとも同一視されると、古代ローマの歴史家でゲルマン人の民族誌『ゲルマーニア』を著したタキトゥスは書いているという。

しかし、このテウタウス=トゥイストンというタキトゥスの記述は間違いだと1616年に指摘したのがオランダのフィリップ・クルヴェリスで、ここから、また話は大きく展開する。なかなか興味深い話なので長いが引用するり

タキトゥスの写本には誤りが入り込んでいる。つまり、トゥイストン Tuiston はSとTの順序が逆になっているので、ほんとうはトゥイツォン Tuitson でなければならない。この考えを前提にして、各名称間の関連はより密接に、より深くなった。トゥイツォンは、トイッツェ Teutsch の語源であるにとどまらない。キンブリー族の君主は、これまたテウト Theuto と呼ばれていて、これが古代デンマーク族におけるテウトン(チュートン)の名のもとになったのである。むろん、両者は同一人間、同一の神であった。この神とはテウト Theuth で、ケルト人、ゲルマン人のあらゆる言語、あらゆる方言にその反響が見出される。テアト、テイト、テオト、テウトは、同一の語の変異形にすぎず、これらは必然的に、一方ではエジプトへ、他方ではドイツへ、我々を連れていく。ギリシア人のゼウスとテオス、ローマ人のデウスも、同じ語から由来している。ドイッチュとトイッチュの中にも、デウスとテオスが見出される。

この時代も、場所も越えた共鳴は何だろう。僕はここに記憶というものの、論理的な思考、意識を越えたところに現れる影響を感じた。そして、あらためて記憶というものをちゃんと考えなおしたくなった。

神話の養分

バルトルシャイティスが描くエジプトの神々の場所も時代も越えた旅はとどまるところを知らない。
イシスもオシリスも、インドや中国、さらには大西洋を越えて、メキシコやペルーにも現れたという。

中国においては、漢字とエジプトの象形文字が関係づけられ、中国の伝説の帝王である伏羲は『易経』で伝えられるように文字をつくったことで、トート、メルクリウスに重ねられる。果ては中国の重層化した塔は、ピラミッドのバリエーションと解される始末だ。

メキシコの神オモヨカもその衣装、姿勢が古いイシス板に描かれたオシリスと同様だとされ、オシリス、そして、ユーピテルに同一化される。

ここまで来ると、もうやりたい放題だ。もちろん、このように論じているのは、中国人でもメキシコ人でもなく、パリやドイツにイシスやオシリスを見出したのと同じ17世紀、18世紀のヨーロッパの研究者だ。

ヴォシウスにあってはマンは依然アダムだが、オシリスになるのだからエジプト化されたアダムである。イシスは、ヘブライ語でイシャーと呼ばれるイブに相当する。エジプトは最初の人間をオシリスとイシスの名で崇めた。

といった聖書とエジプトの神話の重ね合わせも展開される。

バルトルシャイティスはこう書いている。

音声や意味論による語源、直接のまたは三段論法的類型学が、いろいろな文明の中でエジプト現象を打ち立てるので、ギリシアだけを源泉として支えられた歴史の骨組みは、それぞれ、自分の領域内で自分自身の方法によって成り立つのだが、しかし同じ1つの光景を構成してしまう。その寄せ集めは抽象の中で作られる。つまり、幻想の歴史はいわゆる歴史を越えて、時間の現実的尺度を無視した年代の要素を用いて作られ、世界地図の自然の境界を越えて人間の地図が仕上げられるのである。

歴史的な時間の尺度も、地図的な空間的な境界も越えて展開される幻想の物語。そもそも神々の物語はそういうものだと言ってしまえばそうなのだが、そういう話がまことしやかに真実の歴史であるかのように語られていたのだ。
それが真実や平等などを追い求めたフランス革命の時代、啓蒙思想の時代なのだから不思議だ。

それは20世紀になって繰り返されることになる、ナチスドイツの神話の利用、日本で明治期に王政復古を宣言して以降の大日本帝国を築くために同じように神話を都合よく編集したことと同じだろう。

バルトルシャティスがこの本で描く、すべてがエジプトからはじまったかのような幻想の物語の編集が行われた流れも、冷静になればありえないような情報の改竄、捏造作業はそれが行われていたリアルタイムの時間においては、おそらく、歴史を偽造している感覚もなく、むしろ新たな真実が明らかになっていくという感覚だったのだろう。

この設計図の周りに集積された材料は、この同じ突飛な規則に従う。比較、対照、同一視、平行関係がありとあらゆる面に増殖し、この規則を生かす。偉大な古典的著作はひん剥かれ、怪しげで稀なテクストがこの目的で解釈され、集められる。偽書、改竄された著作のアレンジされたもの、謎めいた絵図が、神話に絶えず養分を補給している。

繰り返すが、こうした捏造はそれがいままさに行われているときは、隠された真実の開示とした捉えられるのだろう。もともと記憶にある何かモヤモヤしていたものに、新たな意味が宿り、それにより開けたヴィジョンにより真実を掴んだつもりが、幻想にはまってしまう。
それは何もここで描かれる過去の話ではなく、現代でもまさにすこしも変わらないことが起こっているはずなのだ。フェイクニュースはもちろん、ネットでたびたび起こる炎上も同じエンジンで動いている。

無知で情報の少ないところで、誤ったヒントが与えられたとき、こうしたことが起こる。神話に養分を与え続けるのは、そうした謎を開くかのような幻想を与える間違った符牒なのだ。それが慣れ親しんだ記憶に残るものであればあるほど、幻想の力は増す。

そのような罠にはまらないためにはどうすれば良いか? 両刃の刃になりうるとしても、それでも謎を解くヒントを追い求め、知識を得ようとし続けるしかないのだと思う。


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