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不在者の影

夏休みの旅行で山形に来ている。

今日は台風の影響もありつつも、酒田市を観光した。

訪れた場所の1つである本田美術館は、戦後の農地解放まで日本最大の地主と呼ばれた本田氏の別荘を元にしたものだ。
4代当主である本間光道が1813年に建造した清遠閣という建物が残っている。

壁に映る鶯の影

その建物の2階に上がる階段の欄間にこんな梅の彫刻がある。

白い壁に映った彫刻の影を見てほしい。
鶯らしい影が映っているのがわかるだろうか?

梅に鶯、まあ題材としてはよくある。
しかし、もう一度彫刻のほうに目を向けると、どこにも鶯など見当たらない。

正面から見ると、このとおり。
やはり鶯はいない。

影を見たときだけ、鶯が見えるよう彫られているらしい。

日本にもこういう影のイリュージョンがあるのだと知って、微笑ましい気持ちになった。

絵画のはじまりとしての影

微笑ましい気持ちになったのは、いま読んでいるのが、ヴィクトル・I・ストイキツァの『影の歴史』という本だからということもある。

ストイキツァは、古代ローマの博物学者、大プリニウスの言葉を参照しながら、影こそ人間に絵画をもたらしたものだという話を紹介している。

絵画の誕生について知られていることはほとんど何もない、と大プリニウスは『博物誌』第35巻14で書いている。しかし、ひとつだけ確かなのは、人間の影の輪郭を初めて線でなぞった時に絵画が誕生したということである。

と。

大プリニウスが紹介するのは、戦争に向かう恋人を惜しんだ娘が壁に映った彼の影の輪郭をなぞったという逸話だ。
いなくなってしまう(もしかしたら戦場で戦死して二度と会えなくてなってしまう)恋人の形見として、彼の影をその場に残そうと、娘はその輪郭をなぞるのだ。

ストイキツァは先の引用に続いて、こう書いている。

西洋の芸術表象の誕生が「陰画=否定(ネガティヴ)」にあるということは、きわめて重要だ。絵画が最初に現れたとき、絵画は不在/現前(身体の不在、身体の投射の現前)というテーマの一部をなすものであった。したがって、芸術の歴史には、この不在と現前の関係に関する弁証法がいたるところに存在しているのである。

身体が不在だからこそ、影がそこにない身体を代理して現前する。
まさに先の欄間の鶯(の影)のようだろう。この話を思い出したので、微笑ましくなったのだ。

不在、ネガティブ

もちろん、恋人の影をなぞったのが絵画の本当の誕生ではないことは明らかだろう。
実際にはラスコーやアルタミラの洞窟に残る先史時代の絵があるのだから。
影をなぞったのが絵の誕生というのは、古代ローマの時代の言い伝えでしかない。

しかし、影を不在の人の代理と考え、その像を身代わりとする考え方は、このnoteで紹介した像と死者の関係についての『イメージ人類学』での指摘とつなげて考えてみれば、そうした逸話をローマ人が好んだことは自然に思う。

同様のことを、ストイキツァも次のような記述で示している。

エジプト同様ギリシアでも、像は神と死者の代役を務めるものであったということは、古代エジプトやヘレニズム時代のギリシアを研究する人々の認めるところである。死者の代わりを務める像は生きているものと見なされていた。

こうした死の不在とも重なるネガティブなイメージを引きずっているからだろうか?
確かに、影や影絵的な表現のほうが通常の絵に比べて不気味な印象がある。
輪郭のみを形取った図像もそうだったりしないだろうか?

こうした作品や、

こういうものとか、

そして、特にこうしたものは、

むしろ、恐怖や驚きを誘うために影を利用しているといってよいものだろう。

光あふれる現在、影は肩身のせまい状況にある。
また不在を代理する機能もVRが代替するだろうし、モバイルやSNSが不在というものそのものの意味を失わせる。

そんな時代だからこそ、あらためて影の意味を見つめなおしてみたい。

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