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ターブル・ドペラシヨン

ミシェル・フーコーの『言葉と物』という本の最初に、アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスのエッセイ(「ジョン・ウィルキンズの分析言語」)に登場する中国の辞典が紹介されているというのは比較的知られたことだろう。

辞典といいつつ、その内容は、

はるか昔のその著述の中で動物は以下のように分類されている。(a) 皇帝に帰属するもの、(b) バルサム香で防腐処理したもの、(c) 訓練されたもの、(d) 乳離れしていない仔豚、(e) 人魚、(f) 架空のもの、(g) はぐれ犬、(h) 上記の分類に含まれているもの、(i) 狂ったように震えているもの、(j) 数えきれないもの、(k) ラクダの毛で作ったきわめて細い筆で描かれたもの、(l) など(エトセトラ)、(m) つぼを壊したばかりのもの、(n) 遠くからだとハエのように見えるもの。

といった具合に分類されているわけで、分類というものの恣意性を表しているとも理解することはできる。

けれど、このエッセイのタイトルが英国王立協会という、後にニュートンも会長をつとめることになる科学者、数学者の集団の初代会長であるジョン・ウィルキンズの名が冠されており、そのウィルキンスこそが言葉というものの曖昧さを嫌って、二進法のシステムからなる普遍言語の考案を進めていた人であることを思い出すとき、ことはそう単純なものではないような雰囲気が漂い始める。

ウィルキンズとほぼ同時期に、海を挟んだ大陸でライプニッツが同じように二進法による普遍言語を考案し、それがコンピュータ言語の基礎となるわけだが、ホルスト・ブレーデカンプが『モナドの窓』でいうには、「ライプニッツがかくも長期にわたって携わったテーマこそ、アルス・カラクテリスティカ(普遍言語術)ですらもなくて、名前そのままに自然と人工の劇場だったのであり、晩年に彼を強く突き動かしていたテーマもまさにこれだったのである」というとおり、この自然と人工の劇場なるものを「ライプニッツはクンストカマー、珍奇コレクション、絵画キャビネット、解剖学劇場、薬剤局、薬草園、動物園を数え上げ、一つのアンサンブル」として考えていたようで、この点で、ライプニッツはすこし中国の辞典のほうに歩み寄っている感もある。

それは、

硬直した、それゆえひそかに死んだ書庫世界と対照的に、この劇場をもって「万物の生きた印象と知識」を可能ならしめようというのだ。

というとおり、別の意味で、辞書というかたちの言葉による分類とは違う知を統べる方法の模索であったのだから。

この時代、新たなる知をいかに統べるかが問題となっていたのであり、その模索のさまざまな形が普遍言語や、ライプニッツの自然と人工の劇場を含む、クンストカマー、ヴンダーカンマー的なものとして表出したのだといえる。

そうしたことを背景にしつつ、フーコーの『言葉と物』の記述に戻ると、台、とくに、オペ=手術、操作のための台についての話は、特に僕のお気に入りであったりする。

シナの百科事典の列挙に導きの糸として役立つかに見える、われわれのアルファベットのabcの系列によって隠されているのは、一言でいえば、かの有名な「手術台(ターブル・ドペラシヨン)」にほかならない。わたしはここで、些少ではあるが、これまでの借りをルーセルに返済することにして、「台(ターブル)」という語を二重の意味で使っているのである。すなわち、まず、影をむさぼり食う太陽のしたできらめく、純白に塗られた弾力あるニッケル・メッキの台--それこそ、その上で、ひととき、いや、おそらくは永遠に、こうもり傘がミシンと出会う場所だ。そしてもうひとつ、秩序づけ、分類、それぞれの相似と相違を名による区わけ、諸存在にたいするこのような操作(オペラシヨン)を思考にゆるす表(タブロー)--それこそ、言語が、開闢以来、空間と交叉しあうところである。

物を操作し治療する台は、裏では言葉による分類、整理の操作のための表という二重の意味性を持っているという指摘。後者の意味においては、そここそが言葉と空間、あるいは物が出会う場所だというのだから、それは辞典、百科全書の世界だとも言える。

フーコーがこのあと、語るのは、テーブル、表に加えて、絵という意味でのタブローであるが、同時にフーコーが描き出したのは、この絵画としてのタブローが表としてのタブローに駆逐されていく様だ。

人はモノを見ることをしなくなる。絵画においてさえ、新古典主義的な絵画はモノを見るより、過去の古典作品に則った。
そんな時代だからこそ、「正しい分類」を追い求める新しい博物学としての近代分類学が創出されたといってよいのだろう。不確実なものはとことん排除するべく時代は動いた。

博物学が可能になったのは、人々がよりよく熟視することを学んだからではない。厳密な意味において、古典主義時代は、できるだけものを見ないように努めたといえるだろう。17世紀以来、観察というものは、ある種のものを体系的に除外することを条件とする感覚的認識となったのだ。伝聞の排除は当然のこととして、味や風味もまた排除される。それらは不確実で変わりやすく、だれにも容認されるような判明な要素への分析を許さないからである。触覚もまた、いくつかのじゅうぶん明瞭な対立(滑らかなものとざらざらしたものというような)の指示に限定される。そして、明証性と延長の感覚であり、したがって万人に容認されるように、対象を《各部分がたがいに他の部分の外部にある》ように分析する感覚にほかならぬ視覚に、ほとんど独占的な特権があたえられる。

ほかの感覚に対する視覚の独占。けれど、その独占は「不確実なもの」を排除するためのものだったから、曖昧な図像はことごとく嫌われた。
同じ18世紀の変化を医学とアートの観覧から読み解いた『ボディ・クリティシズム』のバーバラ・M・スタフォードもこう指摘する。

多くの新古典主義批評家から見て、胸が悪くなるほどむさくるしく「汚い」小さなまだらも版画の制作を一人で凝縮した存在がレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)に他ならなかった。描くのはすすだらけの料理場、あかじみ味も素っ気もないあばら屋ばかり。クロード・ロラン(1600-1682)、マルコ・リッチ(1676-1729)ともども、絵が下手、まだら模様が邪魔といってずっと批判され通しというのもむべなるかな。

レンブラントのような描き方も曖昧さを持ち、描く対象も薄汚れた普通の人まったりするような絵画はことごとく排除される傾向にあった。

かわって百科全書の上で説明の言葉に忠実に従う挿絵のような絵が重宝されるようになったのだ。

したがって、観察するとは、見るだけで満足すること、体系的にわずかな物しか見ないこと、表象のやや混乱した豊かさのうちで、分析されうるもの、万人に認められるもの、だれにでも理解できる名をもちうるものだけを見ること、である。「不明瞭な相似を導入するのはこの技術にとって恥辱である」とリンネは言う。

とフーコーは書いているが、曖昧さをとことん排除しようとした、この18世紀の啓蒙の時代を経てはじめて、それにつながる科学的革命、産業革命が用意されたのは間違いない。
けれど、同時に失ったものも多いのだろう。

その失ったものの1つがもしかしたら、言葉は本来曖昧なものだという感覚ではないだろうか。そう、思うことがたびたびある。

よく仕事をする同僚とはよく互いの考えや認識の仕方にズレがあるとき、とことん、そのズレがなんなのかをおたがいに理解できるまで、話し合いを続けたりする。議論の最中はさすがにおやおやという感じはするが、とことんやりあって互いの見方や考えてることがわかると、すっきりするし、さらにその先のことが考えられるようになる。何より、相手を信じる気持ちも強くなるから、中途半端に理解したつもりになって、進めることはしないようにしている。

だが、どうも、そういうことをやらない人のほうが多いように感じるのだ。
明らかにわかってなくない? 通じてなくない?という場面でも質問したり、確認したりしない。

はたから聞いてると明らかに違うことを言ってるなと思っても気にせず、そうだよねと共感しあっていたり、逆に何かについて口論しあってる相手同士が違う言葉を使いつつ、ほぼ同意見を言ってるよなと感じることがあったりが結構の頻度である。

つまりフーコーが古典主義以降、同一性と相違の分析的思考によって失われてしまったという、類似と類縁性をみる視点が完全に存在しないがゆえに、同じ言葉が文脈によって他の意味にとれることや、その文脈が自分がいま生きているそれ以外にも存在していて、自分の目の前にいる相手がまさに異なる文脈から話をしているのだという相違(ズレ)にまったく気づくことなく会話を進めてしまい、まったく意味のない共感による合意や、同じことを言ってるのに平行線の口論を続けたあげく同意見なのに決裂するなど、といった理不尽極まりない出来事が起こったりする。

ダリオ・ガンボーニが『潜在的イメージ』で紹介する、ドラクロワのこんなことばに耳を傾けてほしい。

ドラクロワは言う。「美しいタブローに、ひとつの定まった思想しか見出さない人は不幸である。また、想像力豊かな人に対して、完成されたもの以外には、なにも提示しえないようなタブローも不幸である。タブローの価値は、定義しえないもの、正確さから逃れてゆくもののなかにこそある。要するに、色彩と線に魂を込めたものが、魂に語りかけるのだ」。

ドラクロワがタブローに対してみていることは、ことばに対してもいえる。

ことばの「価値は、定義しえないもの、正確さから逃れてゆくもののなかにこそある」のだと。

ことばの違いや揺れを許容できないからこそ、ネット上を中心に不寛容がはびこり、ほとんど無意味な論争、炎上が起こってしまう。立場によってことばの表現も違えば、価値の置き方も違ってみえる(この場合、表面に反して実際はさほど違わない)ことを受け止められないがゆえの混乱。それもことばと物の関係が硬直してしまった17世紀後半から続いていることなのだろう。科学的にしようとした結果がこれほど非科学的な事態もなかなかない。

みんな、もっとことばというものを丁寧に、好意的な疑念の目を持ちつつ扱うべきだ。話している相手のことを本当の意味でちゃんと理解しようとした方がよい。
わからないことやすこし違和感を感じたことは、ちゃんとことばそのものを使って、わかったり、違和感を拭いされるまで話したほうがいいと思う。

よく、そういう場面で、「うまくことばにできない」とか「むずかしくて理解できない」といって、自分が説明したり、逆に相手の説明を聞いたりすることを投げだそうとする人がいる。だが、ことばなんてはじめから、うまく話せないし、理解がむずかしくて当然のものなのだから、何を今更と思う。
うまく話せることとか、簡単に理解できることを前提にしてること自体がそもそも、ことばというもの、あるいは、それを使って、知る、理解する、感じとるということのもつ多様で、奥深いものを完全に見落としているのだろう。
完全にことばに騙されている。
古典主義以降のことばに。

さて、長くなったので、古典主義以前の類似の世界における言葉と物のありようについてのフーコーの記述を最後に引用して終わりにしたい。

記号に語らせてその意味を発見することを可能にする知識と技術の総体を解釈学と呼び、記号がどこにあるかを見わけ、それらを記号として成り立たせているものを規定し、記号同士のつながりと連鎖の法則との認識を可能にする知識と技術の総体を、記号学と呼ぶことにしよう。16世紀は、解釈学と記号学を相似という形式のなかで重ね合わせていた。意味を求めるとは、たがいに類似したものとは何かをあかるみに出すことである。諸存在の文法は、すなわち存在の釈義なのだ。そして、諸存在の話す言語によって語られるのは、まさしく諸存在を相互につなぐ統辞法にほかならない。物の性質、物の共存、物同士を結びつけ通じあわせる連鎖関係といったものは、物相互の類似とべつのものではない。そしてこの類似は、世界のはてからはてへと張りめぐらされた記号の網目のうちにしか現れないのだ。「自然」は、記号学と解釈学を上下に重ねつつへだてる、わずかな厚みのなかにとらえられているのである。

もう一度、戻ってみる必要があるのではないだろうか?
ことばと世界がもっと近くに存在していた時代へ。

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