2020年5月の記事一覧
BEAT CRAZY 其の六
ベースを弾いてくれることをOKしてくれた山田の当時の風貌は…
天然パーマの超ロン毛(笑)
ファッションも自衛隊上がりな格好だから、GAUZEのシンさんの超ロン毛バージョンみたいな感じでOIとはほど遠い感じだったけど、そこはこっちから頼んだんだから黙って(笑)
名古屋芸音に向けてスタジオリハに入り始めた。
そして、事件が起こる…
THE DAMND初来日↓このアルバムが1番好きです❗️
マシ
BEAT CRAZY 其の五
ベーシストの荒尾が抜けた後、俺達はベーシスト探しを始める。
https://note.com/tamuraya_kyoto/n/n19c7f23fb472
というのも、その後のLiveが何本か決まっていて…
当時は今みたいににヘルプで入って貰うっていうことがあまりなくて、誰かメンバー抜けたら『すいません。出られません。』って感じのバンドが多かったから。
ある意味、みんなツッパてたのかもしれな
解除…こっからがホンマの闘いになりそう。
身体も
心も
仕事も…
OI of JAPAN 其の六(最終章)
OI of JAPAN発売から間もなくして俺達はAAレコードからインスト1曲を含む5曲入りシングルレコードをリリースすることになる。
SINGLE
プロデュースはOI of JAPANと同じくCOBRAのヨースコー。
タイトルのSINGLEっていうのはなかなかタイトルが考えつかなかったので『OI of JAPANからのひとり立ちみたいな意味を含めてSINGLEってどう?』ってヨースコ
BEAT CRAZY 其の四
その後、無事(笑)BEAT CRAZY(以下ビークレ)の企画に定期的に出してもらえるようになる。
今から考えたら凄いことなんだろうけど、普通に磔磔に出てた。
有難いことだ。
磔磔の水島さんにも可愛がってもらって。
水島さん
共演バンド宝島レーベルのキャプテンから出たWE ARE BEAT CRAZYをみていただくとわかるのだが、
ごった煮の企画団体。
もちろん、ビークレで1番多く共
OI of JAPAN 其の五
OI of JAPANがリリースされて、ヨースコーにアルバムもらって…『えっコイツらがoiバンドなん?』ってヨースコーに聞いた唯一のバンド!
NEW ROTEeKA
当時のこの風貌見て“どこがoiやねん!”
ってツッコミ入れてたけど、ヨースコーから『バンド数足りなくて、それっぽいバンドがデモテープ送ってきたから…』
っ言い訳してたけど(笑)
当時のロティカのメンバーがコックスのメンバーと同
BEAT CRAZY 其の三
前の記事(https://note.com/tamuraya_kyoto/n/n0a6e45293bce)にも書いたHOT SHOTつながりでBONESがちょくちょく BEAT CRAZY(以下ビークレ)の企画に出してもらうようになる。
BONES
ヨシダ、フンニャラ、オセキ、ムラヤマで結成された。京都ハードコアの伝説的なバンド。
のちにベースのフンニャラはCITY INDIANを結成。
ギ
OI of JAPAN 其の四
其の一にも書いたが、OI of JAPAN発売記念イヴェントのようなものもなく各バンドそれぞれ活動を続けていた。
京都での企画はBEATCRAZYに殆どお任せしてる状態だったので、OIやスキンズのバンドとブッキングされることが少なくハードコアのバンドとのイヴェントが多かった。
大阪は伝説のライブハウス『EGG PLANT』でブッキングしてもらうことが多くCRACKER JACKSやBULL T
BEAT CRAZY 其の二
ビークレの企画に出してもらうことになったのは、それから随分と後。まだバンドさえ組んでなかったし。(OI of JAPAN 其の三ってnoteで少し触れている)
当時、京都にサーカス&サーカスってライブハウスがあって…(東京ロッカーズってnoteでリザードを初見したって書いたあのハコ)
街中から随分と離れてるというか銀閣寺とか哲学の道って観光地に近い景観地区に何故かあって。
そこであるビークレ
BEAT CRAZY 其の一
BEAT CRAZYは俺達に音楽を演る素晴らしさや覚悟を教えてくれた。
OI of JAPAN以上に俺達の今に影響を与えてくれた存在。
あって当たり前だったけど無くなって今、本当に有難い存在だったとしみじみ感じている。
BEAT CRAZY(以下ビークレ)の存在を知ったのは高校生の頃。
あいも変わらず、ライブハウスの予定表を見てはパンクっぽいのないかなんて探してた頃だった。
同級生のフン
OI of JAPAN 其の三
参加のきっかけきっかけはヨースコーからの『レコード出さへん?』って電話。
当時は家の固定電話だし、とりあえずメンバーに電話を掛けて集まった。
というのも俺達は演奏が“下手くそ”で有名だったから💦(笑)
何せ鳴り物入りで京都の拾得のビートクレージー企画でデビューした。
“ヤバい奴らがバンド組んだらしい”とか
“エグいバンド名や!”とか話題だけで客入りはパンパンになったものの…
ライブ終了後
OI of JAPAN 其の二
Twitterとnoteが連動してるのを始めて知って過去に書いたnoteを連続して色々と上げてみた。
たぶん、こいつ暇なんやろなって思われてるんやろけど…
はっきり言います。
めちゃくちゃ暇です!(笑)
OI of JAPAN
このアルバムが無かったら、今のCOCKNEY COCKSの立ち位置は随分と違ったものになってたに違いない。
プロデュースはご存知のCOBRAのヨースコー。
リリー
5月30日 pound for pound中止
本日、5/30のイヴェントの中止をアナウンスさせて頂いた。
緊急事態宣言の延長と大阪が特別警戒地域に入ってることをうけて決定した。
個人的に非常に無念で悔しい。
これほどLiveやイヴェントの中止や延期について悔しさを感じるのは初めてだと思う。
色々な想いがあって今回の出演者さん達に声を掛けた。
いつもタイミングが合わなくでなかなか共演できなかったBUILD。
南の雄。大好きなバンド。
OI of JAPAN 其の一
かなりnoteを放置してました💦
率先して自粛してます。
身体動かすのはウォーキングとスクワットしてます。
そうそう京都大学の山中教授が言ってたけどジョギングやウォーキングの時の呼吸はくしゃみや咳してるのと同じだからマスクして下さいって。
ウォーキング、ジョギングの方のマスク率低すぎ…
話はタイトルに戻りまして、OI ofJAPANです。
録音やリリースまでの経緯は改めて投稿すること