OI of JAPAN 其の六(最終章)
OI of JAPAN発売から間もなくして俺達はAAレコードからインスト1曲を含む5曲入りシングルレコードをリリースすることになる。
SINGLE
プロデュースはOI of JAPANと同じくCOBRAのヨースコー。
タイトルのSINGLEっていうのはなかなかタイトルが考えつかなかったので『OI of JAPANからのひとり立ちみたいな意味を含めてSINGLEってどう?』ってヨースコーから提案されて決まった。
結果的にOI of JAPAN絡みでAAから音源をリリースしたのはコックスだけだったんじゃないかな…
今、俺の手元にあるかどうかは定かではないけど、ネットで画像なんか見てみると内ジャケなんか時代を感じるよなぁ(笑)
WASTED TIMEって曲を当時流行ってたTOY DOLLSっぽく歌ったのにはヨースコーも呆れてたな。
若気の至り(笑)
そんな後悔みたいなものもあって…OI of JAPAN2の時にWASTED TIMEを録音し直した感じかな。
ただ、Liveの写真からは初期衝動的なすごい勢いを感じるなぁ…
YOUNG PUNK NIGHT
俺達コックスにとって一つの区切りになったのが、このYOUNG PUNK NIGHTとその2〜3ヶ月後に行われた京都ビブレホールでのCOBRAとの2マンだった。
当時メジャーデビューへと鼻息の荒かったCOBRA主催の大きなホールでのイヴェント。
御堂会館は椅子席でキャパが900人強。
なんで椅子席のとこでやるのか?疑問に思ってたけど、COBRAとしては“実績”が欲しかったんだろう。
無事、満席になって“史上初”?(笑)椅子席ありホールでのパンクイヴェントは大成功した。
そして、次のビブレホールで初代ベーシストの荒尾(POCKY)がコックスから脱退することになる。
今は無きビブレホールもメジャーどころがいつもLiveしていた大きなホール。
(尾崎豊もブレイクする前に演ってるらしい)
500〜600はキャパがあったような記憶がある。
YOUNG PUNK NIGHTに出演したことで“ハク”がついたのか、満員のお客さんがコックスのLiveの時に前へ詰めかけ、スピーカーと照明が落ちそうになりLiveが中断……
機材を直す為に一旦、楽屋に戻ってからLive再開となった。
正直、自分達がこんな多くの人達を熱狂させていることに戸惑いを感じてたのを憶えている。
このLiveを最後に荒尾が抜けて、コックスは第二期に入っていくことになる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?