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2021年 謹賀新年
サボってたnoteを書いてみようと思った。
俺の年間の休日が盆、正月、GWも合わせてだいたい23〜25日程度。
今回の正月休みはとても早く過ぎてしまいそうなので、なんか書き残しておこうと。
2020年は誰もが予想してない年となった。
仕事、バンド、家族…
それは日本中いや世界中の人に。
その中で沈んでいく人達、逆に上がって行く人達をいっぱい見てきた。
今年2021年がどんな年になるのかは
noteサボってます。
今週末くらいには書こうかなぁ…
BEAT CRAZY 其の7
その後、山田に“後1回だけ弾いて”を何回繰り返したことだろう(笑)
半ばなし崩し的に山田が正式メンバーになった。
そして山田は『俺はOIじゃないし』って、ロン毛をバッサリ切ってリーゼントにした。
革ジャン、革パンにセディショナリーズのケツあて…ってスタイルでステージに上がってたっけな…
そんな頃、ビークレの蘭子さんから、『レコード出さへん?』って声がかかった。
日本語の歌詞の曲も出来てた
BEAT CRAZY 其の六
ベースを弾いてくれることをOKしてくれた山田の当時の風貌は…
天然パーマの超ロン毛(笑)
ファッションも自衛隊上がりな格好だから、GAUZEのシンさんの超ロン毛バージョンみたいな感じでOIとはほど遠い感じだったけど、そこはこっちから頼んだんだから黙って(笑)
名古屋芸音に向けてスタジオリハに入り始めた。
そして、事件が起こる…
THE DAMND初来日↓このアルバムが1番好きです❗️
マシ
BEAT CRAZY 其の五
ベーシストの荒尾が抜けた後、俺達はベーシスト探しを始める。
https://note.com/tamuraya_kyoto/n/n19c7f23fb472
というのも、その後のLiveが何本か決まっていて…
当時は今みたいににヘルプで入って貰うっていうことがあまりなくて、誰かメンバー抜けたら『すいません。出られません。』って感じのバンドが多かったから。
ある意味、みんなツッパてたのかもしれな
解除…こっからがホンマの闘いになりそう。
身体も
心も
仕事も…
OI of JAPAN 其の六(最終章)
OI of JAPAN発売から間もなくして俺達はAAレコードからインスト1曲を含む5曲入りシングルレコードをリリースすることになる。
SINGLE
プロデュースはOI of JAPANと同じくCOBRAのヨースコー。
タイトルのSINGLEっていうのはなかなかタイトルが考えつかなかったので『OI of JAPANからのひとり立ちみたいな意味を含めてSINGLEってどう?』ってヨースコ
BEAT CRAZY 其の四
その後、無事(笑)BEAT CRAZY(以下ビークレ)の企画に定期的に出してもらえるようになる。
今から考えたら凄いことなんだろうけど、普通に磔磔に出てた。
有難いことだ。
磔磔の水島さんにも可愛がってもらって。
水島さん
共演バンド宝島レーベルのキャプテンから出たWE ARE BEAT CRAZYをみていただくとわかるのだが、
ごった煮の企画団体。
もちろん、ビークレで1番多く共
OI of JAPAN 其の五
OI of JAPANがリリースされて、ヨースコーにアルバムもらって…『えっコイツらがoiバンドなん?』ってヨースコーに聞いた唯一のバンド!
NEW ROTEeKA
当時のこの風貌見て“どこがoiやねん!”
ってツッコミ入れてたけど、ヨースコーから『バンド数足りなくて、それっぽいバンドがデモテープ送ってきたから…』
っ言い訳してたけど(笑)
当時のロティカのメンバーがコックスのメンバーと同
BEAT CRAZY 其の三
前の記事(https://note.com/tamuraya_kyoto/n/n0a6e45293bce)にも書いたHOT SHOTつながりでBONESがちょくちょく BEAT CRAZY(以下ビークレ)の企画に出してもらうようになる。
BONES
ヨシダ、フンニャラ、オセキ、ムラヤマで結成された。京都ハードコアの伝説的なバンド。
のちにベースのフンニャラはCITY INDIANを結成。
ギ