OI of JAPAN 其の三
参加のきっかけ
きっかけはヨースコーからの『レコード出さへん?』って電話。
当時は家の固定電話だし、とりあえずメンバーに電話を掛けて集まった。
というのも俺達は演奏が“下手くそ”で有名だったから💦(笑)
何せ鳴り物入りで京都の拾得のビートクレージー企画でデビューした。
“ヤバい奴らがバンド組んだらしい”とか
“エグいバンド名や!”とか話題だけで客入りはパンパンになったものの…
ライブ終了後、コンチネンタルキッズの蘭子さんから『もうちょっと練習してからしか次のライブには出せないよ』
って言われてしまい、挙げ句の果てには帰り際に当時の拾得のスタッフだったBO GUMBOSのドントさんに“君ら二度と拾得には出さへんからね。暴れてるだけやん”と言われて凹んでたくらいなんで…
仲の良いBONESやコンチネンタルキッズは既に4曲入りシングルとかをリリースしていたけど…
当然、ヨースコーの申し出にいやいやいや〜ちょっと待ってって感じになったけど…
“俺のプロデュースのオムニバスやから各バンド立ち会わないといけないし、まぁ順番に録るし、まだ時間あるから後の方のスケジュールで。それまで頑張って練習しといて”って半ばゴリ押しでレコーディングすることが決まってしまった。
レコーディング当日
スタジオは大阪の名前忘れたけど、ラフィンやCOBRAも使ってたスタジオだった。
正直なところ俺は歌だけやしって軽く思ってたし、楽器隊のメンバーのほうが緊張しているなァ…なんて思ってたら…
ヨースコーが“これ聴いて”ってオープンリールを回し始めた。
『すごいカッコイイやん。どこのバンド?』って訊ねたらヨースコーが『ワンダラーズ。先に録音終わってるねん。このレベルまで持って行ってな』って。
ど緊張が俺の身体を縛りつけましたわ。
何せ聴いてるとき外国のどっか有名なバンドなんやろなぁなんて思ってたくらいやから。
ワンダラーズ…恐るべし…
出来るんか俺達に…
当時、人生ナメくさってて、毎日毎日、木屋町や三条にくり出しては喧嘩相手見つけてはバトってた俺が久しぶりの“緊張”ってものを感じた瞬間だったな。
うちらのレコーディングの時はヨースコーはプロデューサーとして最初から最後まで席を外すことはなかった。
今と違ってアナログだから、ドラムのミスショット1発で初めからやり直しになる。
初代ドラマーの岸澤君(KUNI)が何度も半ベソかきながら『ごめん。次で決めるから』って言ってたのを思い出す。
極めつけはI DON’T CAREのギターソロ。
何故かヨースコーが気に入らないらしく『こんな感じに弾けない?』ってメロディを歌ってくれるんだけど、上手くいかず…
オムニバス全体の録音にかける予算もあるし、これ以上、COCKNEY COCKSばかりに使えないやろって判断でヨースコーが弾くことに。
なんと実はOI of JAPANのI DON’T CAREのギターソロはヨースコーが弾いてます(笑)
このカミングアウトはもう時効だよね(笑)
こうして予定の時間を大幅にオーバーして無事にレコーディングが終わった。
BAD VULTURES
OI of JAPNの参加バンドの中でも最後のほうにレコーディングしてたのが滋賀県のBAD VULTURSだった。
たぶん京都の渡辺楽器の上にあった録音スタジオだったと思う。
ヨースコーが付き合ってくれと言うのでコーラス入れをしてる時くらいの時間に2人で到着。
ミックスダウンまで付き合った記憶がある。
その30年以上経った後、COCKNEY COCKSのミニアルバムGO BEYOND YOUR BORDERSでBAD VULTURESのOUT OF CONTROLをカヴァーさせてもらうことになるが…
この渡辺楽器でのレコーディングの時にOUT OF CONTROLのコーラスでヨースコーと2人で参加したのをこの記事を書きながら今更思い出した💦今更か(笑)
不思議な縁を感じた。
繋がってるんだね。
色々なことが…
二度とBAD VULTURESと共演するこは無いだろうけど、山内君とは近いうちに一緒に演りたいなぁって思ってる。
今日はこの辺で。
ステイホーム❗️
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?