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乳がんサバイバー(進行乳がんを生き抜いて)

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17年前のステージ3Cの乳がん闘病記。壮絶な治療の果て絶望の淵から立ち上がった記録です。傷だらけですが元気に生きています。 エッセイ特別賞受賞しました。たくさんの方に読んで欲しい…
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#癌

乳がんサバイバー その後 エピローグ

乳がんサバイバー その後 エピローグ



 エッセイの元になったのは闘病中に書いていた日記で、「乳がんサバイバー」の10倍以上の分量がある。ハワイにいた6年間書き続けた。しかし「乳がんサバイバー」では2003年の乳がん発覚から2005年の7回目の卵巣手術で終わっている。その後の事を少し書き足そうと思う。

* * *

 子宮卵巣を切除した後は、飲み続けていた抗ホルモン剤を変えることになった。以前はタミキシフェンという薬を飲んでいた。

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乳がんサバイバー 最終話 そして希望へ

乳がんサバイバー 最終話 そして希望へ

 

 子宮と卵巣手術が終わり、退院した。やっと自分のベッドでぐっすりと寝た。少し退院が早すぎたかもしれない。夜から具合が悪くなる。今回も耳鳴りと言うか頭の奥で嵐のようなゴウゴウという音がする。時々痛み止めのロクサセットを飲み、昏々と眠る。

退院するといつも夫が「君のソウルフードだよ」と白いご飯を炊いてくれて、みそ汁を作ってくれる。白いごはんと具の入っていないみそ汁は体中にしみ込むようだった。

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乳がんサバイバー 第30話 子宮と卵巣の摘出

乳がんサバイバー 第30話 子宮と卵巣の摘出

 9センチにもなっているという卵巣の腫瘍は、悪性か良性か組織を取り検査しないとわからない、ペットスキャンも可能だが、卵巣も子宮も手術での切除が良いと言われた。

医者が子宮の摘出も勧めた理由の1つは飲んでいる抗ホルモン剤が子宮がんにかかる率が高いこと。それから出産時から子宮を支える筋肉が傷つき弱っているので、将来子宮脱になる可能性が高かったこともある。

私が躊躇した理由は抗ホルモン剤で女性ホルモ

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乳がんサバイバー 第29話 生きる気力を失う。

乳がんサバイバー 第29話 生きる気力を失う。

翌日4月5日 大きいインプラントをごく小さいバッグに入れ替える手術をすることになった。卵巣と子宮の手術は延期することにした。もう手術は十分だ。今までで4回。この2つを入れると6回になる。

いつものように前日から飲食禁止で朝早く病院へ行く。8時半から4時間待たされた。やっと着替えてさらに1時間。12時半からやっと用意。空腹よりものどの渇きが辛い。注射をされガラガラとベッドごと移動中まで覚えていた。

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乳がんサバイバー 第22話 最後の抗がん剤と生えてきたふわふわな産毛

乳がんサバイバー 第22話 最後の抗がん剤と生えてきたふわふわな産毛

8月の最後の抗がん剤の前に基地の施設からタウンハウスへ移れることになった。ビーチエリアと行ってもワイキキではなく、西側のエバビーチという場所だ。タウンハウスというのは家が二軒横にくっついている集合住宅だ。一階2階が住居になる。今度はここに3か月間契約をした。

日本からの荷物はコンテナに入ったまま港に保管してあった。これは家が建ったら運び込まれることになっている。

息子は3年生からここ地元の小学

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乳がんサバイバー 第21話 骨の痛みと変化を受け入れる。

乳がんサバイバー 第21話 骨の痛みと変化を受け入れる。

 手術した側の左胸の骨の部分が痛み出した。

乳がんの転移で一番多いのは骨転移だそうだ。どきりとした。抗ガン治療中なのに、そんなことあるのだろうか? 腫瘍科の医者に話を聞きに行く。念のためにボーンスキャンというものをすることになったが、骨転移ではなかった。手術後に神経が痛んでいるそうで、よくある症状だそうだ。何年も痛みが残るらしい。

17年後の現在もまだ痛むことがある。神経がずたずたになっている

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乳がんサバイバー 第20話 髪が抜け始め取り乱した友人とドラクエの武器に救われた息子の話

乳がんサバイバー 第20話 髪が抜け始め取り乱した友人とドラクエの武器に救われた息子の話

 7月のはじめにキャリーとアラモアナの近くにあるサロンにウイッグを買いに行く。このサロンのオーナーも元がん患者でウイッグを安く提供してくれて、そのうえウイッグのカットもしてくれる。対象はその場で髪を剃る人、それからもう髪がない人のみだった。

まだ髪が抜けていないキャリーはウイッグを選ぶだけにした。私は黒と茶系のショートのウイッグをかぶってみた。その場で自分のウイッグを外したのだが、髪の毛のない私

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乳がんサバイバー 第19話 新しい抗がん剤タキソールと独立記念日の花火

乳がんサバイバー 第19話 新しい抗がん剤タキソールと独立記念日の花火

 2週間後、夫が出張から帰ってきた。疲れきっているようだ。急にハワイに来て私の介護や息子の世話、日本へ帰って引っ越しの用意、帰ってきたらまた出張と忙しい日々を送っている。申し訳なく思う。

親友から(乳がん全書)という分厚い本が届く。 この本はこの日から何度も何度も読み、私のバイブルとなった。

翌日は病院で新しい抗癌剤タキソールの説明を受けた。

副作用はこちらのほうが軽いそうだ。ただ、こちらの

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乳がんサバイバー 第18話 生きていたい

乳がんサバイバー 第18話 生きていたい

注 このエッセイは17年前の記録です。当時悪性の乳がんで10年生存率は20%と宣告されました。「生きていたい」と泣いていた日々。17年後の私はあちこち傷だらけですが、今日も元気です!

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あと2か月の我慢だ。8月に全ての抗癌剤が終わる。そして10月には放射線も終わる予定だ。

それで大きな治療は終わり、あとはホルモンブロック剤による治療になるはずだ。

今年中に再建手術もできる

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乳がんサバイバー 第17話 一番つらかった4回目の抗がん剤。

乳がんサバイバー 第17話 一番つらかった4回目の抗がん剤。

 数日後、今度は夫だけ新しい仕事のトレーニングのための出張に行くことになった。また寂しくなる。母にはこのために来てもらっていた。病院に行く間に息子を見てもらおうと思っていたのだった。アメリカの法律では8歳の子供を一人家に置いて外出できないのだ。夫が出張に行った夜、息子はまた不安と日本旅行の疲れもあり、泣き出してしまった。

翌日外で少し遊んでから、昔好きだったドラクエを一緒にする。すごく楽しそうだ

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乳がんサバイバー 第16話 癌になったからこそ、気がつけたこと。

乳がんサバイバー 第16話 癌になったからこそ、気がつけたこと。

 

 2人の母と中学校からの親友は心配して電話をよくかけてくれた。母は日本から来てくれているし、夫ママも1ヶ月後くらいに来てくれる予定になっていた。友人から本や雑誌や食品が送られてきたり、カードやお見舞金を頂いたりもした。

 離れていった人もいた。元小学校の関係者、いわゆるママ友と呼ばれる人たちなどだ。打ち明けるのは勇気がいるけれど急な引っ越しで言わないわけにはいかなかった。こういう重い病気に

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乳がんサバイバー 第15話 3回目の抗がん剤と母の話

乳がんサバイバー 第15話 3回目の抗がん剤と母の話

 

 インターネットで乳がんのことをいろいろ調べてしまうので、落ち込むことも多かった。当時はブログもそれほど盛んではなく、やっと調べて「乳がん闘病ブログ」にたどり着いてもブログ主が亡くなっている場合も多かった。わかっていても、見るとやはり辛くなる。自分よりもステージが高い人が長生きしているブログはないか? そればかりずっと探していたような気がする。

病院でもらってきた抗がん剤の本も読みだした。

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乳がんサバイバー 第14話 夫が息子を連れて日本へ行く。

乳がんサバイバー 第14話 夫が息子を連れて日本へ行く。

 引っ越しの用意をしなくてはならないので夫が日本へ行くことになった。息子も一緒に連れて行って小学校へ連れていく予定でいた。さようならも言えなかった友達にも会えて喜ぶかと思ったのだが、朝から「行かない」と大泣きだった。

空港にいる夫から電話が入る。
「すぐに帰ってくるからね、行ってくるね」というバックグラウンドは息子の泣き叫ぶ声だった。
「飛行機に乗らない!日本に行かない!」と大泣きしていた。その

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乳がんサバイバー 第13話 抜ける髪の毛

乳がんサバイバー 第13話 抜ける髪の毛

1回めの抗癌剤から10日後、ついに髪の毛が抜け始めた。自然にハラハラと抜けるのかと思っていたけど、キュと誰かに引っ張られているような感じだ。

頭皮がピリリと痛む。 自分で引っ張るとスッスッと髪の毛が驚くほど抜ける。

枕にもパラパラと落ちてきていた。髪が抜けるのはわかってはいたけれど、見た時はやはりなんとも言えない気持ちになった。

 美容院で短めのショートにはしてあった。 アメリカの美容院なの

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