タミイ・M

Ohio州で夫と息子と猫たちと生活。アメリカ生活約20年 結婚生活27年 乳がん闘病記…

タミイ・M

Ohio州で夫と息子と猫たちと生活。アメリカ生活約20年 結婚生活27年 乳がん闘病記を書いたエッセイ「乳がんサバイバー」でアルファポリスエッセイ部門特別賞受賞。それ以外は笑えるエッセイ。読むのはホラーとスリラー好き。映画ドラマ好き。動物好き。

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  • ちょっと?下品なアメリカスラングと言い間違い

    下ネタ中心のアメリカスラングと、その言い間違いの経験をまとめます。

  • 乳がんサバイバー(進行乳がんを生き抜いて)

    17年前のステージ3Cの乳がん闘病記。壮絶な治療の果て絶望の淵から立ち上がった記録です。傷だらけですが元気に生きています。 エッセイ特別賞受賞しました。たくさんの方に読んで欲しいと思いこちらにも転載することにしました。

最近の記事

英語スラング お尻編

私の失敗談も含めた「おしり」の英語スラングです。 普通の言い方のお尻日本語もそうだけど、英語の(お尻)にもいろいろ言い方がある。正式な言い方というかだれに使っても大丈夫だろうと思われる英語が buttocks(バトックス)もしくはbottom(ボトム) backsideも良いと思う(バックサイド)というのは背中に聞こえるけれど、お尻の意味。昔背中が痒いと言おうとして「バックサイドが痒い!」と言って笑われた。「お尻痒い~」の意味だった。 ちと砕けてる場合よく聞く言い方がBu

    • 乳がんサバイバー その後 エピローグ

       エッセイの元になったのは闘病中に書いていた日記で、「乳がんサバイバー」の10倍以上の分量がある。ハワイにいた6年間書き続けた。しかし「乳がんサバイバー」では2003年の乳がん発覚から2005年の7回目の卵巣手術で終わっている。その後の事を少し書き足そうと思う。 * * *  子宮卵巣を切除した後は、飲み続けていた抗ホルモン剤を変えることになった。以前はタミキシフェンという薬を飲んでいた。手術後は子宮がないので経血もなくなり閉経と同じ状態になった。そこで閉経を迎えてい

      • 乳がんサバイバー 最終話 そして希望へ

           子宮と卵巣手術が終わり、退院した。やっと自分のベッドでぐっすりと寝た。少し退院が早すぎたかもしれない。夜から具合が悪くなる。今回も耳鳴りと言うか頭の奥で嵐のようなゴウゴウという音がする。時々痛み止めのロクサセットを飲み、昏々と眠る。 退院するといつも夫が「君のソウルフードだよ」と白いご飯を炊いてくれて、みそ汁を作ってくれる。白いごはんと具の入っていないみそ汁は体中にしみ込むようだった。 数日間は少し食べて、深く眠ったかと思うと、眠れなかったりした。頭が痛くずっとド

        • 乳がんサバイバー 第30話 子宮と卵巣の摘出

           9センチにもなっているという卵巣の腫瘍は、悪性か良性か組織を取り検査しないとわからない、ペットスキャンも可能だが、卵巣も子宮も手術での切除が良いと言われた。 医者が子宮の摘出も勧めた理由の1つは飲んでいる抗ホルモン剤が子宮がんにかかる率が高いこと。それから出産時から子宮を支える筋肉が傷つき弱っているので、将来子宮脱になる可能性が高かったこともある。 私が躊躇した理由は抗ホルモン剤で女性ホルモンを抑える薬を飲みだして、薬による閉経で、いわゆる更年期障害になった。これが思っ

        英語スラング お尻編

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        • ちょっと?下品なアメリカスラングと言い間違い
          4本
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          31本

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          乳がんサバイバー 第29話 生きる気力を失う。

          翌日4月5日 大きいインプラントをごく小さいバッグに入れ替える手術をすることになった。卵巣と子宮の手術は延期することにした。もう手術は十分だ。今までで4回。この2つを入れると6回になる。 いつものように前日から飲食禁止で朝早く病院へ行く。8時半から4時間待たされた。やっと着替えてさらに1時間。12時半からやっと用意。空腹よりものどの渇きが辛い。注射をされガラガラとベッドごと移動中まで覚えていた。 今度の手術は小さいバッグに入れ替えるだけだったので、時間も短かった。12時5

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          乳がんサバイバー 第28話 9センチになっていた卵巣腫瘍そして感染

           3月に入り、ついにハワイに来て丸2年の歳月が流れていた。 息子は10歳になった。通学していた学校は先生が変わってしまい、いじめもひどかったので、少し離れている軍の学校に変えた。これは本当に正解で、もっと早くそうすればよかった。ハワイのローカルの小学校ではほとんどがハワイアンの子供で違う人種に対しての差別がひどかった。肌が白い息子は(ハオレ)と呼ばれた。白人をバカにする言葉だった。母親の病気で精神的にも弱っていたので、思い切って軍の学校に編入したのだった。 手術をして1ヶ

          乳がんサバイバー 第28話 9センチになっていた卵巣腫瘍そして感染

          乳がんサバイバー 第27話 義理の母も乳がんになる。

           2004年5月の終わりになっていた。 家の片付け、食品買い出し、そして料理。忙しいけれど、普通で、とても幸せな日々だった。家具を動かしたリ、買い換えたりしていた。 そしてボランティアもあれこれ始めていた。基地の募金コンサートでホットドッグ売りをした。抗がん剤からではなく、本物の体の疲れを実感して嬉しかったりした。 そんな穏やかな日々だったのだが、今度は夫の母親が乳がんになったというのだ。私の乳癌発覚から1年2ヶ月後。そして毎年マンモグラフィーを受けていたのに、去年だけ

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          乳がんサバイバー 第26話 いよいよ再建手術が始まる。

          2004年 3月30日 ついにこの日再建用の前手術をした。左乳房全摘出手術をしてから約一年経っていた。 手術をした左胸の皮膚の下にティッシュエクスパンダーというものを入れた。これは簡単に言うと水風船のようなもので、この袋の中に徐々に生理食塩水を入れて皮膚を少しづつ伸ばしていく。 大変な手術ではないらしいのだが、私の場合は皮膚が癒着していたのと皮膚も火傷のあとのケロイドに近く固まっていて、とても時間がかかった。 もしこれほどの時間や痛みをともなうと知っていたら、きっと手

          乳がんサバイバー 第26話 いよいよ再建手術が始まる。

          乳がんサバイバー 第25話 元乳がん患者からサバイバーに。ウイッグを外す。

           手術、抗がん剤、放射線治療といわゆる標準治療がやっと終わった。3月にハワイに来て7か月以上たっていた。 ちょうど良いタイミングでピンクリボンのレースフォーキュアというイベントがあった。ピンクリボンとは(乳がん早期発見して死亡率を減らそう)という運動だ。 乳がん撲滅のための募金集めのために行われるランニングとウォーキングレースだ。その1マイル(1.6キロ)ウオーキングに参加した。 5時に起き、ワイキキの会場へ。参加費を払いTシャツと帽子を受け取る。Tシャツは乳がん患者は

          乳がんサバイバー 第25話 元乳がん患者からサバイバーに。ウイッグを外す。

          乳がんサバイバー 第24話 ひどい火傷と幻肢痛 旅の途中の勇者

          放射線治療は途中まで、同じことの繰り返しだった。受付で名前を言い、着替えて放射線室へ。寝たまま左腕を伸ばして白い大きな機械を通る。 20回を超える頃から副作用も強くなってきた。だるさと腹痛だ。それから肌もどんどん焼けてきた。手術の痕を中心に四角く黒くなってくる。 「いい感じにトーストになってるわ~」とドクターSは笑う。  「ちょっと痛くなってきました」 「うん、やけどと同じだからね。塗り薬だすわ」 このドクターとのアポイントメントは楽しみだった。毎回夫と笑いながら部

          乳がんサバイバー 第24話 ひどい火傷と幻肢痛 旅の途中の勇者

          乳がんサバイバー 第23話 放射線治療始まる。

          8月の終わり。ついに放射線治療が始まった。 放射線治療とはものすごく簡単に言ってしまうと、残っている可能性のある癌細胞を放射線で(焼いてしまう)治療だ。 放射線は大好きなドクターSなので会えるのが楽しみだった。 一日目なので写真を撮り、放射線の位置を決めるのに1時間かかった。 ずっと裸なので寒くなってしまった。左腕も上げっぱなしで痛い。 胸に直接マジックでたくさん線を引かれた。 それだけでも驚いたのだが、なんと放射線を当てる印をタトゥーでいれたのだ。3つの点のタトゥ―

          乳がんサバイバー 第23話 放射線治療始まる。

          乳がんサバイバー 第22話 最後の抗がん剤と生えてきたふわふわな産毛

          8月の最後の抗がん剤の前に基地の施設からタウンハウスへ移れることになった。ビーチエリアと行ってもワイキキではなく、西側のエバビーチという場所だ。タウンハウスというのは家が二軒横にくっついている集合住宅だ。一階2階が住居になる。今度はここに3か月間契約をした。 日本からの荷物はコンテナに入ったまま港に保管してあった。これは家が建ったら運び込まれることになっている。 息子は3年生からここ地元の小学校へ通うことになった。ハワイでは8月の初めごろから新学期になっていたので、夫がそ

          乳がんサバイバー 第22話 最後の抗がん剤と生えてきたふわふわな産毛

          乳がんサバイバー 第21話 骨の痛みと変化を受け入れる。

           手術した側の左胸の骨の部分が痛み出した。 乳がんの転移で一番多いのは骨転移だそうだ。どきりとした。抗ガン治療中なのに、そんなことあるのだろうか? 腫瘍科の医者に話を聞きに行く。念のためにボーンスキャンというものをすることになったが、骨転移ではなかった。手術後に神経が痛んでいるそうで、よくある症状だそうだ。何年も痛みが残るらしい。 17年後の現在もまだ痛むことがある。神経がずたずたになっているのだと思う。今でも時々骨の近くがきりきりと痛み、切り傷も天候などによって痛む。時

          乳がんサバイバー 第21話 骨の痛みと変化を受け入れる。

          乳がんサバイバー 第20話 髪が抜け始め取り乱した友人とドラクエの武器に救われた息子の話

           7月のはじめにキャリーとアラモアナの近くにあるサロンにウイッグを買いに行く。このサロンのオーナーも元がん患者でウイッグを安く提供してくれて、そのうえウイッグのカットもしてくれる。対象はその場で髪を剃る人、それからもう髪がない人のみだった。 まだ髪が抜けていないキャリーはウイッグを選ぶだけにした。私は黒と茶系のショートのウイッグをかぶってみた。その場で自分のウイッグを外したのだが、髪の毛のない私を見てキャリーはすごくショックを受けていた。彼女が選んだブロンドのショートのウイ

          乳がんサバイバー 第20話 髪が抜け始め取り乱した友人とドラクエの武器に救われた息子の話

          乳がんサバイバー 第19話 新しい抗がん剤タキソールと独立記念日の花火

           2週間後、夫が出張から帰ってきた。疲れきっているようだ。急にハワイに来て私の介護や息子の世話、日本へ帰って引っ越しの用意、帰ってきたらまた出張と忙しい日々を送っている。申し訳なく思う。 親友から(乳がん全書)という分厚い本が届く。 この本はこの日から何度も何度も読み、私のバイブルとなった。 翌日は病院で新しい抗癌剤タキソールの説明を受けた。 副作用はこちらのほうが軽いそうだ。ただ、こちらの抗がん剤も髪が抜けるそうで、もう生えてくるかもと思っていたのでがっかりした。

          乳がんサバイバー 第19話 新しい抗がん剤タキソールと独立記念日の花火

          乳がんサバイバー 第18話 生きていたい

          注 このエッセイは17年前の記録です。当時悪性の乳がんで10年生存率は20%と宣告されました。「生きていたい」と泣いていた日々。17年後の私はあちこち傷だらけですが、今日も元気です! * * *    あと2か月の我慢だ。8月に全ての抗癌剤が終わる。そして10月には放射線も終わる予定だ。 それで大きな治療は終わり、あとはホルモンブロック剤による治療になるはずだ。 今年中に再建手術もできるだろうか? その頃引っ越しもある。小学校のことなど心配もたくさんあるが、早く病気

          乳がんサバイバー 第18話 生きていたい