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乳がんサバイバー 第28話 9センチになっていた卵巣腫瘍そして感染


 3月に入り、ついにハワイに来て丸2年の歳月が流れていた。

息子は10歳になった。通学していた学校は先生が変わってしまい、いじめもひどかったので、少し離れている軍の学校に変えた。これは本当に正解で、もっと早くそうすればよかった。ハワイのローカルの小学校ではほとんどがハワイアンの子供で違う人種に対しての差別がひどかった。肌が白い息子は(ハオレ)と呼ばれた。白人をバカにする言葉だった。母親の病気で精神的にも弱っていたので、思い切って軍の学校に編入したのだった。

手術をして1ヶ月経ったのに、胸は全然普通じゃなかった。傷は治ってきていたけれど、とにかく左胸がありえない形になっていた。もう手術はしたくなかったので、もう少し様子を見ることにした。

そして、またショックな事が起こった。婦人科の検査で卵巣に影があると言われる。多分腫瘍だろうと。かなり大きなもので9センチもあるという。

乳がんをしていると卵巣がんのリスクも上がるので、良性か悪性かわからないけれど手術で切除し、その際子宮も取ったほうが良いと言われる。これは飲んでいる抗ホルモン剤で子宮がんのリスクが上がるからだ。

ホルモン治療と呼ばれるものは女性ホルモンで増殖するタイプの癌の場合女性ホルモンのエストロゲンを働かないようにするもの。若い男性の医者が

「子供をもう生まないのならば必要のない器官だし」と言った。

女にとって、そんなに簡単な話ではない。 また心配なことが増えた。

「取ってしまっても、支障はないよ」と言った。

「じゃあ先生は子宮を取ったんですね」と、その男性の医者に言い返したかった。女性の器官の病気のことは女性のドクターに相談したい。

もう落ち込まない。立ち上がって戦おうと思う。負けるわけにはいかない。 もう夫と息子を泣かさないと決意していた。

卵巣の手術の決意をする。それでも2つとも取り出すか悪い方だけかはまだ決めかねていた。


* * *


 気持ちは前向きだったが3月の終わりイースターの日に、また感染症で入院した。

朝起きるとパジャマの胸の当たりが濡れていた。驚いて見てみるとなんと縫い目が開いて血が出ていた。小さい点のような穴から、中に黒く光っている物が見えた。これはウォーターバッグだったらしいが、その傷から感染しているようだ。

病院に電話して、ERに行った。注射の時に血管に針が入らずに何回も刺されて思わず泣いた。後、何回こんなこと繰り返すのだろうかと思いながら。もう泣かないと思っていたのに。抗生物質を入れながら翌日開いた傷を2針だけ縫う。

イースターは子供たちが楽しみにしている日なのに。「元気になってきたから、もうすぐ海にも行こうね」と言っていたのに。こんな自分が、こんな体が、情けなくなる。

ドクターは「このまま様子を見るけれど、この後も悪いようならインプラントを取り出す」という。放射線をしていたのでやはり皮膚が固く薄くなっているらしい。

また入院。もう病院は嫌だ。夜もうるさくて眠れない。翌日さらに4針縫ったけれどそこも痛い。今度は大きいホッチキスのような物を使い、ガチャンと留める。狭いトイレとシャワー室。点滴から入れている抗生物質のせいなのか、すごく具合が悪くなりナースコールをした。しばらく誰も来てくれなかった。

薬をもらえたのは1時間後だった。吐き気と戦いながら、薬をもらってからはこんこんと眠った。

翌日やっと退院できてホッとしていたのだが一週間後になんと1センチ位大きく開いていた。大きいホッチキスの針のようなメタルも傷口からぶら下がっている。皮膚が固く弾力もなく、古いゴムタイヤのようで、どうしてもくっつかないのだった。

翌日に入れ替える手術か、もしくは決めていた卵巣の手術の時に取り出してしまうか話し合うという。

もう嫌になり、情けなさと辛さといろいろな感情が押し寄せる。

こんなこと繰り返す私ではなく、別れて新しいワイフと新しいママと楽しい人生を送って欲しい、と思ってしまった。泣きながら夫についそう言った。そして

「直らないボロい中古車捨ててよ。新品のかっこ良い車買ってよ」と言ってしまった。すぐに意味がわかった夫は

「いやだよ、傷だらけでも歴史がある中古車が好きなんだ」と笑って言ってくれた。

言い方が面白くて笑ってしまったけれど、まだこれから卵巣の手術もある。体と共に心までボロボになっていった。

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