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「理想」は掲げられないけれど、イチャモンはつけられるタイプ

例えば、かねてより夢であった一戸建てマイホームを建てましょうってなったとしましょう。

キッチンをどうするか?

高さはこれくらいで、システムキッチンでコンロはこれくらいで、採光はこんな感じで、流しのサイズはこれくらいで…。考慮すべきことってめちゃくちゃある訳ですね。

ただ、何もないところから、いきなりこういった詳細をどうしたいか?って具体的なイメージを持てる人って割と少ないと思うんです。

手元に設計図面やイメージ画像があってやっとそこに注文をつけれるというか。タイトルのように言葉を悪くすると、イチャモンを付けられるというか。

たいてい多くの人は、非現実的な理想を掲げることはできても、現実的な完成図はイメージできず。また、何もないところでは意見をだせないけれど、何かしらの具現化があると意見を出せる。

・1 理想を掲げる力
・2 具現化されたものに意見する力

どちらも大切なんですけれど、ついつい1の方を蔑ろに、意見や文句がぶつけられているシーンってちらほら。自分にも何かができるんだって主張したいし、ダメ出しって簡単ですから。誰しもついつい無自覚にやってしまうのかもしれません。

意見するって大事ですけどね。理想を掲げている人にはそれなりの前提知識をもった推敲がある訳で、そこへの尊重があるべきなんじゃないかなってしばしば思う訳です。

少なくとも、その意見をしている対象が、どのような理想のためになされているものかの理解くらいはね、してもいいかもしれませんね。

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大抵の物事って、理想(要件の定義)があって、実現可能かを検討して、それを設計して、実行するって工程を踏みます。事が大きければ大きいほど、この理想・検討・設計は必ずと言っていいほどあります。なければ実行時に崩壊する。

大体ね、イチャモンつけたくなったときは、どういう理想の元それがなされているかって考えてみると、一歩視野が広がるなってしばしば思います。

あれ、これ、理想なくない?とか。

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