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「矛先」の向き先。カラオケするな!って確認書を書かせた大学の話

少し前の話なのですが、三重大学が学生に「会食しません」「カラオケしません」という誓約書(のちに確認書にしたよーって方針転換)を書かせたということで記事になっていまして。

これ

学校やりすぎやんけ!
学校に学生の私権を制限する権利はねーぜ!

みたいな世論がちらほらあったんですよね。
例えば、以下のようなtweet。

「私的活動の制約をうながすのは筋違い」と。確かに言わんとすることは分かるんですよ。

ただ、学生さんがどんちゃん騒ぎして、コロナのクラスタを起こしたら、口うるさい大人も、マスコミも、こうやって言いません?

○○大学!管理責任どうなってるんだ!!!

って。

要はそういうことなんですよ。

学校としては適切に学生に制限をかけとかないと、後でマスコミから叩かれるんですよね。

こう見ると、なぜ学校がここまでしなくてはならなくなったか?という問いに対して「世論が厳しいから」ということになると思うんです。あるいは、世の中の風潮的に、注意喚起だけでは足りないかも!迷惑をかけないように学生さんに強力してもらわないと!!って善意全開での行動であったりするかもしれません。

学校それ自体が悪いと判断するのではなく、一歩踏み込んで。

事が生じた際に生じる構造に問題があるのではないか、うまく理解できず叩き倒す世論やマスコミに問題があるのではないかと。

・1 大学が学生に誓約書を書かせた
・2 やりすぎちゃう?
・3 なぜそうなった?

1を見てばかげてるなーって思って思考をやめる人。

2と思って糾弾する人。

3まで考えて構造を理解してその構造を正そうとする人。

色々います。

賢いけれど、考察を踏み込まず大声を出してしまうタイプの2が多くなるとね、危ないなーってしばしば感じるのです。

構造がゆがむんで。


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