旅する土鍋 2019 ミラノ「いつまでもどこまでも弟子でいい」
梅雨の曇天を家族に置き去りにするのは少しだけ心のこりだった。
タネをまきにゆく
長い旅も短い旅も、出かける朝に特別な雰囲気はない。妻であり母であるということは、サッカーのキャプテンがつける腕章のようなもので。いやいや、みんなそれぞれがアイデンティティの腕章をつけており、スポーツと違うのはみんなそれぞれキャプテンなので、誰が出かけても家族の動きはとまらない。
「旅」という字は、ふたつの文字から成り立っていて、向かって左側の部分は「方向」の「方」で出てゆくこと。しかも祖先の霊が宿る旗をふりながら。右側には「人々」という意味があると、うる覚えであるが、そう理解している。
風にのる渡り鳥のように。花の種をまきにゆくように。世界中に腕章という可能性をはためかせ。
2ヶ月後に会いましょう!
家族間でかわすこの言葉で、それぞれの腕章をしめなおす。けっして脱ぎ捨てるのではない。
一方で、10ヶ月ぶり!お元気でしたか!と師匠とかわすとき、もうひとつある腕の「弟子!」という腕章をしめなおす。ちょっとよれよれだけどね。
アトリエという住処
「アトリエで寝泊まりしてる!」というと一瞬おどろかれることにも、すっかり慣れた。人はみんな、しかも互いに年齢を重ねてゆくわけで、50代中盤にむかってまっしぐらだからといって人生のポジションが決まるわけではない。いつまでも弟子でいい。
ということで、今年も師匠のアトリエのどんつき空間に居候して、旅と生活のはざまの世界を今年もさまよいはじめた。
ミラノを拠点にイタリアをぐるぐる旅している。左腕の「弟子」という腕章をぴらぴらさせながら。
(10日目フィレンツェの山の家にて)
#旅 #旅する土鍋 #イタリア #ミラノ #弟子 #海外 #コラム #陶芸家 #旅とわたし
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?