神戸六甲山へ登るときに聞こえてくる音楽は、髙木竜馬さんのピアノだった
2024年5月19日兵庫県神戸市の六甲山へ登りました。関東圏に住む私ですが、前日、兵庫県川西市にあるキセラホールで開かれた髙木竜馬さんのピアノリサイタルへ行ってきたのです。せっかくなので一泊して関西圏の山に登ろうと翌日に六甲山を目指しました。竜馬さんのリサイタルを体験した後の山登り、これがとても良かったのです!
頭の中に音楽がずっと流れて鳴っていることってありませんか?
まさしくそれが私の頭の中で起きていて、前日のピアノの残響を味わいながらのひとり山歩きは、とても贅沢で貴重な時間となりました。
竜馬さんのピアノリサイタル
兵庫県川西市の川西キセラホール。髙木竜馬さんのピアノを聴きに新幹線と在来線を乗り継いでやってきた。竜馬さんの思いがこもったソロピアノデビューアルバム
「Metamorphose」の構成に近い内容のリサイタルは、竜馬さんならではの多彩な音色がホールに響き渡るそれは素晴らしいものだった。竜馬さんのピアノ、本当にいいの。好きだなぁ。
六甲山
せっかく関西圏へ来たのだし、一泊して山友おすすめの六甲山へ登ってみようと計画してみた。
阪急線芦屋川駅を出発して住宅街を歩き、ロックガーデン、六甲山頂を経て有馬温泉へ降るコースは六甲山登山の王道と言われるコースだ。距離は約12キロ、標高差は登り1000m、降り700m、タイムは5時間半。休憩入れて6時間くらい、まぁまぁな山歩きとなる。
心強かったのは、いつも山歩きを共にするAさんが、昨年ソロでこのコースを歩いていて、「大丈夫!」と背中を押してくれたこと。行ってみよう!
この日は午後から雨予報なので、朝は早めに出発。朝6時には宿の部屋を出て、スタート地点の芦屋川駅に6時46分に到着し、歩き始める。ちなみに宿は宝塚にあるレディースホテルを利用。安心かつリーズナブルで快適だった。
頭の中に流れてきた音楽は?
芦屋といえば高級住宅街、立派な家が立ち並んでいるのを見つつ登山口へ進む。歩いてる途中から頭の中にピアノの音が流れてきた。(注: 家並みから聞こえてくるのではなく、自分の意識の中から聞こえてくる音のこと)
何が流れてきたかというと、それは昨日竜馬さんが弾かれたピアノ曲
チャイコフスキー6つの小品より「主題と変奏」
この曲は主題(テーマとなる旋律)が次々と変奏(装飾音をつけたり、リズムを変えるなど様々な手法で変化させて演奏すること)されていく曲だ。
最初のところからだったり、途中のとこからだったりと主題が変化しながら鳴っていた。早めに歩いている時は早い箇所。ゆっくりめの時はゆっくりな箇所。歩くペースごとにちょうどいい感じの箇所が鳴ってくる。昨日のリサイタルで印象的だった他の曲ではなく、なぜかこの「主題と変奏」が鳴っているのは、身体がそれを欲していたのだろうか。
チャイコフスキー「主題と変奏」
これは今日のメイン曲になるな、なんて思いながら歩く。
ロックガーデン入り口から高座の滝が出迎えてくれた後、本格的な岩道が続く。どこをコース取りしようかと考えているときは曲は止まったり、また歩き出すと流れたりと、心地よい音楽が頭の中でヘビーローテーションしていた。
基本、山歩きを一人でしているとき、考えていることは、実はそんなにはない。今、自分の位置と道が正しいか(これ大事)、時間はどのくらいかかっているかを気にしつつ、あとは山の景色、空気を楽しむ。
今の時期は緑が本当に美しい。そんなときに美しいピアノの旋律が頭にふわっと流れてくると感動の相乗効果が抜群で、ものすごく幸せを感じる。
分岐がなく、ただひたすら前にある道を歩くときは、結構「無」の状態だ。これも心地よい時間である。
何かを考えながら歩く、思索にふけられるのは、その無の状態から少しハッと目が覚めたようなとき。生かされている感覚、なんで私はここにいるのか、山の中で一人頭の中に思い浮かんでくるテーマを考えながら歩くのも楽しい。
六甲山頂到着
約4時間かけて山頂に着いた。
予報通りに雨が降ってきてしまった。しかもしっかりと。降りは慌てずに滑らないように気をつけて行こう。
頭の中の音楽を変えるときのこと
山を降るにあたり、そろそろ頭の中に流れる曲を変えたいなぁと意識を竜馬さんのピアノ「謝肉祭」へ集中してみる。
竜馬さんが「謝肉祭」の中でも思い入れのある楽曲と話されていた
シューマン「謝肉祭」よりプロムナード
少し話が飛ぶが、就寝中、目覚めかけているとき見る夢を、こういうストーリーじゃない、変えたい、と意識することが私にはたまに起こる。
大体目覚めの良くない夢だったりするので、それを無理やり違うストーリーに捻じ曲げようとする、そんな感覚を説明するのは難しいのだが、寝ている最中に無意識で夢を見ていることに気がついて、目覚めかけの意識が半分ある状態でストーリーを変えていく感じ。
頭の中に流れている音楽を変えるのはそれに近い感覚だろうか。目覚めかけているとき見ている夢の内容を変えるよりはずっと簡単かもしれない。でも一旦頭の中で流れているメロディーを変えるのは結構難しい。
こんな意識の遊びをしながら山の森の中を歩く。とても贅沢な時間じゃないかしら。ましてや竜馬さんのピアノの余韻に浸りながらなんて、貴重で尊い。
終わりに
色々なことを考えながら山を降りてきた。下りはなぜかほとんど人とは会わなかった。森の中にただ一人、黙々と歩く自分。不思議と怖さは感じない。いつもポケットにショパンではないけれど、その日はポケットならぬ頭の中にチャイコフスキーからシューマン、時々グリーグがあったので心強い。
クラッシック音楽は、もともと教会での祈りが歌となりそれが音楽となり、長い年月の間に音楽としての様式や形式が作り上げられてきた、と、どこかで読んだことがある。
神への祈り、自然への畏怖の念、などがそこかしこに散りばめられているのがクラッシック音楽であり、ピアノ曲にも表れているように思う。竜馬さんもそのクラッシック音楽の伝統を受け継ぎ、後世に伝えていきたい、と力を尽くされている。そんな竜馬さんのピアノだからこそ心に響く。聴いてると自然の景色が見えてくるようなことがある。そこが好きなんだと思う。自然の景色に心揺さぶられるように竜馬さんのピアノにグッと惹きつけられる。
私の人生を豊かにしてくれるピアノ音楽と山登り。この先も楽しめられるように健康で元気でいられるようにと願わずにはいられない。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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