マガジンのカバー画像

Music

103
運営しているクリエイター

#音楽

「Stop Making Sense」4Kリストア版@IMAXシアター

約40年振りに観ました。83年作ですが、僕が見たのは、85年。レイト・ショーのみの公開でした。 当時は、メンズ・ビギがプロモーションをサポートしており、店舗にも大きなポスターが貼ってありました。あの時代、肩幅を強調したジャケットが大人気でしたが、あのスーツは肩だけでなく、身頃も巨大で来日時に観た能にインスパイアされたそうです。 改めて、彼らの音楽をまとめて聴いてから観たので、その辺の話から、映画につなげたいと思います。 さてTalking Headsといえば、Televis

Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022

“これが最後かもしれない”という本人のコメントと共に、先日 全世界に配信された2年ぶりのソロピアノでの演奏。1時間を超えるライブは体力的に難しいということで、日を変えて収録された映像。全世界向けの配信のためか、時間を分けて4回配信されたわけですが、その胸に迫る演奏と素晴らしい映像で3回観てしまいました。 彼のことをはじめて知ったの当時一世を風靡した“フュージョン”の新進気鋭ギタリスト渡辺香津美の1979年に出たアルバム「Kilin」のプロデュ―ス。その後、YMOの一員としてデ

【聴かずに死ねるか】座談会 パンク・ニューウエーブ編

大手プロモーターが手を付けていなかったSSW、ブルーグラス、ジャグバンドなどの多くのミュージシャンを日本に招聘されてきたトムズ・キャビンの麻田浩さん。 79年ころから、アメリカやイギリスから聞こえてきた新しいムーブメントであるパンク・ニューウエーブのアーティストの来日に絞って、麻田浩さんを中心に、当時、関西で、ライブの運営にも関わられたスマッシュ・ウエストの南部裕一さん、そして観客としてライブを観ており、現在は、ロック・マガジンの阿木譲さんの遺品の整理をされており、当時の貴重

The Sparks Brother ~A Film By Edgar Wright

愛しのスパークスのドキュメンタリー。 UCLA出身ながら、あまりにもヨーロッパ的でUSで売れず、イギリスにわたり大成功した彼ら。ジョルジョ・モルダーとの先進的なサウンドなど素晴らしい業績はあるものの色物的扱いであまり評価されていなかった彼ら。全キャリアをレトロスぺクティブに描くこの映画で彼らのことが多くの人に知られるのが大変うれしい。彼の作品を下敷きにしたレオス・カラックス監督の”Dark Fantasy Rock Opera”「アネット」とともにぜひ。 ・「テレビに出ていた

石橋 英子at Blue NoteMotion Picture “Drive My Car " Original Soundtrack

今日は 各国の映画賞で多くの賞を獲得した映画の“ドライブ・マイ・カー” の音楽を担当した石橋 英子の“凱旋”ライブ。 この映画を観ていた時、インプロビゼーションからアーバン・ポップまで、様々なジャンルで注目のアーティストと共演し、海外の方が知られている彼女の名前を見つけ、そして映画のムードや出演者の心象風景を描く事に貢献した素晴らしい音楽に興奮したものです。 今日は彼女が様々なジャンルで共演する長年のコラボレーター ジム・オルークの参加し、ジャズのバックグランドのあるミュ

The Rebirth of Cool One~Seven

時代が90年代に入り、70年代後半のPunk/New waveから始まったMusical Explosionは Hip hopアーティストによるJazzやその他“Rare Groove ”のサンプリングを契機としてJazzの逆襲が始まった訳ですが、こちらは7集まで続いたそのムーブメントの記録。 The nineties will be a decade of jazz thing .Welcome to the story so far という確信に満ちた宣言から始まるライナ

ダブリン紀行

ちょうど6年前、初めてアイルランドはダブリンを訪れたときの投稿が出てきました。こちらは、現地に行く前に”予習”した本と音楽の数々。現地でのエピソードをいくつか。 ①.パスポート・コントロールで”何しにダブリンに来たのか?”と聞かれ、いつものように”観光”と答えると、”で何するの?”と聞いてくるので、”ライブ観たりとか”と返事すると、すかさず”誰のライブ?”と言うで”Moving Hearts ”と答えると”それってChristy Mooreがいたバンドだよね。へーライブやるん

映画「ノーザン・ソウル」

Amazon Primeの配信で見つけて これで観るのは3回目になります。ノーザン・ソウルと言えば、もちろんアメリカ北部で生まれたソウルミュージックのことで、シカゴやデトロイト(もちろんモータウン)などのソウルをメンフィスなどのサザン・ソウルと対比して指すこともありますが、イギリスでそしてこの映画でいうノーザン・ソウルは、イギリスの北部に住む若者が、昼間の工場勤務の後に、クラブに集まり踊りあかすときにかかるアメリカのソウル・ミュージックという意味合いもあります。 1974年北

音響ハウス Melody-Go-Round ~奇跡の音が降る場所

メンフィスのマッスルショールズを代表格として、録音スタジオにスポットが当たることが多く、また過去には、「クラシックアルバムズ」というロックの名盤の制作秘話を語るDVDシリーズがあったりと、素晴らしい音楽が出来上がるまでの過程を覗き見ることは大変魅力的で、その作品への愛情がより増すことになります。  1974年に銀座で設立された「音響ハウス」。そのドキュメンタリー映画を観ることができました。スタジオミュージシャン/ギタリスト佐橋佳幸(松たか子のご主人でもあります)とレコードディ

Beautiful~The Carole King Musical/Original Broadway Cast Recording A Beautiful collection ~The Best Of The Ode Recordings From The Musical “Beautiful”/ Carole King

ニューヨークのブロードブロードウエイと並んで、ミュージカルのメッカとして名高いロンドンのウエストエンド。数年前の滞在中 街を歩いて気付いたのが、音楽をテーマにしたミュージカルの多いこと。ビートルズはもちろんのことクイーンなどいろいろ観ることができます。そこで、滞在の3日間はすべて音楽のミュージカルを観ることにしました。それは「The Kinks」「Burt Bacharach」そして「Carole King」でした。特に本国アメリカで大ヒットして、その後日本でも上演された「B

Robert Frippの「Heroes」

「Heroes」といえば、ベルリンの壁にほど近いハンザ・スタジオで録音されたDavid Bowieの作品の中でも有名曲であり、ベルリンの壁崩壊の前年の西ベルリンでのコンサートでは、スピーカーが東側に向けられ、大多数の若者が集まり、翌年の崩壊の引き金になったというエピソードは先日NHKでもの再放送され、記憶に新しいところです。 ライブ・エイド、フレディー・マーキュリーの追悼コンサートそして9.11.時に殉職した消防員の追悼コンサートでも歌われたり とBowieを代表する曲では

The Nomi Song / Klaus Nomi

日本でも、スネークマンショーのアルバムに収録され、パルコや石橋楽器のCMに起用され、80年代前半には 日本でも結構有名人となってしまったクラウス・ノミ。 その後83年にエイズであっけなくなくなってしまうわけですが、そんな彼がドイツからニューヨークに出てきた70年代後半は、パンク、ニューウエーブの流れが盛り上がり、人種の坩堝でもあるNYでは、世界から集まった”表現者“のため”舞台“が用意され、イギリスとは違ったダイバーシテイのなんでもありの状況だったようです。 この映画では

Carlos Alomar- The rhythm guitar of David Bowie’s Philadelphia and Berlin era

 David Bowie がフィラデルフィアソウルの総本山シグマ・サウンド・スタジオ“プラスティック・ソウル”でアメリカを制覇した時代 そして、パンク、ニューウエーブの勃興を横目に見ながら、Enoそしてジャーマンロックにアイディアを求め、ベルリンに移り澄んだ時代。 ドラムのDennis DavisとベースのGeorge Marryと共にCarlos AlomarのリズムギターがBowieのサウンドを支えたことは有名ですが、「Fame」や「Golden Years」のサウンド

「My Generation マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!」

Swinging London といわれ 世界の席巻した60s ロンドンの音楽・ファション・アートをその時代から活躍するベリー・ブリティッシュな俳優マイケル・ケイン(Get Carter、Alfie)のナビゲーションにより、1.Something In The Air 2.I Feel Fine 3. All was not as it seemed という流れで、ビビットに描かれた映画。”ローカルな”The Kinksの「Dead End Street」や「Waterloo