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【聴かずに死ねるか】座談会 パンク・ニューウエーブ編


大手プロモーターが手を付けていなかったSSW、ブルーグラス、ジャグバンドなどの多くのミュージシャンを日本に招聘されてきたトムズ・キャビンの麻田浩さん。
79年ころから、アメリカやイギリスから聞こえてきた新しいムーブメントであるパンク・ニューウエーブのアーティストの来日に絞って、麻田浩さんを中心に、当時、関西で、ライブの運営にも関わられたスマッシュ・ウエストの南部裕一さん、そして観客としてライブを観ており、現在は、ロック・マガジンの阿木譲さんの遺品の整理をされており、当時の貴重な写真を持ってこられたフォーエバー・レコードの東瀬戸悟らによる座談会を一乗寺で観てきました。
僕は 当時ストラングラーズのライブは、2度京大西部講堂で観ていましたが、同時期に麻田さんが呼んでいたまだほとんど知られていなかったエルビス・コステロ、ラモーンズ、XTC(リーダーはバリー・アンドリュースだと思っており、彼が来日直前に脱退したというニュースを聞き、ライブに行くのをやめた),トーキング・ヘッズ、グラハム・パーカー、B52 ‘sは、来日していたことを鮮明に覚えているものの、結局ライブにはいかず、今でも痛恨の極みを長く抱えてきた僕として、その当事者の方たちから、当時のチケット、フライヤー、写真を見せてもらいながら、例えば前座が誰だったのか(リザート、pモデル、アントサリーなど)も含め話を聞けたので、大きく何かが動いていたあの時代の感覚をリアルに思い出すことができました。麻田さんは、拾得にエリック・アンダーセンも呼ばれており、僕はそのライブも行かなかったものの、その後京都のレコード屋さんで、そのライブのブートレックを買ったことも思い出しました。
また、当時そのような音楽が開催されていた“治外法権”の京大西部講堂という”聖地“であり、特殊な”ハコ“は、冷暖房設備がなく、冬は表で焚火で暖まり、夏は、巨大な氷が会場内に置かれいたことなど、中学生、高校生だった自分が参加した当時のイベントの記憶を蘇らせてくれました。
そして、2部では、現在画家、京都市立美大の講師として活躍される木村 英輝が登場され、京大西部講堂の内幕を中心に、この方は、日本でもウッド・ストック・フェスティバルを開催されようとした方でエピソードは内田裕也、村八分、そして西部講堂でのポリスの事件の事件までおよび日本のロック界の裏側も聴くことができました

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