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Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022

“これが最後かもしれない”という本人のコメントと共に、先日 全世界に配信された2年ぶりのソロピアノでの演奏。1時間を超えるライブは体力的に難しいということで、日を変えて収録された映像。全世界向けの配信のためか、時間を分けて4回配信されたわけですが、その胸に迫る演奏と素晴らしい映像で3回観てしまいました。
彼のことをはじめて知ったの当時一世を風靡した“フュージョン”の新進気鋭ギタリスト渡辺香津美の1979年に出たアルバム「Kilin」のプロデュ―ス。その後、YMOの一員としてデビューし、お茶の間でも知られる存在となるわけですが、彼の音楽の広がりを世に知らしめたのは、俳優として出演をオファーされ、音楽も担当させてもらうのを条件で参加した大島渚監督作品「戦場のメリークリスマス」やアカデミー賞を獲得したベルナルド・ベルトルッチ監督作品「ラスト・エンペラー」。その後、彼の作品をオーケストラで演奏されたアルバムが出たりとクラシック畑の人としての彼にも注目するようになりました。
子供のころから、「自分はドビュッシーの生まれ変わりだ」思っていたとか、独自の解釈で、バッハを録音したカナダのピアニスト グレングールドを真似て極端に腰を曲げてピアノを弾いていた子供時代。
良く知られたことですが、彼は東京芸術大学の音楽学部作曲科を卒業し、同大学院音響研究科修士課程を修了しているわけですが、“教授”という呼び名もその音楽的知識の豊富さに驚いた高橋幸宏の命名。そして、彼が大学時代に何を学んでいたかというとジョン・ケージに代表される現代音楽と日本の民族音楽研究の第一人者で各地の音楽の採取(フィールド・レコーディング)を行った小泉文夫だということ。そして、解説とCDをセットにした音楽百科事典として、クラシックから、現代音楽、ロック、ジャズ、ソウル、日本のポップススして当時の最新の音楽スタイルまで、各巻ごとにまとめられた「commmons: schola」~音楽の学校として結実するプロジェクト。
そして今でも環境・平和運動に熱心に参加し、CDなどもカーボンニュートラルのパッケージを使ったりと、若い時から新宿に多くあったジャズ喫茶に入りびたり、その後、学生運動にのめり込んだ延長線上にあると思われ、そんな彼が過ごし影響を受けてきた60年代、70年代の社会の流れや芸術運動がその後の彼の作品に立ち現れていることを感じ、
彼の音楽により深く入りこむことになりました。
そして、今回の配信は、彼のライフワークのように思えるソロピアノでの演奏。
おそらく、80年代多く出されたカセット付きの本「Avec Piano」に収録された「戦場のメリークリスマス」ピアノバージョンが始まりだと思いますが、ただ彼の作品をソロピアノで弾くというのではなく、先にあげた彼の音楽そして人生の集大成としての演奏だったのではと思います。
今年7月から”新潮“で始まった連載「僕はあと何回、満月を見るだろう」では、ガンの再発を公表した彼が過去十余年の活動と人生を振り返り死生観も語るわけですが、
連載のタイトルのもとになった、彼が音楽を手掛けたベルナルドベルトリッチ監督「シェルタリング・スカイ」の映画の最後に原作者であるポール・ボウルズが登場して語る「人は自分の死を予見できず、人生を尽きせぬ泉だと思う。だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、あと何回心に浮かべるか?せいぜい4,5回思い出すくらいだ。あと何回満月を眺めるか?せいぜい20回だろう。だが、無限の機会があると思い込んでいる」という言葉を頭に浮かべながら。

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