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【感想文】門/夏目漱石

『寺門ジ』

夏目漱石は、自身の講義録『文学論』において文学の概念を次の様に定義した。

<<凡そ文学的な内容の形式は(F+f)なることを要す>>
<<Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに付着する情緒を意味す。されば上述の公式は印象又は観念の二方面即ち認識的要素(F)と情緒的要素(f)との結合を示したものと云ひ得べし>>
文学論,P.31

補足として、漱石は認識Fの範囲についてLroyed Morganの心理学を援用し、次の三種に分類した。
(一) 一刻の意識におけるF、 (二) 個人的一世の一時期におけるF、 (三) 社会進化の一時期におけるF
また、(F+f)の形式を取り得る認識Fは次の四種であるとし、それぞれに情緒fが付随するものとした。
(一) 感覚F、 (二) 人事F、 (三) 超自然F、 (四) 知識F

以上の文学論の要旨に従って本書「門」における文学性を以下、説明する。

■人事Fの効果:
<<「またヒステリーが始まったね。好いじゃないか小六なんぞが、どう思ったって。おれさえついてれば」「論語にそう書いてあって」>>P.64
この場面における御米の <<論語にそう書いてあって>> という冷徹な切り口は、あたかも耳元で囁かれているかの様な生々しさがあり、戦慄を覚える。

■知識Fの効果:
<<抱一の屏風>>
および<<ポケット論語>> の下りは、人生の処世において感心するだけであり、情緒fの程度は浅い。

■超自然Fの効果:
<<「父母未生以前本来の面目は何だか、それを一つ考えて見たら善かろう」>>
P.180
<<頭の往来を通るものは、無限で無数で無尽蔵で、けっして宗助の命令によって、留まる事も休む事もなかった。断ち切ろうと思えば思うほど、滾々(こんこん)として湧いて出た。>>P.182
以上の引用において、この <<父母未生以前本来の面目>> および <<無限で無数で無尽蔵>> なるものに、人間の理性を超えた得体の知れない何か、畏怖に値する気配が漂い、漱石の言葉を借りるなら <<超自然力の魔力にうたれ、その優勢を認むると同時に一種不可思議の感情(文学論P.174)>> に陥らせる。

■感覚Fの効果:
<<彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。>>
に続いて、<<甍を圧する杉の色が、冬を封じて黒く彼の後にそびえた。>>P.198
という一連の文章は、宗助という男の人生を投射した感傷的な叙情詩、叙景詩の様である。

このように、「門」を体系的に読むことで「文学者・夏目漱石」の姿を垣間見ることができる。

といったことを考えながら、私はアレクサに『アレクサ、風呂沸かして。』と命じたところ、アレクサはILLでDOPEな選曲によりフロアを沸かせた。

以上

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