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【感想文】戦争と平和(第一部)/トルストイ

▼戦争と平和のあらすじ(第一部)

※第1部第1編第1章~第3編第19章までのあらすじは以下の通り※

まず、金や地位といった虚飾に満ちた社交界の場が繰り広げられる中、ベズーホフ老伯爵の遺産相続者がピエールとなり彼が正式な嫡子として認められ、ボルコンスキー家のアンドレイが家族に別れを告げてクトゥーゾフ率いるロシア軍に参加、で、ウルム戦役におけるフランス軍とオーストリア・ロシア連合軍の戦い始まり、ウルムの戦いで早々にオーストリア軍が降伏してしまい、同盟のロシア軍は撤退するハメになって、とはいえフランス軍も追っかけてくるので橋に火をつけて足止めしたり、3日間だけ休戦したり、するとまた戦争が始まって、するとまたロシア軍は村を焼き討ちにして足止めしようとしたけど結局、フランスとロシアの両軍で大砲の打ち合いが勃発したもののロシア軍は全く歯が立たないのでやっぱり撤退して、どうにか総司令官クトゥーゾフ率いるロシア軍に合流したんだけど、その一方、ピエールがワシーリイの娘・エレンと空気を読んで結婚して、それに続けとばかりにワシーリイは息子・アナトールをボルコンスキーの娘・マリヤに仕向けるが、そもそもマリヤはブサイクなので全然相手にされないだけでなく、アナトールはマドモアゼル・ブリエンヌとデキてたので、マリヤは空気を読んでアナトールとの結婚を辞退した一方、アンドレイはイキり倒すニコライや出世欲の強いボリスに付きまとわれたりしている内にアウステルリッツの戦いが始まって、あいかわらずフランス軍にやられっぱなしのロシア軍は逃げまくってたらアンドレイが殴られて負傷して捕虜になってナポレオンに「オマエなかなかやるやんけ」的な事を言われたけど「ナポレオンも人間同士の争いもこの大空に比べたらちっぽけなもんだなあー」と虚無的な感傷に浸るアンドレイなのであった、的な話。

▼新潮文庫版で読んでる方に朗報:

私は本書を新潮文庫版で読んだ。なぜなら、実家の本棚には新潮文庫版しかなかったから。ただ、本書は新潮文庫版だけでなく岩波文庫版も存在し、そして岩波文庫版と新潮文庫版では章立てが微妙に異なっていた(といっても「部」の考え方が違うだけだが)。というわけで、岩波文庫版が新潮文庫版のどの部分に相当するのか調べたので新潮文庫版で読んでる方は参考にしてみて下さい。

▼3回も書き直したという噂:

前に別の記事でも書いたけど、トルストイはこの『戦争と平和』をなんと3回も書き直したらしい。ただ、この話は私が母親から聞いた話なのでどこまで本当なのか分からないし、母も学生時代に友人から又聞きしたそうなのでいよいよ胡散臭い……がしかし、信念のおとこトルストイなら、あの1,000,000文字オーバーの文章を部分的に修正するのではなく「書き直し」してもおかしくないような気もするがどうなんだろう。

▼アナバシスとの共通点・相違点:

第一部のウルム戦役から私が思い出したのは、クセノフォンという古代人による著作『アナバシス』であった。これは紀元前400年頃に起きたペルシャの内紛に参加したギリシャ軍が作中早々に撤退して、追っかけてくるペルシャに応戦して、でも撤退して、結局最後まで撤退し続けて、どうにか大将ティブロン率いるスパルタ軍に合流したよ……的な内容である。ということは、『戦争と平和(~第2編第21章)』と『アナバシス』は「撤退」という意味において共通している。で、相違点については(古代と近代の本を比較しても仕方がないのだが)アナバシスでは、ギリシャ軍に直面する問題を軍師クセノフォンが鮮やかに解決していく一方、『戦争と平和』におけるロシア軍には、軍師と呼べる者はおらず(クトゥーゾフ&アンドレイのコンビが今後活躍するのかもしれないが)、例えば、裸足で仕事をする変な兵士、男気一辺倒のバグラチオン、大砲を打つことに酔いしれるトゥーシン、ロシアの最終兵器・マトヴェーヴナばあさん、ウソの戦況報告をするジェルコフ、といったようにみんな割と奔放であり、もはやキャラ祭りやんけとすら思ったが、戦争を各個人視点で映せば十分あり得る話だとは思う。この点に関してアナバシスの場合は、戦争と平和のように各個人にまでまんべんなく焦点が当てられることは少なく、総指揮者であるクセノフォンの采配っぷりを中心に描かれており、そのため淡々として事実(真相は不明)が語られていることからして、両者は同じ「撤退」でありながら視点だけは対照的である。果たしてアナバシスをご存知の方がどれぐらいいるのか不明だが「信長の野望」というゲームをやったことがある方は読んで損は……ない。

▼アンドレイの心境変化について:

第1部第3編第18章以前のアンドレイは虚栄の人であり、彼にとっての戦争は自身の名誉を満たす為の手段であったとすらいえるが、第19章の後半部分ではそうした彼の心境に変化の兆しが現れ始め、それは以下の引用から読み取ることができる。なお、この引用は直面する死を通じて意識朦朧の中、首にかけられた十字架を見たアンドレイの台詞である。

『すべてが、マリヤが考えているように、あれほど明白で単純だったら、それはすばらしいことだろう。この世における救いをどこに求め、そしてその後、来世に何を望めるかがわかったら、どれほどすばらしいことか! いま、主よ、われをあわれみたまえ、と言うことができたら、おれはどれほど幸福で、心安まることか!……だが、おれはそれを誰に言うのだ? あるいは力か、──偉大なる全か、もしくは無か』と彼は自分で自分に言った。
『あるいは、ここに、このお守りの中に、マリヤによって縫いこめられた、この神か? いや、何もない、おれに理解できるすべてのもののむなしさと、ある理解できぬ、しかし限りなく大切なものの偉大さのほかは、確かなものは何もないのだ!』

上記引用はアンドレイが混乱状態のため読み取りづらいが、彼は無神論(あるいは不信心)であることが分かる。なぜなら、救いや希望といったものを神に求めるマリヤ、またそれはすばらしいことだと謳っておきながら、彼自身は祈るべき対象として認めないからであり、引用の中盤から後半にかけて、彼は「力」「偉大なる全」「無」「神」といったものは「何もない」と言い切っている。では、今の彼に「ある」のは何かというと、引用末尾における「理解できること(=この世のむなしさ)」「理解できないこと(=理解できないが限りなく大切なもの)」の二点だという。

◎「理解できること」について:

それは第1部第3編第19章本文に明記されており、それは、権力のむなしさ、誰もその意義を理解しえなかった人生のむなしさ、生者のだれもその意義を理解も解明もなしえなかった死の大きなむなしさ、といったものが挙げられる。つまり、戦争を通じた人間の行為全般に対して「むなしい」と彼は考えている。

◎「理解できないこと」について:

その手掛かりとなるのは第19章における、

・アンドレイは救護される直前に「限りなく美しいものに思われた生活に戻りたい」と思う。
・しずかな生活と平和な家庭の幸福が彼の想像に浮かんできたが、ナポレオンが現れるとその幸福は、疑惑や苦悩に浸食されていった。
・あの高い、正しい、美しい大空に比べたらナポレオンがむなしく小さな人間に思われた。
・大空だけが心の安らぎを約束してくれた。

という描写から察するに「平和な生活」と思われ、アンドレイは平和こそが限りなく大切なものだと考えているようだが、この時点でのアンドレイは平和なるものを誰に依拠すればいいのか、その対象が定まっていないため、前述した引用の通り「理解できないこと」として自問自答を繰り返しているものと思われる。

といったことを考えながら、以上の結果から今後の物語の展開として予想できるのは「アンドレイがかつての無神論および俗物的個人主義を捨てて、自然と共に平穏無事に過ごす心温まるハートウォーミングストーリー」が始まるに違いない。

第二部へつづく

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