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【感想文】こころ/夏目漱石

『先生理性批判』

作中における「K」「乃木希典」「先生」の自殺の裏には『自殺は道徳に反するのか?』という命題が潜んでいる。

この難問に対し、カント(Immanuel Kant)の立場に即した場合の回答はどうなるだろうか。
説明の前に、カントにおける道徳的行為とは「実践理性批判」「道徳形而上学言論」によると、次の4点だと私は解釈している。

①.行為を結果ではなく動機で評価せよ。それ自体として善いものを動機とせよ。(善意志)
②.意志の格率が普遍的な行動規範となるよう行為せよ。(定言命法1)
③.行為に例外はなく、また他者を手段として扱うな。(定言命法2)
④.自然な欲求に従うのではなく意志の自律に従い行為せよ。(自由意志)

以上を念頭に置いてそれぞれの自殺という行為の妥当性を考える。

【Kの自殺について】
Kは<道>なるものを信条としながらも薄志弱行ゆえに死んだ。
<道>を前にして自然な欲求(幸福、快楽)に基づく感覚的な行為は自由意志に反する。
また、苦痛を避けるためのKの自殺という行為は、全くの私的事由によるものである。
エゴに引きずりこまれたKの自殺は道徳的行為ではない。

【乃木希典の自殺について】
乃木の遺書の第一項を読む限り、乃木は明治天皇への殉死という形をとる。
この男の遺書には他者への忠誠や献身といった美徳があり、それは命を捧げたことに他ならない。乃木は私欲を捨て去り、公に向けてひたむきに死んだといえる。
しかし、殉死そのものを考えた場合、それはごく個人的な行動原則から出発した行為であり、②の普遍性という点に該当せず、したがって乃木の自殺も道徳的行為に反する。

【先生の自殺について】
先生は乃木の殉死に「明治の精神」を見出し自殺の意義とした。
これは一見、先生の内には乃木同様、公的な動機による崇高な道徳的精神が伺えそうだが、他人を単に手段としてのみ扱っており(=定言命法からの逸脱)、さらに、<<私に乃木さんの死んだ理由がよく解らないように>> という記述から、善意志からなる実践理性の働きとはとても言い難い。つまり、先生は理性的でなく感覚的に、死の価値を無理矢理に拵えて強引に死んだのである。
<<明治の精神に殉死する>> とは作中最大の欺瞞である。

以上、カントの立場では、三者の自殺は道徳的行為として成立しないことになり、それがそのまま命題への回答でもある。
漱石は、こうした高水準な道徳性を求められるカントの義務論に感銘して「則天去私」へと思い至ったのかもしれない。

といったことを考えながら、私はしなければならないことをしなければならないため、した。

以上

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