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【感想文】白い満月/川端康成

『見た目は大人!頭脳は子供!その名は……』

▼あらすじ:

普段は女中として働いている可憐な少女・お夏。しかし彼女は予知能力を持つエスパーだった!父親の死を的中させるお夏を訝しむ「私」は次第に彼女の能力に惹かれていくが、そんな中……妹の静江が変死を遂げてさあ大変!静江争う二人の男!男女の恋とサスペンス!坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、嫉妬に咲いた八重桜!天知る、地知る、お夏知る!あの日、あの時、あの場所で!さあみんな、幻想怪奇ミステリー小説『白い満月』を買いに書店へ急げ!

▼読書感想文 〜 推理結果のご紹介 〜:

本書のドアタマとラストでお夏と「私」がイミフな事を言っており、これを読んだ多くの読者は混乱したのではないか。そこで今回、このイミフ発言を解明するため、たったひとつの真実見抜く、見た目は大人、頭脳は子供、つまり私による推理結果を以下にご紹介させて頂く。

【ドアタマにおけるイミフ発言】

河鹿の声は、こうお月さんの光に浮いているように聞こえますでしょう。それが時々地の底へ沈み込むように聞こえるんです。」「うまいことを言うね。」「それがほんとですもの。そういう日は耳が悪いんですから、大きい声でものをおっしゃって下さい。」

中公文庫,川端康成異相短編集,P.13

上記における「河鹿」とは魚のカジカではなく「カジカガエル」のことだろう。お夏はその鳴き声を <<お月さんの光に浮いているよう>> と表しているが、これが不可解というわけではない。カジカガエルの鳴き声って、実際に聞いてみれば分かるけど、遠くの方で浮ついた高音が響いているなあって感じの声なので、お夏の形容もまあアリっちゃアリかなと思う。で、不可解なのは、お夏が語った「月の光に浮いているような声」が <<時々地の底へ沈み込むように聞こえる>> という部分と <<そういう日は耳が悪い>> の2点である。この不可解な発言は何を意味するのか。それは作中ラストのイミフ発言で明らかになるので、該当箇所を引用する。

【ラストにおけるイミフ発言】

私は二人の死の予感に怯えながら、現実の世界に住んでいないようなお夏を現実の世界へ取り戻そうとするかのように抱いていた。この静けさの底にあらゆる音が流れるのを聞いていた。

同,P.63~P.64

上記はエスパーお夏が自身の死だけでなく「私」の死も予知した直後の場面である。この二人は死ぬ。でもまだ生きてる。この状況を念頭に置くと、前述の <<静けさの底にあらゆる音が流れるのを聞いていた>> という一見矛盾した表記における、「静けさ」とは、何もない世界(=あの世)を連想させる。次に、「底にあらゆる音が流れる」のは生きとし生けるものが活動する現実(=この世)を連想させる。つまり、お夏と「私」は「この世とあの世の境界」に存在しているのではないか。だからこそ「静かなのにあらゆる音が聞こえる」という矛盾が「私」とお夏に限っては成立するのである。

【ドアタマのイミフ発言の意味】

以上の推理に基づくと、ドアタマのイミフ発言の <<時々地の底へ沈み込むように聞こえる>> が意味するところは以下になる。

① 河鹿の声がお月さんの光に浮いているように聞こえる
     → お夏はこの世に存在しているため。
② 河鹿の声が地の底へ沈み込むように聞こえる
   → お夏はこの世とあの世の境界に存在しているため。
    だから、お夏は <<そういう日は耳が悪い>> のである。

といったことを考えながら、この感想文のタイトルを広告屋に売り込んだら「コナンのパクりじゃん」と追い返された。

以上

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