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生きている時間が苦しい人たちへ

病に苦しんでいる人も、健康な人も
みんないつかは死ぬんだから。


生きている時間が苦しいものにならないようにしたい。

実は病や外側からかかるストレスそのものよりも、自分で自分を無意識に苦しめている分量がはるかに大きくなってしまっていることは意外と多いのです。


人に迷惑をかけたくない。
辛いのに辛いと言えない。
痛いのに痛いと言えない。
しんどいのに、人前では笑顔でいる。
甘えられない。
頼れない。
助けを求められない。


それは相手への思いやりなのか、
強がりなのか、
無価値感なのか、
罪悪感なのか、
不安や恐れがあることを認めたくないからなのか。。。。

自分で知らない間に作ってしまったルールが関係しているのかもしれない。

目の前の現実を受け止めたくないからなのかもしれない。


私は「助け」に値する人なのだろうか。

私なんかが助けを求めていいのだろうか。

これは助けを求められない人の多くが抱く思いかもしれない。


病院が年齢、職業、性別、性格、ステータスや人徳があるかないか、犯罪歴に関係なく、全ての人を当然のように受け入れ、当然のように治療してくれるように、


誰にも助けを求める権利はある。


誰にも自分を癒やす権利がある。


まずはこのことをしっかりと理解しておきたい。


それから、自分に聞いてみる。

どうしたい?
どう生きたい?
と自分に本音を聞いてみる。

自分との対話だから、人からどう思われるかなんて気にしなくていい。
本音で話し合ってみる。

自分と対話するだけで、
自分を理解するだけで、

暗闇に一筋の光がさし、ふっと気持ちが楽になる。

角ばっていた心が癒やされる。


それは自分を苦しめていたものを、自分で手放した瞬間に訪れます。

自分を苦しめていたものが、ある特定の人だったり、環境だったり、病そのものだけではなかったことに気がつく瞬間が訪れる。

自分に状況を変えられる力があることを知る瞬間が訪れる。

自分と向き合うとそういう瞬間が訪れます。



先日、私の主治医が言った言葉。
「どうせ皆死ぬんだから、生きてる時間を少しでも楽にするよう手伝うのが私らの仕事。」

にハッとしてこの記事を書きました。

私も最近は自分への声掛けとして、
痛くないよーじゃなく、
痛い時は痛い。
しんどい時はしんどいと声に出すようにしています。

まだまだ努力が足りない時も、とりあえずは頑張った〜!と認めて言ってみる。


自分自身にしんどいことも努力も否定されたら、たまったもんじゃないですよね。

「しんどいよね。頑張ったよね。」他の誰かにその言葉を求めにいっても、それは一時的なもの。
誰かに塞いでもらった穴は、また穴に戻り、求め続けなければいけない状態になっちゃいます。

自分で自分のためにできること。

自分を苦しめるサイクルに気づいて止める。

楽に生きる一歩を踏み出してみませんか?


愛をこめて

たまひろ


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