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私がホルモン治療を始めた理由。

絶対にイヤだったホルモン治療を6月6日から始めました。

何故「イヤ」なのか、
何故「今」なのかをこれまでの経緯と共に、綴っていきます。

今なにかの選択に迫られているけれど決心がつかない人、
自分の選択に対して不安な人、
癌治療に限らず心に迷いが生じている人、
頼る勇気、質問する勇気が持てない人のヒントになれば嬉しいです。



1.乳がん再発発覚まで。


乳がん経験者の私は術後から約6年間、
時にはオーストラリアから半年に一度、
関西の大学病院に検査に通っていました。
検査結果は毎回異常なし。

ところが去年の5月、腫瘍マーカーに異常値が出ました。

そして検査の結果、以下のような言葉が医師から私に直接告げられます。

「乳がん再発ステージIVです。手術はできません。」
「骨や肺に転移して徐々に生活に支障がでます。」
「余命はホルモン、抗がん剤治療をして3~4年。治りません。」

それから、治療による副作用について淡々と説明を受け、
ホルモン治療の承諾書にサインを促されるました。

状況を把握しようと頭が高速回転する中、
『治療をしなければ?』という当然の疑問が浮かんでくるけど、
「しない」という基準から外れるオプションを考えること自体、
大罪を犯しているような気になり、なかなか面と向かって質問する勇気が持てない。

医師にわからないことを質問するという当たり前の行為でさえ、
大罪に感じてしまう。
標準治療をしない=頼る場所がなくなる。切り捨てられる。
そんな意識です。

それでも、よく考えずに注射を打つのは違う気がしたので、
一か月間考える時間をいただき、やっと聞いてみました。
帰ってきた答えは、
「治療をしなければ、2年。」

ここでもまだ、治療をしなかった場合でも、引き続き経過観察が可能なのかなど質問する勇気が持てなかったので、以前お世話になった別の大学病院の医師に質問することにしました。

大学病院に勤める医師として答えづらいことは承知の上ですが、と一言添えて、別の医師から聞いた答えは、
「標準治療をしなくても、対処的に治療をしながら、元気に生きている患者さんはいます。」

少しだけ、自分で選択することへの罪悪感が薄れ、身体が軽くなったセカンドオピニオンでした。


2.なぜ、そんなにホルモン治療がイヤなのか

ホルモン治療について。
乳がんのタイプの70%には、エストロゲンと結びつくことによって癌細胞を増殖させるエストロゲン受容体というお皿を持つ特徴があります。

これを阻止させるのがホルモン療法。
一つは、卵巣によるエストロゲンの生成を抑制する薬。
2つ目は、体内(副腎や脂肪)で生成されるエストロゲンが、受容体と結びつくのを阻止する薬。

平たく言えば、生理を止めてしまうのです。
それにより、更年期障害が起こります。
ひとえに更年期障害といっても、軽いものから申告なものまで症状は様々。
仮に癌の増殖を抑えられたとしても、副作用で生きずらくなってしまう可能性は否定できません。

私は若い頃、軽い気持ちで数カ月間ピルを飲んだところ、2年間酷いニキビに悩まされ、その後も10年以上、生理前に口の周りに黒ズミが現れて、皮がポロポロ剥がれ落ちるというなんとも不快で恥ずかしい現象に悩まされ続けてきました。

そんな過去の苦い経験もあり、かつ現在、生理の周期は正常で何も異常がないことから、イレギュラーだらけの私の身体の中で、唯一正常に動いてくれている生理を薬で止めてしまうということに大きな抵抗があります。

そう遠くない未来、自然に止まる生理。
けれども、自然に逆らって自ら止めてしまうのは、
自分の身体を裏切るような気がして、
自分ではない何かになってしまう気がして、
こわいんです。。。。

最初の乳がんで、失った胸。
また、「女性であること」の象徴の一部を失う気がして、
こわいんです。。。。


3.苦行。揺らぎの中でこそ、見えた物。

標準治療により副作用に苦しみながら2~3年間寿命を延ばすよりは、
自分にとってベストな方法を選択し、自分らしく生きたいという思いで、
自分に合う病院を探し、自分に合う治療を探して過ごした1年間。

当然、心は何度も揺らぎました。

今まで以上に自分と真剣に向き合う中で、
何が自分にとってベストなのかを自分に問い続け、
不安や恐れに飲み込まれそうになってはその課題と向きあって、
自分の真実と繋がると安心感を取り戻して起き上がる。
というステップを何度も何度も繰り返します。

最初は一人で強がっていたけれど、弱音を吐いたり、人に甘えるということもせざるを得ない状況になってやっと、自分を許せるようになりました。

ソウルワークもやっと前進しだし、このまま順調に進む予感を覚えた矢先、
今年の1月後半から体調を崩すようになり、仕事も休みがちに。。。
ここから急速に体調が悪化していきました。

なんだか最近食べ物が飲み込みずらいなと思っていると、
あれよあれよという間に喉が詰まって何も食べれないような状況になり、
喉が詰まる回数も増え、体重も減少。

起き上がること、歩くこと、シャワーを浴びること、トイレに行くこと、全ての行動が思うようにできないのです。

普通なら入院が必要な状態です。
それでも今の自分には入院ではなく、自宅療養だと揺らがない私は脱水症状が出ると命が危ないのでふらつく足で点滴を受けに外に出かけます。
フェンスに捕まりながら、休憩しながら一歩一歩。
たった徒歩2、3分の距離が永遠のように感じられ、弱ってしまった自分の身体を思い知らされます。

精神が崩壊しそうになって「そろそろ潮時かな。。。」と、Loko Saoriにも弱音を吐いてしまいましたが、それでもまた、起き上がり、奇跡は起こり続けます。


4.「きっかけ」


それでも、みるみるうちに体が弱ってしまって、
首と顔は腫れあがり、皮膚にも腫瘍が出始め、食欲はあるのに、食事も水もとれないので、気がつけば、たった2カ月ほどで10kg以上体重が落ちていました。

以前自分の中にあった漠然とした大きな安心感は小さくなり、
生きて行く中で本当に不自由だと感じる時間が比例するように大きく増えて行きました。

そんな中、ある出来事をきっかけに私の決断は逆方向へと変わっていきます。
▶【この3週間後、まさに自らの意志力を問われ、命が揺るがされる試練が訪れました。】をお読みください。

私はやっと出会えた、この医師を心の拠り所にし、安心感を得ていました。

私の「意志」を尊重してくれる。と頼りにしていたクリニックの医師からの想像もしていなかった言葉に私は、はたとさせられたのです。

やっぱり、自分なんだ。
結局、自分なんだ。
自分以外には、いないんだ。
自分が納得できることをする。
自分の為に選ぶ。

いつも自分の中心に置いていたことですが、再認識しました。
全部ひとりで、助けを求めずに成し遂げると言う意味ではありません。

10年以上前から食事や生活にこだわってきた私にとって、
クリニックで食事指導を受ける効果に疑問を感じ始めて足が遠のいているのに、そんな自分を否定していました。
出歩けないほど体調が悪い時に、電車に揺られて診療所に通うことは、もはや命がけでした。
体調が悪いのに食べた物や尿のPHを測り日誌にすることは、私にとっては苦しかったのです。

食事療法、鍼、温泉、酵素風呂、足裏健康法、サプリ。。。。
全て熟考した上で始めて、続けているもの、やめたものもあります。
癌の再発が確定してから約1年間、自分の思う自分にとってのベストな対策を探し、取り組んできました。

けれども、「今」、身体も心も魂も限界。
これ以上、今までのやり方を変えずに継続することに未来は見えなかった。

寿命が延びなくてもいいから、標準治療を受けずに自分らしく生きたい。

そして、生きられる。と何故か当然のように思っていました。

そんな思いとは裏腹に、
標準治療を受けないことで、副作用が避けられても、
癌は進行していくという事実を容赦なく突きつけられた数カ月間。

このままでは、自分らしく生きることが叶えられない。
まだやれることがあるはず。

そこで始めて、今まで私にとって「毒」のように思えていたホルモン治療は、前向きな「希望」として選択肢に加わりました。


5.治療開始まで。

なるべく患者の意志を尊重してくれる病院をクリニックの医師から紹介していただいた後、
大学病院からの転院手続きを済ませ診察を受けた12月以来、
医者の立場、患者の立場、あるべき姿、相互理解は難しい。などという思考や感情との葛藤を繰り返して約半年ぶりの来院。

正直に葛藤している現況を伝えて、
改めてホルモン治療について尋ねると、
しっかりと身体ごと私に向き合って、
私の目を見て、
「何でそこまでいやなん?」と医師は私に質問をした。

至極当たり前のことだけど、
外科医から精神的なことを聞かれることは今までなかったし、
いつもパソコンから目線を外さない医師が多かったので新しい。

自分と向き合ってくれている。そんな印象を受けた。

ひとしきり説明をし終えた私に、医師が言った言葉は何の抵抗もなく私の胸にスッと入ってきました。

あなたのような患者さんは、少なからずいます。
でも、医者の立場から見て、正直とても、もどかしい存在です。
治療を拒否して半年後、一年後にどうしようもなくなって、助けを求めにくる患者さんがいる。
でもその時出来ることって、もう限られている。
元に戻してあげたくても、元に戻せないんです。
あなたのように、まだ若い場合は特にそう。
乳がんは癌の中では生存率も高いし、治療のオプションだってたくさんある。
完治しなくても、あなたの寿命ぐらいは全うできる程度に薬でなんとかなるんです。

それから続けて、大学病院の医師が私に告げた言葉について、いくらなんでもひどい!と怒る。

外科医はカウンセラーじゃないし、仕方ない。と聞き分けのよい患者のフリをして思っていましたが、やっぱり人間。
寄り添ってもらえると嬉しいものです。

既に嚥下障害の出ている私は、飲み薬が飲めない為、
最初から強い投薬が始まります。

まずは頭は納得しました。決心もできました。
でも感情と魂は?というとまだモヤモヤを感じたので、
一週間、時間をもらって当日まで、以下のような不安に対して内観を続けました。

●化学薬品=毒
●女性性の喪失
●正しい治療方法
●コントロール
●副作用
●自分への罪悪感

これまで、散々葛藤を続け、内観を続けたのに、なぜまだ時間が必要なのか。
決意した後も、揺らぎを感じる自分に正直であれたからです。

頭・心・身体・魂、納得してホルモン治療を受けないと、
私の身体はせっかくの薬を毒にしてしまう可能性があると感じたからです。


6.治療開始と現在。


2022年6月6日当日。
家族でもなく、医者でもなく、世間でもなく、他の誰でもない、自分を自分の中心に感じながら、第1回目のホルモン注射を受けました。

若干の不安や、心のざわつきはあったかもしれません。
でも、その不安を無かったことにしない。
ざわつきを押さえつけたりしない。

深呼吸をしながら、痛みを感じながら。。

おかげで、恐怖はありませんでした。


果たして女性ホルモンを止めたせいで失ったものは大きかったのか。

副作用はというと、
最初の2回は、注射をしたお尻から下半身がダルくて痛くて、さすがに2~3日動けなくなりました。
それから、ひどい脱毛と、関節痛、皮膚もヒリヒリします。

けれど2カ月経った今、首の腫れはおさまり、腫れを隠す為に切れなかった髪もやっと切ることができてスッキリしました。
皮膚の変色や腫瘍はまだありますが、それでも体調はうなぎのぼりに回復中で、食事もとれるようになってきました。

「やっぱり医療に頼らないと結果はでない。もっと早く治療してればよかったのに。」

私はそうは思っていません。

今だから出来た決意。
今だから出来た選択。
今だから効いた「薬」。

それと、始める前に感じた不安は内観していたおかげで、
今のところ自分を苦しめていませんし、
一番気になっていた「女性性の喪失感」については、
むしろ以前よりも改善されました。

ホルモン療法を始めてまだ2カ月ですが、今のところやって良かったと感じています。


7.私を支えてくれたもの。

友人、家族、医療、食事、温泉、旅。。。。。
私を支えてくれたものは、数え切れないほどあり、また後日紹介したいと思っていますが、絶対にこれをなくして乗り越えられなかったと思えるものは、「内観」です。

人生で大事な選択に迫られた時、
ネックになるのは「自分の気持ちがわからない」ことだと思います。
自分のこと、自分でわからないなんて、そんなことある?と思いますが、
自分で自分のことわからなかったら、誰がわかるの?と思いますが、
意外とわからなくなっている人、多いんじゃないでしょうか。

外側に答えを求めて見つからない人って多いんじゃないでしょうか。

自分で自分の内側に答えを求める、一歩、踏み出してみたいという方は是非。
あなたの旅路をサポートします。

【追記】
私はどうにも自分のアピールが苦手なもので困っており、目下取り組むべき課題なのですが、Saoriが書いてくれていました。
どうか合わせてご一読くださいませ。
ありがたや🙏✨

愛をこめて。
たまひろ





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