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エッセイvol.2

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2018年12月の記事一覧

「あたりまえ」のこと

世の中(というと少し大げさかもしれないけど)では「今年の振り返り」と「来年への抱負」がせめぎ合っている。

ぼくにとってのそれは「たけのこの里」と「きのこの山」みたいなものでもあり、まぁどちらでも…といった感情しか持ち合わせていない。

だからといって、否定しているわけではもちろんない。区切りをつけるためにも、そういったことをキチンとしたい人が多いのは知っているし、理解している。

と一丁前に講釈

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何も変わらぬ日々を

今日は突き刺さった。

どこかの発言や記事を読んで、「刺さりました! 」とかそういう話じゃない。あまりぼくはそういう表現を使わないし、そもそも刺さらないからだ。

もちろんぼくも人間だし、言葉が好きな青年! だ。「いい言葉だ」とか「いいお話だ」と思うことはよくよくある。でも、刺さるわけじゃない。刺さったら痛いし、傷跡が残る。どうせなら撫でるくらいにしてほしい。

さて、なにが刺さったのかというと風

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一期一会。

「こんなに読めるの? 」
「積読が増えるね…」

そんな声がどこからともなく聞こえて来そうだ。

そう、たくさんの本が届いたのである。

万葉集、徒然草の解説本、村上春樹のエッセイ集が3冊、イラストが1冊、そしてヤクルトの特集雑誌が1冊、合計7冊。

今すぐに読めるのかと聞かれれば、

「読めないけど、なにか? 」

と返すことくらいぼくはできる。

でも、積読が増えるわけではない。なぜならば、今

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残ってきたものに触れる

この冬、ぼくは大人になる。

なんだか映画のサブタイトルみたいだ。いや、映画は見ないのだけれども、なんとなくそんな気がする。いたるところで言ってる(書いてる)けれども、ぼくは映画を見ない。これは映画館で観ないというだけでなく、DVDやテレビでの再放送的なものも含まれている。

映画館で観たものは『もののけ姫』が最後だ。DVDで借りたことはない。アメリカドラマはあるけれども。ちなみに野球ものもだ。例

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ぼくには理由がいる

理由なんていらない、というには少しだけ遠く、連絡することをためらってしまう友人がいる。

友人、という呼び方が適切かはわからない。ぼくのなかでは結構なレジェンドであり、師匠ではないけれども、博識なその人は先生といったところなのだろうか。別にお医者さんではないし、代議士でもなく、士業というわけでもない。心の中の先生とでも言うべき存在だ。

そのような関係の先生に連絡するのに、この時期は好都合だ。クリ

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涙の色はまだら

ハンカチが涙色に染まった。

先日から詠み進めていた『本日は、お日柄もよく』(原田マハ著)が読み終わった。正確なページ数はわからないけれども、3分の1くらいを一気に読んだのではないだろうか。帰宅ラッシュよりも少しだけ早い時間帯に乗り込んだ山手線で。

物語の進め方に関しては「強引だなぁ」とか「展開が早いなぁ」と思った部分があるのはたしかだ。それでも、いや、それ以上にぼくは、ところどころに散りばめら

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日常の延長

ぼんやりと外を眺めてみると、いつもどおりたくさんの車が走り、向こう岸のタワーマンションだっていつもどおり明かりはついている。電車だって通常運転。風は少し冷たいけれど、ある晴れた日の12月ということを考えればこんなもんだろう。

家から見える景色や風そして空気は変わらないのに世間の空気は大きく違う。それは12月25日だからだ。いわゆるクリスマス。今年は平日ということで仕事に出かける人が多いのだろうか

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1年が経った

12月24日、世の中の景気が少しだけ良くなる日だ。

かくいうぼくも少しばかり貢献した。いつもなら買わないであろうローストチキンを購入したのである。それも2日連続という気合の入れようだ。半額になった直後にカゴに入れたのだけれども。

去年のこの日はつらかった。1週間後に救急車沙汰になる、その第1発目の目眩がやってきたからである。ちょっとしたフラつきだったこともあり、単なるつかれだと思っていた、その

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濁ったものから澄んだものへ

窓から眺めた景色は雪が降っているかのような濁り方をしていた。空気が淀んでいる、もしくは窓が汚れているそのどちらかなのだろうけど、ぼくの目には濁った景色が見えた。

冬の晴れた日なら空気が澄み富士山を見ることができるのだけれども、残念ながら今日は見えなかった。見えるのは川の向う側にあるビル群、そして電車の往来だ。

天気の条件で見えたり見えなかったりする。それは仕事のようでもある。自分の調子が良いと

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書く理由ってあるのだろうか?

灰色にしては白く、白と呼ぶのは少し、いやかなりためらわれる。今日の夕方前に見上げた空はそんな不安定な色だった。

まるでぼくの心の中のようだ、といった感情は1ミリも生まれなかった。小説やドラマではそういった挿入があったりする。でも、リアルに生きてる人生でそういう経験は殆ど無い。あったとしてもこじつけでしかない。

それでも、情景描写や心理描写を交差させる表現に人は思いを乗せたり、想像を張り巡らせた

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忙しいからこそ…。

久しぶりに文庫本で小説を読んでいる。久しぶりに、と言ったけれども野球本は除いて考えてほしい…。

いわゆる一般の小説を電子書籍ではなく、文庫本で読むのはいつ以来なのか思い出せない。歌集や古典は読んでいたけれども。

その本の題名は『本日は、お日柄もよく』(原田マハ著)だ。まだ途中ではあるが、最初から惹き込まれた。なんでこの本を読んだのか。それは日本ハムの栗山英樹監督が読んでいたからだ。何かのインタ

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厄介なことば

年末進行を今年ほど感じた年はない。

31日まであるのにもかかわらず、多くの顧客が25日、26日までの納品を求めてくる。つまり、31日という日数はハリボテであり虚像となっているのだ。

そして、今日の夕方には24日の夜納品の追加案件が入ってきた。これは年始分なのだが、いろいろ絡みがあり納品はクリスマスイブの夜。はやいよ。と思うけれども、頼ってもらってることには感謝しかない。

この時期の突発的な依

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怒られるということ

怒られることは年々減ってきている。ちなみに、ここでは怒るじゃなくて叱るだ。とかそういう細かい話はしない。

そして、これはぼく個人の話だ。

会社づとめからフリーになり、「上司」や「同僚」という存在がいなくなったこと。そして、ひとつずつ年をとっていること、両方の理由がある。

子どもの頃はよく怒られた。両親であったり、学校の先生であったりだ。中学、高校ではそこに部活の先輩も加わった。社会人になれば

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非日常と日常

今日からいつもの日常に戻ってきた。

いつもどおりに仕事をこなし、いつもどおりに食事を取り、いつもどおり眠りにつくのだろう。

変化のない日常は飽きられがちで、敬遠されることも多い。刺激的な日常、もしくは日常が終われば待っている、土日や長期休みという非日常を求めたくなる気持ちはわからないでもない。

ぼくはこの考え方ではない。

非日常が嫌なわけではもちろんない。その変わり映えのしない(と言われが

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